鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

団体列車で鎌倉へ

2016-11-30 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 1 1 月 1 2 日 ( 土 )

午 前 7 時 1 1 分

千 葉 県 柏 市

J R 柏 駅 東 口



ひさびさの完全私的旅
今回は少しだけ足を延ばして、古都・鎌倉を歩きます。


旅立ちはJR柏駅から。



総武線住民の私が、なぜ常磐線の柏駅にいるのか。
傍らの方が常磐線住民であるのも理由のひとつですが・・・
この日の交通手段はただの列車ではなく、団体列車。
仕事上お世話になっているS女史より、組合が主催するツアーの枠をいただいたことにより、団体列車に乗れることになったのです。



この日の団体ツアーの行程は・・・
  7時50分ごろ JR柏駅を出発。
  9時30分ごろ JR鎌倉駅に到着、以後自由行動。
  16時45分ごろ JR鎌倉駅に集合。
  17時15分ごろ JR鎌倉駅を出発。
  19時00分ごろ JR柏駅に到着、ツアー終了。
そしてツアー料金は、組合が主催するということもあり、往復2,000円と、破格の安さになっています。
・・・・・・もっとも、私にとっては柏を経由するよりも、電車一本の総武線で行った方が安かったのですけどね。
しかし団体列車に乗れる機会は滅多にないので、まぁいいでしょう(^^♪



団体職員氏による点呼、そしてツアーの説明が終わり、いよいよ出発。
切符は・・・・・・ありません。
そして改札口は通りません。
掃除のおじちゃんたちが通る通用口・・・銀色の柵が開き、ここから団体職員氏について進みます。

・・・・・・つまりは、団体職員氏の群れから離れてしまった瞬間、無賃乗車と認定されてしまうのです!!
こういった団体列車特有の危険を意識しながらも、団体列車の入線を待っていました。



JR柏駅3番線ホーム。通常は上りの快速電車が入線します。



このホームに、我々を鎌倉へといざなう団体列車は入線します。
発車標には団体 PARTYの赤い文字が表示されています。
私がこのブログ用に発車標を撮影すると、PARTYの表示に、「鉄の者」ではないであろう皆さんが食いついていました。



午 前 7 時 5 0 分

J R 柏 駅 を 出 発


発車の約2分前、柏駅3番線ホームに185系電車が入線してきました。
我々はあらかじめ指定された席に着席。
おやおや、S女史ご夫婦、同僚のO氏と「パル」カップルの隣りですなぁ。


団体列車は定刻どおり柏駅を出発しました。
するとさっそく、Sさんの旦那様からチューハイの差し入れです(^_^;)
傍らの方の分までくださいましたが、傍らの方は酒が飲めません。
私は朝っぱらからチューハイ2缶を空けることになりました。



列車はひとまず常磐線快速電車のレールを進んでいくようです。
よって各駅停車しか停まらない南柏、北小金、新松戸、馬橋、北松戸は当然通過。
そして常磐線の電車ではあり得ない、松戸駅、北千住駅も通過です。

こうしてスムーズに鎌倉まで進むものかと思っていましたが、意外にも南千住駅あたりでノロノロ運転を始めます。

よくよく考えれば、団体列車は運行ダイヤ上通常列車に劣後するものでした。
通常のダイヤの空いているところをぬって運行されているものですから、途中駅での停車やら減速やらは致し方ないのです。



発車から約30分後の8時21分、列車は上野駅に入りました。
列車は上野駅で停車。これも通常の列車を先に行かせるための調整だな・・・。


しかし、いつまで経っても列車が動く気配がない!



別の座席の淑女がチーバくんを折って、列車の発車を待っています。

私『あのチーバくん、何匹できるだろうね?』
か「6チーバくらいじゃない?」
私『じゃあ俺は8チーバかな』

こんなたわいもない話をしながら、列車の発車を待っていましたが、列車はまったく動きません。
スマホさんで運行状況を確認すると・・・

保土ヶ谷駅で人身事故。

2015年の花火のときといい、神奈川に行くと毎回鉄道の運航トラブルにヤラれています(?_?)
今回の団体列車の目的地・鎌倉も、保土ヶ谷も同じ横須賀線
人身事故によって、まさに行く手を阻まれてしまったことになります。
さらに団体列車なので、進行ルートの変更もできず、かといって下車することもできません。
団体列車を下りたところで、我々は無賃乗車の認定を受けてしまいます。
そもそも列車の扉も開かないので、まさに進退窮まった状況です。


上野駅から一向に発車しない状況に、組合の方も「何とかしなければ・・・」と考えたのでしょう。
急遽じゃんけん大会が始まりました。
私は面倒に思ったので、わざと後出しで負けたのですが、ここで「パル」ちゃんが妙な強運を発揮し勝ち残ったのです。
賞品は「マクドの食事券」500円分でした。

発車を待つ間に、私はチューハイ2缶を空けてしまいました。
すると旦那様、さらにチューハイを差し入れてくださいます。
鎌倉に着く前にチューハイ3缶はまずいだろう・・・とは思いながらも、プシューと缶を開けました。



上野駅で停車してから約1時間後の9時14分、列車はようやく動き始めました。



列車は上野東京ラインのレールを走り、秋葉原へ。
眼下に見えるはたぶん北陸新幹線かな。



9時19分、東京駅を通過。ここからは東海道線を通るようです。



多摩川を渡り、ようやく神奈川県へ。
先ほどの停滞がうそであったかのように、列車は順調に進んでいきました。

戸塚駅を通過し、列車は横須賀線に入ります。




午 前 1 0 時 3 7 分

J R 鎌 倉 駅 に 到 着




定刻より遅れること1時間以上、チューハイ3缶を飲み干し、



ようやく列車を下りることを許されました。



鎌倉駅の裏口?から外へ。

ここから江ノ島方面へ向かうというS夫妻、OPペアとは別れ、我々は鶴岡八幡宮方面へ歩き出しました。



ちなみに・・・5チーバでした。



【今回の乗車記録】

JR東日本 [JJ07]柏駅 3番線 7時50分発
[JJ]常磐線 団体 上野東京ライン・東海道線・横須賀線経由 鎌倉行き 10両
[JO07]鎌倉駅 2番線 10時37分着(遅れ1時間以上)

*移動時間 2時間47分
*移動距離 83.7km   *運賃 団体料金 1,000円(通常IC運賃 1,414円)





上陸!試される大地

2016-11-22 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 1 6 日 ( 金 )

午 前 5 時 2 6 分

J R 青 森 駅



この日は早朝5時にホテルをチェックアウト。



早々に青森を発ちます。
めざすは試される大地・北海道。
そして北海道最初の目的地は、北海道唯一の近世城郭・松前城【国指定史跡】です。


北海道へ上陸するには、青森駅の隣り・新青森駅から北海道新幹線に乗って、一気に上陸することができます。
このルートで進むと・・・


JR東日本 青森駅 4番線 5時45分発
奥羽本線 普通 弘前行き
新青森駅 2番線 5時49分着

JR北海道 新青森駅 12番線 6時32分発
北海道新幹線 はやて91号 新函館北斗行き
木古内駅 12番線 7時24分着

*所要時間 1時間39分 (乗車時間 56分  待ち時間 43分)
*移動距離 117.2km   *運賃 2,800円(乗車券は北海道&東日本パス使用(不使用の場合は2,160円) 特急券:2,800円(通常期料金))


これが最速の上陸ルートですが、新青森で43分もの待ち時間が生じる上に、この日最初の目的地への拠点・木古内駅の到着時刻が早すぎます。
「低予算」をモットーとしている我が城攻め旅にとっては、特急料金の支出もできるだけおさえたいところです。そこで・・・



津軽線で津軽半島をちまちま北上して、途中から北海道新幹線に乗り換えるルートで上陸を図ることとしました。


こうなると発車時刻の6時15分まで、時間がだいぶ余ってしまいます。
お食事は・・・開店している店が見当たらなかったので、青森駅構内を散策。



コンコースから望む青森ベイブリッジ
橋げたの下にある工場のような屋根の建物は、A-FACTORY(エー・ファクトリーという商業施設だそうです。



1番線に停車していた青い森鉄道線701系車両。なんともゆる~いラッピングデザインです。
もちろんこれには乗りません。



青い森鉄道線が乗り入れる1番線は、レールが駅構内で行き止まりとなっています。



同じく2番線も行き止まり。
ですがJR線の乗り入れる3番線以降のレールは、駅構内では終わらず先に伸びています。



5番線・6番線ホームへ。
青森らしく、機器がリンゴに入っているようですね。



青森ベイブリッジの方向にプラットホームを進むと、「連絡船↑」の表示が残っています。
青函トンネルが開通する前は、本州と北海道を青函連絡船が結んでいました。
旅客も貨物も連絡船が担っていたゆえに、青森駅は青森港のそばにでき、レールは青森駅を通り過ぎて青森港まで伸びていました。
そして鉄道のレールは、各方向から青森駅に収束するような形で敷かれ、さらに青森港へと続いたのでした。
対岸の函館駅や、瀬戸大橋が開通する前に拠点となっていた高松駅でも、レールが収束するような構造になっています。



連絡船の名残り・その弐。コンコースからかなり離れたところにあります。
長い車両の列車が入線しない現在の青森駅にとっては無用の長物ともいえそうですが、いまなお現役です。
連絡船がなくなったため、青森港方向の表示は黒塗りになっています。


青森駅の散策はこのくらいにして・・・



この日最初の電車は、6時15分発 津軽線 普通電車 蟹田行きです。



車両はE701系電車
ロングシートの通勤型車両なので、座席に座ってしまうと車窓を楽しむのは難しいです。
よってここでは敢えてお立ちで乗車しました。




午 前 6 時 1 5 分

青 森 駅 を 出 発


電車は定刻どおり発車。
通勤よりは通学の高校生が多い印象を受けます。
津軽線は津軽半島の東岸を北上するローカル路線ですが、意外にも車両は3両、そしてお立ちの人もいます。

最初は青森の市街地を走っていきます。



青森駅を出て最初の駅は、油川駅
このあたりは青森の住宅街が続いています。
しかし油川駅を出ると、



西側では建物は見えなくなり、おなじみの風景が広がります。
この日の田園風景も美しいです。
向こうに見える高架は、この年開通したばかりの北海道新幹線です。



6時27分、津軽宮田駅に到着。
駅の東側にはお寺さんがあるのか、目の前はお墓・・・。

そういえば津軽線の各駅は、駅名標が独特です。
八戸線のときもそうだったように、津軽線にも路線オリジナルの駅名標があるようです。

津軽線は地図で見ると陸奥湾のすぐ近くを通っているのですが、海と津軽線との間に宅地が広がっていて、なかなか海を見ることはできません。



奥内左堰(ひだりせき)後潟(うしろがた)、そして6時41分 中沢駅



6時46分 蓬田(よもぎた)に到達。
いまだ陸奥湾はよく見えません。


郷沢駅瀬辺地駅を過ぎてようやく・・・



陸奥湾が見え始めました!



電車と海との間に建物はなくなり、おだやかな陸奥湾に沿って進みます。が、それもつかの間。



6時58分、終点・蟹田駅に到着しました。



蟹田駅で乗り換えて、さらに津軽半島を北上します。
今度の列車は、7時07分発 津軽線 普通列車 三厩(みんまや)行きです。



今度の車両はキハ40系気動車で、車窓の楽しめる座席配置になっています。

出発時刻まで時間はありませんが、蟹田駅構内をできるだけ散策。



蟹田駅の駅舎。
それほど大きくはない駅舎に、木製の駅名標がとてもいい感じです。
旅情、「遠くに来たな~」という感覚を呼び起こしてくれます。



「蟹田ってのは風の町だね」
太宰治の小説「津軽」からの一節をモニュメントにしちゃったものが、ホームに立っています。
「津軽」は、太宰が自身の故郷である津軽を旅して著した紀行文のような内容なので、この「蟹田ってのは~」は太宰自身の言葉と考えられています。
しかしこの部分をよく読むと、

「その前日には西風が強く吹いて、N君の家の戸障子をゆすぶり、『蟹田つてのは、風の町だね。』と私は、れいの独り合点の卓説を吐いたりなどしてゐたものだが、けふの蟹田町は、前夜の私の暴論を忍び笑ふかのやうな、おだやかな上天気である。そよとの風も無い

・・・とあるのです。これはどちらかといえば、「蟹田ってのは、風の町じゃないね」とも読めるのです。
その後太宰たちは、蟹田にある観瀾山(かんらんやま)公園で郷土の人士と花見をするのですが、ここで文学談義が始まり、酒の回った太宰は当時「小説の神様」とも呼ばれていた志賀直哉を批判しまくったそうです。

「『・・・しかし、君たちは、僕を前に置きながら、僕の作品に就いて一言も言つてくれないのは、ひどいぢやないか。』私は笑ひながら本音を吐いた」

これが太宰の本心だったのかもしれませんが、この蟹田の記述が太宰と志賀との確執のもとになったといわれています。



蟹田駅のスタンプも、「蟹田ってのは風の町だね」。
それよりも「ニューヨーク、ローマと結ぶ町」という文言が気になりました。
温暖な気候のイメージがあるローマって、じつはかなり北に位置しているんですねぇ。




午 前 7 時 0 7 分

青 森 県 東 津 軽 郡 外 ヶ 浜 町

J R 蟹 田 駅 を 出 発


蟹田駅を出ると、津軽線は海から離れていきます。



しばらくは田園地帯を進んでいきます。



蟹田駅のお隣、中小国駅です。
新幹線が開通する前は、この駅が海峡線(津軽海峡線)の分岐駅でした。



中小国の次、大平(おおだい)を過ぎると、



次第に森が迫ってきて、







「青い森の県」の名のとおり、青い森の中を進んでいきます。



青い森を抜けるとほどなく、



7時32分、津軽二股駅に到着。ここで下車します。



列車は私(と男2人)を下ろし、竜飛崎の方へと消えていきました。


津軽二股駅の全貌・・・



なんとプラットホームだけ。駅舎はおろか、待合小屋もベンチもありません。



これが津軽二股駅の入口。きわめてシンプル。
津軽線の線路の先にある通路は、海峡線(津軽海峡線)津軽今別駅へ続いていました。
通路の上側に見える架線は、海峡線のものです。
現在は、北海道新幹線が開業したため、津軽今別駅は廃駅となり、通路も閉鎖されています。

架線のさらに上側に、北海道新幹線の高架が通っています。

 

津軽二股駅からの通路、現在はこのとおり。
たいそう高いところにある通路を経由して、奥津軽いまべつ駅に続いています。



津軽二股駅に隣接している道の駅いまべつの中にある時刻表。
蟹田から三厩までの本数は、なんと1日5本!
私が下車した7時31分発の列車の次は、なんと12時09分までありません!!
みうらじゅん氏のいうところの「地獄表」ですね。
(氏によると、落ちたら出られない地獄のように、本数が少ない時刻表のことを「地獄表」と呼んでいるそうです)

・・・この旅では、これをも上回る地獄表を何度も見ることになります。



奥津軽いまべつ駅の正面。
開業したばかりの新しい駅舎は、楼閣のごとき高さを誇ります。



ホームに向かう通路へは、115段もの階段を上る必要があります。
私は当然、エレベーターを使います。



なかなかの見晴らしです。
駅前には閑散としていて・・・なんてレベルではなく、森の中に大きな駅がポツンとあるような印象です。



先ほどまで乗車していたJR津軽線のレールです。
津軽二股駅のホーム、旧津軽今別駅の連絡通路の様子がよくわかります。
津軽二股駅に隣接している建物が道の駅いまべつで、「アスクル」という施設もあります。事務用品は売っていませんよ~(^^)



こんどは反対側。
海峡線の保守基地が見渡せます。
北海道新幹線のレールもわずかに見えます。


連絡通路を通り、新幹線ホームへ入ります。



乗車する電車は、北海道新幹線「はやて93号」 新函館北斗行きです。
新幹線ということで、通常は乗車券特急券が必要になります。
しかし今回は、



北海道&東日本パスが乗車券の代わりとなります。
北海道&東日本パスでは新幹線に乗れないのが原則。
しかし出発駅と到着駅が双方とも新青森駅・新函館北斗駅の間にある場合は、北海道&東日本パスが乗車券の役割をなし、さらに特定特急券を購入すれば、新幹線に乗車できるのです。
今回は出発駅が奥津軽いまべつ駅、到着駅が木古内駅で、双方とも新青森駅・新函館北斗駅の間にあります。



この日までわが財布の中でおとなしくしていた、奥津軽いまべつ・木古内間の特定特急券を使う時がきました。
特定特急券とは、特別料金で乗車できる特急券のことです。・・・なんのこっちゃ???

東北・北海道新幹線は、「やまびこ」「はやて」「はやぶさ」の3つの車両が存在します。
・・・ああ、そういえば「なすの」もいましたね(^_^;)
このうち「はやて」「はやぶさ」は全車指定席なので、この2つに乗車するには必然的に指定席料金を支払う必要があります。
そして盛岡駅以北には、「はやて」「はやぶさ」しか運行していないので、盛岡駅以北に新幹線で行くには、必然的に指定席料金が発生してしまいます。
しかし盛岡駅以北の新幹線車両は、基本的にガラガラなので、この区間だけの乗客に指定席料金を強いるのはどうかなぁ~という考えが至極当然に生じることでしょう。
そこで、出発駅と到着駅がそれぞれ(1)盛岡駅・新青森駅間にある場合、(2)新青森駅・新函館北斗駅間にある場合に、指定席料金のかからない特急券を販売しているのです。

特定特急券で乗車する場合、グリーン席とグランクラス席以外の席ならばどこでも着席することができます。
ただし優先度は指定席券の乗客に劣後するすなわち座った席に指定席の乗客がやってきたら、席をどかなければならないわけです。
満席になっていたら、当然ながらお立ちとなります。滅多にないでしょうが。


長々と説明しましたが、発車までまだ時間があるので、スタンプを確実に回収します。

 

奥津軽いまべつ駅のスタンプはふたつ。
ひとつは「荒馬の里」・・・今別町の荒馬祭りをもとにしたスタンプのようです。
もうひとつは「日本一小さい新幹線のまち」
今別町は人口が3,000人未満と、たしかに「小さい新幹線のまち」と言えそうです・・・いや「まち」より「むら」かな?




駅の中には食事できそうなところはなかったので、新函館北斗行きの電車が入線する12番線へ下り立ちます。
ホームは人の気がほとんどなく閑散としています。やはり「日本一小さい新幹線のまち」の駅です。
そして利用者は少ないと想定されているのか、ホームがかなり狭いです。
ホームドアがなかったら転落事故が起きそうなくらい、新幹線の駅にしてはホームがかなり狭かったです。

 

奥津軽いまべつ駅の駅名標。
この駅は青森県内にあるのですが、JR北海道が運営しています。




午 前 8 時 1 1 分

は や て 9 3 号 が 入 線


当サイトの城攻め旅では初の新幹線乗車です!
というわけで、記念すべき最初の新幹線撮り鉄に挑戦・・・

  

新幹線E5系電車・・・あまりうまくいきませんでしたなぁ。



今回は新幹線の後方寄り・3号車に乗り込みました。
ご覧のとおり席はガラガラ、おそらく席を奪いに来る指定席の乗客はいないでしょう・・・いたとしてもお立ちの状況にはならないはずです。




午 前 8 時 1 3 分

は や て 9 3 号 発 車


奥津軽いまべつ駅を発ち、次の停車駅は木古内
この旅3日目にして、ついに本州を脱出します。





津軽半島の青い森の光景が流れていくようにはやて93号は進み、乗車して数分で車掌氏がアナウンスを始めました。
本州脱出の大イベント・青函トンネルに入ります。

青函トンネルは、いうまでもなく日本最長のトンネル。
その長さは53.85kmで、世界一長い海底トンネルであり、また世界一深い海底にあるトンネルでもあります。
新幹線が青函トンネルを通過するのには、約25分かかるそうです。

車掌氏が青函トンネルの紹介をし終わり、



「列車は、只今青函トンネルに入りました」
残念ながらトンネルに入った瞬間の画がうまく撮れず、LEDパネルの「只今青函トンネルに入りました。」も撮れずじまい。
これからの約25分間は、車窓はトンネルの照明しか見えないので、ちょうどやってきた車内販売のおねいさんより、朝食をお買い上げ。

 

津軽雪国海鮮ずし! うまい!・・・けど、ちょっと少ないかな。
それでも、カニ、紅鮭、イクラ、そしてウニが端正に配されていて、そのどれもが美味かったです。
とくにウニに関しては久しぶりにおいしいウニをいただくことができました。





「みなさま、北海道へようこそ」
たぶんマニュアルに載っているであろう、車掌氏の名文句とともに、ついに「試される大地」が私の前に現れました!
景色は・・・津軽半島とそれほど変わらないかな。
そう思いながらも新幹線はすばやく北海道最初の駅・木古内へ。




午 前 8 時 4 9 分

北 海 道 上 磯 郡 木 古 内 町

は や て 9 3 号 、 木 古 内 駅 へ


 

はやて93号は定刻どおり木古内駅へ。
私と何人かの乗客を下ろし、函館方面へと消えていきました。



大谷翔平なんらかのゆるキャラに見送られ、



木古内駅の外へ。
初めて北の大地に足をつけた瞬間でもありました。



【今回の乗車記録】

JR東日本 青森駅 6番線 6時15分発
津軽線 普通 蟹田行き 3両
2番線 6時58分着

蟹田駅 3番線 7時07分発
津軽線 普通 三厩行き 2両
津軽二股駅 7時32分着

JR北海道 奥津軽いまべつ駅 12番線 8時13分発
北海道新幹線 はやて93号 新函館北斗行き 10両
木古内駅 12番線 8時49分着

*所要時間 2時間34分(移動時間 1時間44分  待ち時間 50分)
*移動距離 121.4km   *運賃 1,490円(乗車券は北海道&東日本パス使用(不使用の場合は2,420円)  特急券 1,490円)





みちのく母ちゃん食堂

2016-11-13 | グルメ


2 0 1 6 年 9 月 1 5 日 ( 木 )

午 後 8 時 2 0 分

青 森 市 内 の 某 ホ テ ル



この日のお宿、東横インの隣りのホテル。





素泊まりで2,500円という破格の安さで、しかもツインルームをシングル使用という格別の計らいです。


このままホテルでぐっすり・・・するわけはなく、次はホテルの近所で青森の食を味わいます。



ホテルから青森駅へ向かう途上、



この「駅前銀座」を通過すると、青森駅へのショートカットになります。
青森駅からホテルに向かうときも、この「駅前銀座」を通らせていただきました。
そのおりに目星をつけておいたお店、



「みちのく母ちゃん食堂」です。
入口が開放されているので、中の様子をうかがい知ることができます。
なんとなく雰囲気のよさそうなこじんまりした昭和のたたずまいに惹かれ、ここに来ようと思っていたのです。


いざ、入店!


中は4人掛けの座敷席がふたつと、2人掛けの座敷席がひとつ。
2人掛けのところにはお客さんなのか、おかみさんなのかちょっとわからないお婆ちゃんがひとり。
ということで私は独り身ながら、入口寄りの4人席に着座しました。

中から初老(失礼!)のおかみさんが登場。
「母ちゃん食堂」の名にふさわしい、やさしい津軽弁を話すおかみさんです。


まずはおかみさんに促され、酒を一杯。

 

田酒!・・・ズズズ・・・・・・うん、うまい!
私は日本酒があまり得意ではないのですが、この酒はとてもフルーティーでのど越しがよく、私も抵抗なく飲めました。

酒は青森の銘酒、西田酒造「田酒」
コップになみなみと表面張力が生じるくらいまで注いでくださいます。
手にもって酒を仰ごうとすると、
「最初の一口は置いたまま飲むんだよ」
母ちゃんから、優しい口調ながらちょっとばかりお説教をいただいてしまいました。

「田酒」は一杯800円。
母ちゃんが言うには、「田酒がこの金額で飲めるところはない」。
こっそりスマホで調べたところ、田酒は一時期「幻の銘酒」とまで呼ばれていたそうです。


お食事の前に、まずはお通しです。



ミズのおひたし!・・・シャキシャキ・・・いいねぇ!
その名のとおり瑞々しいおひたしです。
田酒の酔いが回ってきた私はふと思う・・・ミズってなんだ?

ミズは正式名をウワバミソウ(蟒蛇草)といいます。
蟒蛇が棲んでいそうな水辺に生えている山菜で、東北地方でよく食されています。


そしてお食事。
母ちゃんによると、この日のおすすめはホタテ、そしてイカだといいます。



ホタテ!!・・・・・・甘い、甘い、甘い、甘い、甘い!
噛めば噛むほどにほのかな甘みが徐々に、徐々に、徐々に、徐々に出てきました。
やはり陸奥湾のホタテはうまいです!


酒も進み、グラスも空に。
母ちゃんに促され、田酒をもう一杯。

この母ちゃん、勧め上手です。あなどれない・・・。


この日のおすすめ・その弐、イカ



身のお造り! うまい!!
やっぱりイカは生がうまいですねぇ~。



ワタの塩漬け!・・・・・・しょっぺぇ・・・。
田酒で塩辛さを中和しようと試みますが、残念ながら私の口には合わない様子。
母ちゃんもそのことを察したのか、「無理して食べなくてもいいんだよ」と優しいお言葉。



焼きゲソ! うまい!!
ゲソは焼いた方がうまいですねぇ~って、私は生のゲソは食べたことはなかったんでした。


陸奥湾の恵みに舌鼓を打ち、田酒を楽しみます。
母ちゃんの郷土話も極上の酒の肴です。



壁にかかっていた「ねぶたまつりの由来」という垂れ幕。
母ちゃんは「あんまり漢字が読めないのよ~」とおっしゃったので、私が朗々と読み下していくと、母ちゃんも婆ちゃんも感心していました。



そのうちおやじリーマン4人衆が来店したので、私はこのあたりで退散。
お代はしめて4,500円。
決して安い食事ではないけれど、青森の旅を締めくくるにふさわしい、最高のお食事でした。



かぁちゃん、おいしかったよ~





青い海公園~青森対決の地

2016-11-13 | どうでしょうロケ地


2 0 1 6 年 9 月 1 5 日 ( 木 )

午 後 7 時 1 8 分

青 森 市 内 の 某 ホ テ ル



この日のお宿、東横インの隣りのホテル。





素泊まりで2,500円という破格の安さで、しかもツインルームをシングル使用という格別の計らいです。


このままホテルでぐっすり・・・するわけはなく、まずはホテルの近所にある対決の地をめぐります。



ホテルは海からほど近いので、



青森ベイブリッジの橋梁が間近に見えます。
ベイブリッジの高架沿いに歩いていきます。


海側に見える緑のピラミッド。



青森県観光物産館「アスパム」です。
青森県のお土産ならおまかせ!というようですが、ここは午後7時で営業終了
中に入って確認しましたが、職員が皆片づけをしていました。
ピラミッドの頂上が展望室になっていますが、ここも午後7時で終了
わざわざそのフロアまでエレベータで上ってみましたが、展望室は真っ暗で中に入れませんでした。


アスパムでの収穫がないまま、





隣接する青い海公園に到着。




水曜どうでしょう「対決列島 ~甘いもの国盗り物語~」青森対決の地、青い森公園。


「ミスターどうでしょう」鈴井貴之氏と「魔神」藤村忠寿ディレクターによる日本列島を舞台に繰り広げられた甘いもの早食い対決
その第2戦・青森対決の戦場となったのが、この青い海公園です。
対決内容は、青森の特産品・りんごにちなんだお菓子2品。
ひとつは、ラグノオささき「気になるリンゴ」、りんごをまるまる1個パイに包んで焼いた重量級の甘いものです。
もうひとつは、小向製菓「アップルクーヘン」、りんごをまるまる1個バウムクーヘンで包んだ重量級の甘いものです。

勝敗は、魔神・藤村Dの圧勝
着実に平らげた魔神に対し、ミズターはパイ生地、バウムクーヘンから食べていく作戦を取り失敗。
「ギブアップ・・・」と哀願するも、レフリーの大泉洋氏に「ギブアップ、ノォゥ!」と一蹴されてしまうのでした。



というわけで、私が青い海公園に来たのは、どうでしょう班が対決した同じ席で、同じものを食らうため。
スマホさん片手に、対決の舞台となった席を探すと、即座にわかりました。
しかしその近くで、青森JK2人組がダンスの練習をしています。


・・・・・・ただただ視線を向け無言の圧力をかけました。


するとどうでしょう、2人組はポータブルプレイヤーを止め、撤収していくではありませんか。


この機を逃さず、私は対決の舞台に着座。



弘前城で購入した「気になるリンゴ」(700円)です!!
そして「アップルクーヘン」ですが、残念ながら入手できませんでした。
弘前城や弘前駅などの土産物店をのぞくと、「気になる」ほうはあるのですが「クーヘン」のほうはありませんでした。
最後の望み・アスパムはすでに営業終了・・・ということで「気になるリンゴ」のみの対決となりました。




午 後 7 時 5 1 分

開 戦




手に持つと、ずっしりと重みを感じる「気になるリンゴ」



包装紙を外した「気になるリンゴ」



箱から取り出した「気になるリンゴ」



ついにベールを脱いだ、「気になるリンゴ」
いよいよ実食!!

パイ生地は普通の味、そして思いのほかリンゴがあっま~い!
そしてリンゴからは果汁がしたたってきて、注意して食べないと手がベトベトになってしまいます。
食べ方はやはり藤村Dがそうしたように、刃物で等分してから、リンゴとパイを一緒に食べたほうがいいでしょう。
リンゴの甘さをパイがいくらか和らげる、といった具合です。

私は刃物を持ち合わせていなかったので、ミスターのごとく丸かじりで戦います。
パイを完食してしまわないように注意を払いながら食べ進み、



6分で完食しました。
手持ちの重量感とは裏腹に、私の胃袋には余裕がありました。


食後の運動とばかりに、公園内を散歩します。



対決の舞台となったテーブルの手前には、あずまや?が建っています。
それにしてもこの日の月はきれいです。

ふとあたりを見回すと、あずまや?&テーブルのセットがもう1ヶ所あることに気づいてしまいました!

もしや・・・

 

しまった! この席は対決の場所ではない!!
おわかりでしょうか、左右の違い。
まず真の対決の地は旗のポールがありません。
そして奥側に海を臨むベンチ設置してあります。

 

こっちでした・・・・・・



失意のうちに対決の地を後にする私。





青い海公園の美しい夜景たち。



アスパムのふたつのピラミッド。



青森港のライトアップ。



エメラルドグリーンに彩られた青森ベイブリッジ



私は覇気を取り戻し、青森の夜を締めくくるにふさわしい食堂へと足を運んだのでした。





青森で一泊!

2016-11-13 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 1 5 日 ( 木 )

午 後 5 時 0 9 分

青 森 県 弘 前 市

弘 前 市 文 化 セ ン タ ー 前



約2時間かけて回った弘前城【国指定史跡】を退出し、



弘前市文化センター前に立つ津軽為信公像に別れを告げ、この日最後の移動が始まります。



文化センターとは道を挟んで向かいに立つ文化センター前バス停
ひとまずは弘前駅に戻ります。



17時09分、弘前駅に向かう100円バスがやってきました。
行きはリンゴまみれの車両でしたが、帰りはごく普通の弘南バスさんです。




バスは順調に駅前へ。



17時22分、ほぼ定刻どおりに弘前駅前バスプールに到着しました。


【今回のバス乗車記録】

文化センター前バス停 17時09分発
弘南バス 土手町循環バス
弘前駅前 6番のりば 17時22分着

*乗車時間 13分  *運賃 100円(*^_^*)




午 後 5 時 2 3 分

J R 弘 前 駅



弘前から向かうは、予約したホテルのある青森。
青森行きの電車の発車時刻までは時間があったので、夕食を弘前で済ませてしまおうと思い、駅前をうろつきました。
しかし、「津軽にやって来たぞ~!!」というような食事をしたかった私は、ここぞといった店を探すことはできず、



駅そばで妥協・・・いつものパターンです(^_^;)
弘前駅構内にある「そば処 こぎん」へ。

とりあえず初めての店で注文する天ぷらそばの食券を購入。
値段は・・・460円、駅そばにしてはやや高いですなぁ。
これは多少はうまいそばが出てくるのでしょう。
そう思って待ちますと・・・



なんか普通のそば・・・かな?
関東で食べる駅のそばとはちがうかな・・・?

このそばを食べた当時は、この程度の感想しか出てきませんでした。
しかし後日この店を調べてみると、供されたそばは津軽そばというものだったことがわかりました。


津軽そばは、その名のとおり津軽地方の郷土料理のそば。
つなぎに小麦粉を用いるのではなく、呉汁という大豆をペースト状にしたもの()を味噌汁に加えてできた汁を用います。
呉汁をそばがきに混ぜて生地を作り、その生地をねかせて熟成させてから、そばを打ちます。
手間のかかる製法から、戦後には消滅してしまったようですが、平成に入って製法が研究され復活したそうです。



何気なく食べた駅そばが、じつは探していた郷土料理だったのでした。
もう少し味わっていただけばよかったです。




「こぎん」の脇に立っている弘前ね【国指定重要無形民俗文化財】のミニチュア。
弘前のねぷたは、勇壮な武者が描かれた扇形の山車燈籠を引いて街を練り歩きます。

ちなみに呼び名の「ねた」と「ねた」で違いがあるかというと、そういうことはないようです。
ただ弘前を中心とした津軽地方は「ねた」、弘前から離れた青森地方や北津軽地方では「ねた」と呼ばれることが多いようです。


あとは、忘れちゃいけない駅スタンプの回収。

 

スタンプはふたつ。
まずは「お城と桜の古雅(こが)の街・奥羽本線弘前駅」
弘前城の桜をモチーフにした王道ともいうべきスタンプですね。
もうひとつは「リゾートしらかみ・弘前駅」
わざわざ?弘前駅まで乗り入れるリゾートしらかみの3つの車両が絵柄になっています。



こうして弘前駅で時間をつぶし、電車を待ちます。



乗車する電車は、18時16分発 奥羽本線 普通電車 青森行き



1番線ホームに下り立つと、始発の電車はすでに入線していました。
駅名標に表示がある弘前駅の隣駅・撫牛子(ないじょうし)駅はかなりの難読駅ですね。



通勤型の車両・E701系
座席はロングシートで、さらに乗客にはお立ちの方も出るなど、車窓を楽しむには全くの不利な情勢。
ここはおとなしく眠るに限ります。




午 後 6 時 5 8 分

青 森 駅 に 到 着




えらい記述があっさりしていますが、青森駅に到着しました。



改札内コンコースから外を眺めると、青森ベイブリッジがライトアップされています。
橋の向こうには青森港の灯りがちらちら。
青森駅が海のそばに建っているのがよくわかります。



改札を出て、みどりの窓口で駅スタンプを回収。



JR東日本のシマのはずのみどりの窓口に、青い森鉄道のスタンプが置いてあります。
青森駅のスタンプの絵柄は「ねぶた祭り」。まさに王道です。



青森駅の隣り・筒井駅
絵柄はなぜかボート競技・・・なぜでしょう???
筒井駅は青森県の進学校・県立青森高校の最寄駅で、筒井駅の副駅名は「青森高校前」
青森高校はいちおうボート競技の強豪校らしいです・・・が、このこととスタンプの絵柄に関係があるかは不明です。



筒井駅の隣り・東青森駅・・・???
背景の山はおそらく八甲田山だと思われますが、この人は・・・マタギ???(秋田の山奥の猟師)
調べたところ、「八甲田山と後藤房之助伍長銅像」だそうな。
後藤房之助伍長は、「死の行軍」といわれた八甲田山雪中行軍の数少ない生存者です。



最後に、東青森の隣り・小柳駅
これはわかります、カーリング競技
競技チームの「チーム青森」をモチーフとしているのでしょう。



【今回の乗車記録】

JR東日本 弘前駅 1番線 18時16分発
奥羽本線 普通 青森行き 3両
青森駅 3番線 18時58分着

*所要時間 42分
*移動距離 37.4km   *運賃 北海道&東日本パス使用(不使用の場合は670円)



青森駅を出ました。



駅舎前のロータリーから「駅前銀座」なる通り?をショートカットすると、



見えました!
本日宿泊の東横イン!・・・・・・の隣りのホテル。
じゃらんで、2,500円という破格の安さに惹かれて予約をしたホテルです。


今回も実名を出しています・・・設備は古かったもののあまり不満はありませんでした・・・が、



なぜかツインルーム!
しかもベッドを無理矢理もう1台置いたような感じです。



今は亡き羽田東急ホテルの4人部屋を思い出すのは、私だけじゃないでしょう。
しかし私はいちおうツインルーム(笑)のシングル使用ということになります。



ひとまず・・・青森で、一泊!!





弘前城・最終章~弘前公園ひとまわり

2016-11-10 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 6 年 9 月 1 5 日 ( 木 )

午 後 4 時 1 7 分

青 森 県 弘 前 市

弘 前 城 北 の 郭





弘前公園の有料ゾーンである本丸北の郭を出ました。



西の郭へと通じる道。
「桜のトンネル」とも呼ばれ、左右に桜並木が続きます。
さすがは日本有数の桜の名所。



「桜のトンネル」と城外を結ぶ春陽橋



春陽橋のかかる西濠です。
橋から南側を眺めてみると、左側(城内側)の「桜のトンネル」だけでなく、右側(城外)にも桜並木が続いています。



春陽橋から城内に引き返して、次は北の郭のさらに北の郭、四の丸へ。



四の丸の半分は、青森県護国神社の境内になっています。

この鳥居も護国神社の鳥居なのですが、どうも立ち位置がよろしくなかったようです。
鳥居の正面に植栽が植わっていて、あまりくぐろうという気が起きない、そんな鳥居です。
しかし足元をよく見ると、小径ができています。
この鳥居をなんとしてもくぐろうという、私のような人が少なからずいるようですね。



こちらの鳥居は表側の鳥居。
先ほどの鳥居は、裏側の参道に立っているもの。
私は裏側から境内に入りました。



護国神社の本殿(拝殿)へ。
いつもどおり、明日のお天気と、大事な方のご加護を祈願します。
(神道では「ご加護」って言うのかな?)



表参道の鳥居から、境内を出ました。
鳥居の向こうから燦々と輝く日輪。
明日もその輝きを見せてほしいものです。


護国神社の鳥居からは、南北への分かれ道が伸びています。
まずはその北の道をたどると、

 

北門(北の郭北門)【国指定重要文化財】が構えています。



北門の外側。
というわけでこの門は、弘前城で現存する最古の城門だそうです。
この門だけは三角形、四角形の矢狭間鉄砲狭間がついていません。

弘前城を築城した津軽信枚は、先代・為信が着手して中断していた事業を1年ほどで完成にもっていきました。
急ピッチでこしらえた弘前城は、建物に近隣の廃城のものを移築させて用いるこ
とも多く、この北門もそのひとつで、大光寺城の城門を移築したものです。



城門に残る矢じりの痕。
大光寺城は南部氏との戦いや、為信死後のお家騒動でも戦闘を経験しています。
弘前城は戦闘に巻き込まれたことはないので、現存する遺構で戦闘経験があるのはこの門だけ。
また当時は北側が表口で、この門は「追手門」でした。



北門から引き返して、こんどは南方向へ歩きます。



土塁のみで形成された枡形
ここは賀田(よしだ)門跡で、為信の最初の居城である大浦城から移築された門がありました。
賀田門の先は三の丸です。


三の丸に入るとすぐ目の前、



お濠の向こうに二の丸丑寅(うしとら)【国指定重要文化財】が建っています。



賀田門跡から続く土橋で、二の丸へ。
二の丸丑寅櫓を別角度から望みます。



丑寅櫓付近は児童公園になっています。



花壇越しの丑寅櫓・・・イマイチ?



二の丸と、本丸や北の郭を隔てる内濠沿いを歩きます。
お濠の向かいは北の郭で、土塁の下がわずかに石垣が造成してある腰巻石垣になっています。



お濠沿いを進んでいくと、お濠の対面は本丸になります。
郭の側面は腰巻石垣から総石垣になります。
この石垣の修復のため、天守が移動しているのです。



内濠から離れます。



城門の目の前に建っている建物は、二の丸東門与力番所【現存】。
中にある梁の墨書きから、江戸時代中期のものと推定されています。
明治に入りいったん曳家で城外に移築され、昭和54年に再び城内に戻されたそうです。



番所が守護した二の丸東門(東内門)【国指定重要文化財】。

 

外に出ます。



門の外にある中濠
中濠にかかる東内門外橋という、ちょっとわけがわからなくなりそうな橋を渡って、ふたたび三の丸へ。
この東内門外橋は、弘前城唯一の石橋なのだそうです。


そして、



弘前城の東を守る三の丸東門【国指定重要文化財】をくぐり、



弘前公園の外へ出ました。

これにて弘前城の登城は終了です。



三の丸東門の向かいにある弘前文化センターにて。
近くにある弘前中央高校の演劇部と思われるJKが、台詞回しの練習をしていました。
私は無言の圧力でこやつらをどかし・・・




津軽為信公像をしばし仰ぎ見ます。


津軽為信の出自はよくわかっていないのですが、大浦氏の出とも、久慈氏の出ともいいます。
双方とも、北東北を支配した南部氏の一族で、その宗家当主南部晴政を盟主とする連合体の一員でした。
永禄10年(1567年)ごろ、大浦為則の養子となって、津軽の大浦城主となりました。

元亀2年(1571年)晴政の叔父・石川高信を、大浦城から距離もない石川城に攻め、自害に追い込みます。
これより為信は南部宗家に反旗を翻し、津軽地方を攻略していきました。
(異説では、晴政と、その娘婿で石川高信の子・信直が後継をめぐる対立が先鋭化し、晴政が為信に対し石川城攻めを指示したともいいます)
その後南部晴政は死去。その嫡男であった晴継も直後に謎の死を遂げ、南部宗家はくだんの信直が当主となりました。
信直にとって為信は父の仇、津軽に攻め入ろうとしますが、後継を争った九戸氏の警戒のため積極的に動けませんでした。
こういった南部家の内紛を尻目に、為信は容易に勢力を拡大していきました。

中央で豊臣秀吉が台頭すると、天正17年(1589年)の小田原征伐に参陣し、本領安堵を勝ち得ました。
このときに窓口を担当したのが石田三成です。
その後で南部信直が小田原に参陣、為信の所業を訴えたため一時は討伐の対象になりかけますが、このときも石田三成らが取り成し、為信は大名と認められたのでした。

豊臣政権下に、姓を「大浦」から「津軽」に改めました。

秀吉死後の関ヶ原の戦いでは、三男の信枚とともに東軍につきましたが、嫡男の信建は大坂城に控えていました。
これは真田氏のように一族を東西両軍に分け、どちらが勝っても津軽家が生き残るように画策したといいます。

戦後、居城を鷹岡(のちの弘前城)に移すべく築城を始めますが、工事は進まないまま、慶長12年(1607年)京都で病死しました。
嫡男の信建の死を看取ってから2か月後の死でした。
津軽家の家督は、お家騒動の後に三男の信枚が継ぎました。





為信は立派なひげをたくわえており、肖像画にもその様子が描かれています。
三国志の武将・関羽に憧れていたといいます。



これにて本当に弘前城の登城、了。





弘前城・第2章~動く天守

2016-11-05 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 6 年 9 月 1 5 日 ( 木 )

午 後 3 時 2 7 分

青 森 県 弘 前 市

弘 前 城 本 丸



晴天の下にあるべきはずの天守はなく、



堅固な構えの天守台のみが残された弘前城。
最北の現存天守はいずこに??



二の丸と本丸を隔てる内濠には、かりそめの通路が設置されています。

そうです・・・この旅日記おなじみの工事です。

弘前城本丸の石垣に(はら)と呼ばれる出っ張りが出てきてしまったのです。
その影響は孕みの部分から少し離れた天守にも現れ、傾きが微妙に出てきてしまったとか。
こうなっては石垣だけでなく、天守も根本的に工事するしかないそうです。
しかし弘前城の天守は、我が国に12基しかない江戸時代からの現存天守。そうそう安易にぶっ壊すわけにはいきません。
そこで天守を地面から切り離してそのまま動かす曳家(ひきや)の手法を用いたということです。


 

本丸からは有料区域で、入城時刻にも制限があります。
そのため八戸の根城の登城をほどほどに済ませたのですが・・・
この時期はどうも青海に揺らぐ「幻想天守」なるイベントが午後9時まで開催されていたようです。
だったらそんなに急いで来なくてもよかったのですね・・・。

ともかく入城料は大人310円、通常の入城時刻は午前9時から午後5時です。



とりあえず本丸に入りましょうか。



本丸への入口。
これまで通ってきた城門のように土塁による枡形ではなく、本丸の入口は石垣の枡形です。
おや・・・石垣の背後に見えるのはもしや・・・?



本丸外郭の石垣。
カドの部分に使われている巨石は「亀石」と呼ばれています。



「亀石」だけに限らず、なかなかの巨石がふんだんに用いられています。
画像奥に見えるシダレザクラは「御滝桜」と呼ばれ、天守の脇を彩る見事な桜だそうです。



晴天、石垣、シダレザクラ、そして移動した天守【国指定重要文化財】。
この光景が見られるのは、工事期間中の約10年間だけだそうです。
期間限定・・・そう考えれば、工事中の登城というのも悪くない・・・かな。


本丸に入りました。



晴天の下、天守台では修復事業が行われています。
その間天守は、



本丸の真ん中に鎮座しています。
津軽の秀峰・岩木山とともに見える箇所に、建物の向きも変えて移動したそうです。



仮天守台に鎮座する天守、また良し!


弘前城は、弘前藩の藩祖・津軽為信が築城を計画したものを、その嫡男で2代藩主・信枚(のぶひら)が完成させました。
信枚は慶長14年(1609年)、為信の死で中断していた築城を再開すると、1年でほぼ完成させてしまいます。
もとは鷹岡の地にあったので、「鷹岡城」と呼ばれていました。

その天守は5層6階という豪勢なもの、領地の石高4万7千石には破格ともいうべきものでした。
これは津軽が北辺警護の要所であったため、また藩主・信枚が「黒衣の宰相」の異名を持つ天海僧正を仏門の師としており、そのつてで幕府が特別に許可したともいいます。
しかし寛永4年(1627年)落雷による火災で天守、御殿などが焼失してしまいます。
この後約200年ほど天守のない時代が続きます。

この災害に際し、藩主・信枚は、その師・天海僧正に相談しました。
すると天海僧正は地名の変更を提案、もとはその地名から「鷹岡城」という名でしたが、これを「弘前」と改めました。

文化7年(1810年)9代藩主・津軽寧親(やすちか)の代に、蝦夷地の警護の功績を幕府に認められ、隅櫓を天守に改築する許可が出ました。
翌年天守は完成し、これが現存しています。

明治になり廃城、御殿などが取壊しとなりましたが、明治28年(1895年)弘前公園として一般に開放され、現在に至っています。



弘前城天守を別角度から。



天守の足下を注意深く見ると、



青くか弱い光が見えます。
これがどうやらイルミネーションイベントの青色LEDのようです。

天守をぐるりとひと回りし、



天守の入口へ。

中に入ると、今回の工事に関する資料パネルが掲示してありました。



「平成の本丸石垣修理」
昭和58年に起こった日本海中部地震後、本丸東面石垣の定点観測を開始。
平成16年度に石垣修理計画を策定し、平成19年度から石垣修理事業の基礎調査に着手。
その結果、東面の石垣が、内濠側に約1m孕む(膨らむ)と共に、天守が北東隅で約30cm沈下し、全体的に傾斜していることが判明し、石垣の積み直し修理に着手しました。
これに伴い、その上にそびえ立っていた天守の移動(曳屋 ひきや)が必要になったものです。

(原文ママ)



「重要文化財 弘前城天守曳屋工事」のパネル。
曳屋工事の過程を年表形式で表示しています。

これによると、天守の移動にかかった作業日数は、休日を除くと70日。
まず初日に、天守を地面から切り離す地切りの作業。
そして移動のために、天守を40cmジャッキアップ(持ち上げる)のに9日間もかかっています。
おそらく工事に携わった人々にとっては経験のない工事、最初の持ち上げがいかに緊張の連続であったかが数字にも表れているようにみえます。
あとの1次移動、ジャッキダウン(持ち下ろし)、回転移動などにはさほどの日数がかかっていません。

これらの工事の末に、現在は仮天守台に着座しています。

1層目には土産物の売店があり、100名城のスタンプもここのおねいさんが預かっています。



4番、弘前城!
絵柄はもちろん、移動前の天守です。



スタンプを回収したところで、天守を上ります。
櫓の必須設備というべき石落し



天守内の階段。
平安な時代に築かれたせいなのか、戦国期の天守に比べると階段はあまり急ではありません。



天守からの眺め、その壱。
弘前公園は桜が多いですねぇ。我が国有数の桜の名所というのも納得です。
なお天守の屋根は銅葺き。雪に強いものとなっています。



天守からの眺め、その弐。
本丸と西の郭を隔てる蓮池には、ハスの葉でぎっしり。



天守からの眺め、その参。
「お岩木山」に雲がかかってきましたね。


天守から出ました。



本丸南西部、本丸未申(ひつじさる)櫓跡です。
かつてはここに5層6階の天守がそびえていましたが、焼失。
その後は隅櫓が建っていました。



本丸北西部、本丸戌亥(いぬい)櫓跡
現在はあずまやが建っていますが、ここにも隅櫓があったそうです。
ここの櫓からは、隣接する北の郭への連絡通路があったといいます。



本丸を出ました。



鷹丘橋を渡り、北の郭に入りました。

北の郭には、兵糧を保管していた籾蔵跡とともに、弘前城の守り神を祀っていた館神跡があります。
館神にはごく限られた者しか立ち入ることができなかったそうです。
それもそのはず、ここで祀っていたのは幕府にとっては敵にあたる豊臣秀吉の木像だったのです。


弘前藩の藩祖・大浦(津軽)為信は、のちに盛岡藩の藩祖となる南部信直に反旗を翻し独立、津軽地方を切り取って領地としました。
そして天下統一を進めていた豊臣秀吉に、その腹心・石田三成を通じて謁見。
南部家に先んじて津軽地方の本領を安堵され、これにより大浦家は南部家とは独立した大名と認められたのです。
そのことを恩義に感じた大浦家(のち津軽家)は、幕府に睨まれることを承知の上で、秀吉の木像を祀っていたそうです





現在北の郭に遺構はなく、武徳殿休憩所があるだけです。
中は案内所、喫茶店、売店が備わっています。
ここで絵はがきと、本日のお夜食を購入し、



本丸・北の郭の有料ゾーンを後にしました。





弘前城・第1章~消えた天守

2016-11-02 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 6 年 9 月 1 5 日 ( 木 )

午 後 2 時 3 0 分

青 森 県 弘 前 市

弘 前 駅 城 東 中 央 口



津軽の城下町・弘前に下り立ちました。



めざすは弘前城、アクセスの手段は今回もバスです。

弘前にも「100円バス」というありがた~い交通手段が10分おきに出ています。
往復で乗車しても、レンタサイクルより安いバスを利用しない手はありません。
弘前駅の西口にあたる城東中央口のバスプールより乗車します。



津軽といえばやっぱりリンゴですねぇ。
14時32分、弘南バスさんも定刻どおりの運行で弘前駅を発ちました。
青森のバスは優秀ですなぁ。



バスは順調に弘前の市街地を走行し、14時50分に最寄りの市役所前バス停に到着しました。


※弘前城寄りの駅出口は、「城東口」ではなく「中央口」です。
 お詫びして訂正させていただきます。 (2016年11月16日追記)



【今回のバス乗車記録】

弘前駅前 2番のりば 14時32分発
弘南バス 土手町循環バス
市役所前バス停 14時50分着

*乗車時間 18分  *運賃 100円


バス停から徒歩2分ほどで、



弘前公園(弘前城)入口にあたる三の丸追手門【国指定重要文化財】が見えてきました。

曲輪は水濠で囲われていて、さらに土塁が造成されています。
東日本の城郭の例に漏れず、石垣は造成されておらず土塁のみで枡形が構成されています。
また門構えは櫓門の一棟のみで、外側に高麗門などの門構えがないのは、古い形式の枡形構造とされています。
この門が建造されたのは慶長16年(1611年)、2代藩主・津軽信枚(のぶひら)の治世です。

中秋の青空の下、波紋ひとつ立っていない水濠、端正に整っている土塁と櫓門がとても美しく配置されています。



「史跡 弘前城跡」の石標と追手門。



追手門をくぐって、弘前城の登城スタート!




午 後 2 時 5 5 分

弘 前 城 内 へ


追手門をくぐり、まずは三の丸



三の丸には弘前城植物園三の丸庭園があるようです・・・が、まずは天守をおさえておきたいのでここはスルー。



三の丸と二の丸を隔てる中濠へ。
濠の向こうには二の丸辰巳櫓【国指定重要文化財】が建っています。

 

中濠にかかる杉の大橋
架橋当時は杉材で造られていたそうですが、文政4年(1821年)に付け替えられた際にヒノキ材となったようです。
またこの付替えのときに、橋の両詰めに石垣が造成されたということです。



杉の大橋から眺める中濠
濠の両側には桜が植えられています。



同じく中濠の西側。
向こうには二の丸未申(ひつじさる)【国指定重要文化財】が・・・あまりよくは見えないですね。



杉の大橋を渡るとふたつめの枡形構造。
入口の三の丸追手門と同様、ひとつの櫓門と土塁による枡形によって構成されています。



二の丸への入口・二の丸南内門【国指定重要文化財】。



南内門をくぐり、二の丸へ。



二の丸に入ってからは本丸へ急がず、先ほどの2基の櫓を間近で見ていきます。



まずは南西にある二の丸未申櫓
弘前城の現存する櫓は3基あって、いずれも二の丸にあります。
現存する櫓のいずれもが三階櫓となっています。

次は南東にある二の丸辰巳櫓ですが・・・

 

発掘調査のため立入が制限されていて、なかなか近付けない!
そんな中、立入制限区域に入らないようにして近づいて撮った辰巳櫓がこちら。



う~ん、イマイチ。



立入制限区域限界からの二の丸辰巳櫓、その弐。
・・・やはりイマイチ。早く発掘調査終わらせてよ・・・(T_T)



しつこく二の丸辰巳櫓・・・これが限界です。



弘前城で最も内側にある水濠、内濠です。
土塁には桜の木が植わっていて、桜の名所・弘前城でも指折りの花見スポットとなっています。



二の丸と本丸を結ぶ下乗橋
本丸に上る藩士は、この橋の前で下馬しなければならない決まりとなっていたそうです。

そして下乗橋と天守、満開に咲き誇る桜!・・・というのが弘前城を語る上で欠かせない佳景。
橋から天守を望んでみれば・・・



鮮やかな晴天の下には、天守台のみが残されておりました。





リゾートしらかみ「橅」

2016-11-01 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 1 5 日 ( 木 )

午 後 1 時 4 3 分

青 森 駅 1 番 線 ホ ー ム



八戸からこの日最初の乗り鉄で、かつてのJR東北本線の終点・青森駅に到達しました。



現在は青い森鉄道線の終点となっている青森。
この日の宿は青森駅のすぐ近くに宿をとっていますが、この時は立ち寄らずこのまま弘前をめざします。

次に乗車する電車は事前に調べたところによれば、14時05分発 奥羽本線 普通電車 弘前行きです。
弘前には14時45分に到着予定ということで、後にひかえる弘前城【国指定史跡】の登城を満喫するにはギリギリのタイムスケジュールとなります。



・・・・・・時はさかのぼること1時間半前、八戸にて。

 

八戸駅前の「味まる」さんで舌鼓を打ちつつ、弘前までのアクセスをスマホさんで確認すると、弘前駅 14時25分着という結果が出てきました。
よく見てみると、臨時快速「リゾートしらかみ」を使えば、予定より20分早く到着するのです。



「味まる」を出た私は迅速に八戸駅に駆け込み、



指定席券(320円)を購入。20分の時間を金で買ったのでした。





こういうわけで今度の列車は、13時51分発 奥羽本線 快速列車「リゾートしらかみ4号」 五能線経由 秋田行きです。

その名のとおり、世界遺産・白神山地への観光列車です。
ルートはなかなか変わっていて、青森駅を発つと弘前駅まで進み、ここで1回目の折り返し(方向転換)
次に弘前から2駅の川部駅まで進み、2回目の折り返し
列車はこのまま五能線に入り、日本海の絶景を眺めつつ、白神山地のふもとを通り、五能線の終点・東能代駅へ。
3回目の折り返しをして再び奥羽本線に入り、終点・秋田駅へと向かいます。

・・・とダラダラ述べましたが、私が乗車するのは五能線にも入らない弘前駅止まりです。



「リゾートしらかみ」が待つ4番線。駅名標はJR東日本仕様のものです。



すでに入線しているHB-E300系「リゾートしらかみ・(ぶな)編成」
平成28年7月にデビューしたばかりの新型ハイブリッド気動車です。



私にあてがわれた指定席は、B室 2号車5番A席。「B室」って何だ??



「B室」のことは置いといて、とりあえず2号車に入ってみると・・・これ個室じゃねぇのか???
不安になったので、乗務員が詰めている隣りの1号車に行ってみました。



1号車の様子。このような座席を想像していたのですが・・・
指定席券を呈示して乗務員に聞いてみると、指定席券で予約されている席は確かに先ほどの個室のような車両だというのです。
「B室」とは「ボックスシート」という意味なのだとか。



「リゾートしらかみ乗車記念」のスタンプがあったので、ここでゲットしておきました。
車体と同じく緑色のインクですね。

乗務員に確認したので、私の指定席へ。



漢の一人旅には広すぎる、4人掛けのボックスシート。
進行方向右側の大きな窓は、五能線が見せる雄大な日本海((C)よね先生)を余すところなく愉しめそうです。



ボックスシートに備え付けてある灯りは、秋田の伝統工芸・曲げわっぱを使用しているのでしょうか。

それにしても八戸駅のみどりの窓口さん、ヘンなところで頑張ってくれちゃいました。
でも・・・・・・うれしいぞ。




午 後 1 時 5 1 分

リ ゾ ー ト し ら か み 発 車


このブログの旅日記史上最も快適な列車旅がスタートしました。

弘前までに停車する駅は、青森の隣り・新青森駅のみです。



地上にあるしがない奥羽本線ホームの向こうに見えるのは、新幹線ホームが入っている駅舎。
いうまでもなく東北新幹線の終点駅、かつ北海道新幹線の起点駅であります。

新青森で新幹線からの乗客を収容し、リゾートしらかみ4号はノンストップで弘前に向かいます。




青森県西部・津軽地方は津軽平野が広がる豊かな農作地帯。







田園地帯を進み、ついに・・・



津軽のシンボル「お岩木山」が見えてきました。



「お岩木山」「津軽富士」とも呼ばれる岩木山
標高は1,625メートルで、青森県の最高峰であります。
平坦な津軽平野にただ一つとしてそびえる姿は、青森出身の文豪・太宰治が小説「津軽」でこのように著しています。



「『や! 富士。いいなあ。』と私は叫んだ。富士ではなかつた。津軽富士と呼ばれてゐる一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふはりと浮んでゐる」



「実際、軽く浮んでゐる感じなのである。」



「したたるほど真蒼で、富士山よりもつと女らしく・・・」



十二単衣(じゅうにひとえ)の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたやうにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく・・・」



「静かに青空に浮んでゐる。」



「決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとほるくらゐに嬋娟(せんけん)たる美女ではある。」

・・・ちなみにこの評は、岩木山の北側、金木(太宰の出身地)、五所川原方向から見た岩木山を見て述べたものです。
弘前側から見た岩木山に対し太宰は、「いかにも重くどつしりして、岩木山はやはり弘前のものかも知れないと思ふ」と述べています。
津軽出身ゆえに津軽に対して毒を吐く太宰は、西側から見た岩木山に対しては「まるで駄目である。崩れてしまつて、もはや美人の面影は無い」と述べています。

地元愛あふれる太宰は、さらにこのあと思いっきり毒を吐きます。

「岩木山の美しく見える土地には、米もよくみのり、美人も多いといふ伝説もあるさうだが、米のはうはともかく、この北津軽地方は、こんなにお山が綺麗に見えながら、美人のはうは、どうも、心細いやうに、私には見受けられたが、これは或いは私の観察の浅薄なせゐかも知れない」

・・・・・・私は、この件についてはノーコメントとさせていただきます。



ともかく、リゾートしらかみから眺める岩木山と黄緑に輝く田んぼ、そして繁茂するりんごの樹の風景を存分に愉しんで、



列車は弘前駅に到着しました。
到着時刻14時25分、快適な列車旅はわずか34分で終了しました。




弘前駅の城東口から外へ。
津軽の名城・弘前城の登城へ向かいます。



【今回の乗車記録】

JR東日本 青森駅 4番線 13時51分発
奥羽本線 快速 リゾートしらかみ4号 五能線経由 秋田行き 4両
弘前駅 3番線 14時25分着

*所要時間 34分
*移動距離 37.4km   *運賃 指定席 320円 乗車券は北海道&東日本パス使用(不使用の場合は670円)