鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

白石城~強行

2010-12-19 | 城郭【続日本100名城】


2 0 1 0 年 1 2 月 1 1 日 ( 土 )

午 後 3 時 0 6 分

福 島 県 二 本 松 市

J R 二 本 松 駅



昼の短き時節、日の傾き始める頃。



二本松城【国指定史跡】を退去し、歩いて二本松駅に戻ってきました。


今回の旅で目的地としていたふたつの城を訪れ、あとは拙宅に戻るだけとなりました。
このときの時刻は、午後3時を回ったばかり。
二本松から東京までの所要時間は、大きく見積もってもだいたい5時間くらい。ということは・・・

まだいける。

そこで100名城をもうひとつ登城できないか、検討してみました。
二本松から近い100名城は・・・
 ・会津若松城【国指定史跡】(福島県)
 ・仙台城【国指定史跡】(宮城県)
 ・多賀城【国指定特別史跡】(宮城県)
携帯さんで時刻表を調べたところ、いずれも帰りの電車がなくなるという結果が出ました。

ただ、100名城ではないのですが、宮城県南部の白石城には行けそうだということがわかりました。
そこで急きょ、東北本線の上り電車ではなく、下り電車へ。


二本松駅のキオスクに立ち寄り、ちょっとしたおみやげを探してみました。



そこで見つけた赤べこのストラップを買いました。
(画像には・・・白石城で買ったおみやげも写っていますねぇ)


【今回の金銭支払記録

赤べこのストラップ 367円 (残553円)



おみやげを買って、程なくやって来た 15時16分発 東北本線 普通電車 福島行きに乗車。
福島駅には、15時39分に到着。

福島駅からは、さらに東北本線を北上。
待ち時間もほとんどなく、15時45分発 東北本線 普通電車 仙台行きに乗り継ぐことができました。

予定にはなかった宮城県入り。
16時18分、白石駅に到着しました。


【今回の乗車記録】

JR東日本 二本松駅 1番線 15時16分発
東北本線 普通 福島行き
福島駅 3番線 15時39分着

福島駅 1番線 15時45分発
東北本線 普通 仙台行き
白石駅 1番線 16時18分着

*所要時間 1時間02分(移動時間 56分 待ち時間 6分)
*移動距離 56.5km  *運賃 18きっぷ使用(不使用の場合は950円)

※運賃は当時のものを掲載しています。




午 後 4 時 2 0 分

宮 城 県 白 石 市

J R 白 石 駅


白石城に行く前に、まずなすべきことは、終電時刻の確認
調べたところ、白石からの終電は17時48分。
滞在時間は1時間半弱といったところです。

さらになすべきことは、白石城の位置確認。
登城予定外の城とあって、白石城に関する情報はほぼありません。
駅の案内所で周辺地図をもらいます。
白石城までは大した距離はなさそうでした。


それでは、白石城へ!


刻々と、宵闇が空を覆っていきます。

駅前の道を歩いていると、片倉小十郎ののぼりがやたらと多く立っているのを見かけます。
カプコンの某ゲームのものと見受けられます。
わが鬼ヅモ同好会で片倉小十郎といったら、



断然コッチですな。


片倉小十郎、諱は景綱
米沢城主・伊達輝宗に才を見出され、嫡男・梵天丸(のちの政宗)の教育係となります。
片目を失い内気になる梵天丸に対し、失明した右目をえぐり出すという荒療治をしたといいます。
成長した政宗は闊達な武将となり、24歳にして南奥州に覇を唱えました。

「伊達三傑」のひとりで、武の伊達成実(しげざね)、政の鬼庭綱元と並び智の武将とされています。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐の際には、時機の遅れを説き秀吉との徹底抗戦を説いた成実に対し、秀吉を「夏のハエ」にたとえ「追い払ってもしつこく飛んでくるから」と小田原への参陣を主張し、主家の危機を救いました。
秀吉は、三春の地(福島県)を景綱に与え政宗との分断を図りましたが、景綱はこれを固辞し、終生政宗に仕えました。
征夷大将軍となった徳川家康も、景綱の智勇を高く評価したといいます。



白石城へ向かう城来路(シロクロード)へ。
そこに待ち受けていたのは、片倉小十郎ののぼりよりはるかに多い、飛び立つカラスの群れ
城に近づくにつれ、迫る宵闇、カラスの群れ。
否が応にも緊張感が高まってきます。
おおガラス6体(ドラクエ3)よりも普通のカラス200羽(推定)のほうが断然恐ろしく感じます。



幸いにしてカラスの群れに襲われることはなく、白石城に到着しました。



時刻はすでに閉館時刻を過ぎ、本丸には入れませんでした。
そびえ立つ三階櫓【再建】と大手門【再建】をながめるだけとなりました。

さてこの「三階櫓」は事実上の天守となっていますが、白石城では「天守」とはいいません。
それは、片倉氏の主君である伊達氏の居城である仙台城天守がないため、それに遠慮して「天守」と呼ばないのだそうです。


白石の地は、鎌倉時代に刈田(かった)氏が居住して以来、所領としていました。
刈田氏は白石氏と改め、伊達氏に仕えます。
しかし天正18年(1590年)豊臣秀吉奥州仕置により、伊達家の領域に属していた白石は召し上げられ、蒲生氏郷に与えられました。

氏郷は白石に家臣・蒲生郷成を配し、郷成により白石の地に城が築かれることとなりました。
これが白石城のはじまりです。
蒲生氏郷の死後は上杉景勝の領地となり、上杉家臣・甘糟清長が城主となり、再構築がなされました。
関ヶ原の戦い直前、伊達政宗が白石城を攻略し、片倉小十郎景綱が城主となりました。

以来倒幕まで260年余り、一国一城令の例外として存続し、片倉氏が代々城主を務めました。
戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟が白石城で結ばれ、その公議府が置かれました。



当時のデジカメさんのキャパシティの限界で、画像には残っておりませんが・・・
宵闇に月がかかる三階櫓は、なかなか趣深いものでした。



本丸に入れなかった代わりに、白石城歴史探訪ミュージアムにあるおみやげ屋さんへ。



ここでは白石城の絵葉書&切手セット(200円)と、片倉小十郎の付せんセット(300円)をお買い上げ。


【今回の金銭支払記録

白石城の絵葉書&切手 200円
片倉小十郎の付せん  300円 (残53円)


いちおう白石まで足を運びましたが・・・やっぱり三階櫓には上ってみたかったな。
100名城ではないですが、白石城への再訪を心に誓い、白石駅へと戻っていきました。



※白石城は、平成29年4月6日付で「続日本100名城」に選定されました。(第5番)






最新の画像もっと見る

コメントを投稿