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鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

「真田十勇士」攻略記・第1章~佐助と六郎

2017-05-15 | 日記


2 0 1 6 年 5 月 4 日 ( み ど り の 日 )

午 前 8 時 0 0 分

鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 会 場



大会恒例となりつつある私のレトロゲーム攻略。
某番組の有野課長のようなことをしているわけです。

前回、ちょうど1年前は、「暗黒神話 ヤマトタケル伝説」というなかなかカオスなアドベンチャーゲームを攻略しました。

そして今回は・・・



「真田十勇士」です。

「真田十勇士」は、株式会社ケムコ(当時)より昭和63年(1988年)6月27日に発売されたゲームです。
ちなみに昭和63年に発売されたゲームは、ドラゴンクエストIII(エニックス)、ファイナルファンタジーII(スクウェア)などの名作があります。
また信長の野望 全国版(光栄)、三國志(光栄)といった歴史シミュレーションゲームのシリーズが産声をあげた年でもあります。
そうそう、鬼ヅモ同好会ではおなじみ?の独眼竜政宗(ナムコ)も、昭和63年に発売されました。


さて話を「真田」戻して・・・
そもそも「真田十勇士」とはどういった物語かといいますと、主人公は大坂の陣「日の本一の(つわもの)と賞賛される活躍をした真田幸村です。
ちなみに「幸村」とは実際の名ではなく、本名は信繁(のぶしげ)といいますが・・・ここでは「幸村」で統一しますね。
その真田幸村に仕えた10人の家臣が、主従で大活躍をするというストーリーなのです。



それでは「真田十勇士」、開幕。









※ご注意
今回の攻略記も、ネタバレの要素を多分に含みます。
このゲームを自力で攻略されたい方は、閲覧されないことをお奨めいたします。























午 前 8 時 0 6 分

信 州 ・ 上 田 城


ストーリーは真田の本拠地・信州上田城から。
上田城主にして幸村の父・真田昌幸との会見より、ストーリーは始まります。



「わしも家来もすっかり年をとってしまった」などと弱気なことをのたまう父。



「これからはお前たち若者の時代じゃ」とおっしゃいます。
諸国にいる十勇士を仲間にして、徳川家康の首をとることが最終目的だと告げます。
そして最初に、上田の山奥に住んでいる白雲斎(戸澤白雲斎)という人物に会うように教えられます。


会見が終わったところで、幸村のステータスを見てみましょう。



おお、なんたるオヤジ顔・・・。
さて家来の項目を見てみると、武士 20人とあります。これがRPGでいうところのHPにあたるんです。
忠誠度 10・・・このゲームには家来(兵隊)の忠誠度というのがあり、忠誠度が低いと戦いであまり働いてくれなくなります。つまりは攻撃力が落ちます。
そして忠誠度が0になると、家来が謀反を起こし戦闘になるそうです。
最後に武器 刀は、家来がもつ武器のことで、家来1人につき決まった武器が1つ必要になります。

まずは忠誠度の低い家来に米を与え、忠誠度を上げましょう。



このゲームの「通貨」としては、金(小判)があります。
金で米と武器を買い、米はただ家来に褒美として与えるためのものです。
実際に兵糧として消費するものではなく、
行軍するたびに米が減っていくわけではないのでご安心ください。

金は、敵と戦って手に入れるほかに・・・



町にある賭博場の丁半博打でも増やすことができます。
小判50両を賭けて、勝てば2倍の100両を手にすることができます。
序盤では一番安全な金稼ぎの方法ですが、中盤以降では敵を倒したほうが稼げます。

そしてこのゲームの大きな特徴。
それは宿屋がないことです。
そして薬草やポーションの類もないのです。
持ち物は、金・米・武器とイベントアイテムのみです。


とりあえず、上田城の外へ出てみます。



ドラクエチックなフィールド画面。
フィールド上をうろついていると、敵が出現します。



くの一が現れました。



「密令により、お命頂戴します」と前口上を述べてきます。
戦闘ごとにいちいち前口上があるのですが、これには重大な意味が含まれています。
それはともかく、幸村隊がくの一の集団に攻撃を仕掛けると、敵はあっさり倒れました。
そして戦利品・・・小判だけなのですが、敵の中でもくの一はかなり金を持っています。


次に出会った敵・・・盗賊



明らかに時代を誤っている姿・・・。
なぜか戦闘BGMも他の敵とは異なります
前口上も「身ぐるみを置いていけ」などと、ナメたことを言ってきますので、返り討ちにしてやりましょう♪



盗賊、つえぇぇ~(ToT)
全滅すると、命からがら落ちのびて上田城に退却することとなります。


再び上田城を出陣。



今度は農民が現れました。



「これから代官に直訴するだ! 邪魔立てするでねえ」と荒ぶっております。
領民をいたわる幸村どのは、「はなしあう」を選択。
すると農民が説得に応じ、さらに部隊に入隊というのです!
その際にいくらかの米と、部隊に応じた武器が必要になります。
幸村隊の武器は刀なので、買っておいた刀を分け与えます・・・ただし幸村の訓練に耐えられなかったということで、一部の農民は逃げてしまいました。

さらに別の戦いでさむらい部隊の説得に成功。
すると今度は払う米は僅少ですみ、さらに刀が不要でした。
ということは、同じ部隊を説得すれば、武器は不要だとわかりました。


兵力を増強する手段がわかったところで、ひだ(飛騨)の村へ移動します。



佐助を知る女性に話しかけると、イベントアイテム・いしょ(白雲斎の遺書)を託されます。
それを上田の山奥にある小屋に持っていくと・・・



白雲斎の遺言に従い、甲賀忍者・猿飛佐助が仲間になります。
仲間になった佐助は、「上田の城下に望月六郎が住んでいるので、仲間になるよう説得する」といいます。


上田に戻り望月六郎に会見すると、らいたあ(ライター)が欲しいと言ってきます。
このように、十勇士たちを仲間にするには「おつかいイベント」をこなす必要があり、あっさり仲間にはなってくれません。



再び飛騨の村に戻り、南蛮かぶれのじじいから50両でらいたあを譲ってもらいます。
そして上田城下へ。



らいたあが手に入ってご満悦の望月六郎が仲間になります。
このゲームでの六郎は、爆弾を使いこなす甲賀忍者ということになっています。


上田の北にある関所。



ひとりで関所を守る兵士。こんな関所、あっさり突破できそうな気もしますが・・・



このゲームでは命令コマンドで望月六郎に命令して関所を爆破することで、関所の行き来ができるようになります。

ちなみに佐助の命令コマンドは、武器の収集です。
無料で武器を20程度調達してきますが、たまに失敗して兵を失うこともあります。
佐助の特技はあまり使わないかもしれません。



ともかく十勇士のうち2人を配下にした幸村。
さらなる仲間と家康の首を求め、旅は始まったばかりです。



第70回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記・第1話に戻る。


市電1日乗車券・後日談

2017-03-16 | 日記


2 0 1 7 年 3 月 1 6 日 ( 木 )

午 後 5 時 5 5 分

千 葉 県 松 戸 市

喫 茶 店 に て



この日は仕事を早々に切り上げ、100名城登城の旅「北日本完全制覇!?」を編集中でした。
旅日記の「函館編」にリンクづけをしていたところ、ふと気になったことがありました。



私の旅先での屈辱。

市電1日乗車券の使用日付を2016年9月17日とすべきところ、2016年・・・9日としてしまったのでした。
このために急遽新たな1日乗車券を買うハメになってしまったのでした。

旅から戻った2016年9月当時なら、まだ2016年10月9日、11月9日、12月9日に有効利用できたのですが、残念ながらその機会もありませんでした。
失敗を忘れないためのモニュメントとなってしまった1日乗車券は、この姿のまま、今でも私の手元にあります。



この1日乗車券を有効利用する手はないものか・・・ふと考え、ネットで検索してみると、未使用であるならば払い戻すことができるという情報を得ました。

未使用・・・たしかに未使用ではありますが、間違ってスクラッチした1日乗車券は払い戻すことができるのでしょうか?
その疑問を解決すべく、函館市交通部事業課 電車担当あてに電話をかけちゃいました!!

tururururururu・・・ 「はい、電車です」

おおぅ、いきなり「電車です」と名乗るとは・・・

私『市電の1日乗車券のことでお尋ねしたいのですが』
私『乗車券のスクラッチを間違ってしまったのですが、これはどうしたらいいのでしょう』

電車「間違えたのでしたら、交換することができますよ、年月日を完全に削りきる前でしたら」

何だと!? だったらあのとき新しく乗車券を買う必要はなかったのではないか!

電車「間違えたのは本日ですか?」
私『いえ、2016年9月です』
電車「う~~ん、それでしたら交換することはできませんねぇ」

むむむ・・・ということは間違ってスクラッチしたら、すぐに交換すればよかったのか・・・。
しかしなおも食い下がる私。

私『じつは2016年9月17日に乗車券を使おうとして、「2016年」を削って、そして間違えて「9日」のところを削ってしまったんですね。
  それで月のところは削ってなくてそのままにしているんですよ。その場合は交換できませんか?』

電車「う~~~ん・・・やはりできませんねぇ・・・申し訳ありません・・・」

なんと電車のおじさんを困らせてしまいました。
払い戻しなり、乗車券交換なりで利得を得ようとは全く思っていない私。
電車のおじさんを困らせることなど、まったく本意ではありませんでしたので、

私『いやいや、ちょっとふと疑問に思ったので質問してみたまでなんです。こちらこそ申し訳ありません』

そして電話は終了。



函館1日乗車券についての教訓。

もしスクラッチをミスしたら、これ以上手をつけず、直ちに購入した場所で交換を申し出るべし。





ハイソフト「日本の名城」15城目

2017-02-18 | 日記


2 0 1 7 年 2 月 1 6 日 ( 木 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



前日に名城中の名城・姫路城を引いた私。
残るカードは2枚という状況で、この日も驚異の引きをやってのけました。



黒壁の天守閣といえば、No.15 岡山城!

カードの絵柄は「烏城」の異名をもつ天守【外観復元】です。
画角はおそらく南東側、そばを流れる旭川の船上から撮影したか、対岸の後楽園から撮影したのでしょうか。
夕刻の「烏城」もなかなかのものですね(*^_^*)


戦国時代、岡山周辺を支配していた金光宗高を、1573年(天正元年)に宇喜多直家が暗殺して勢力を拡大したところから、岡山城の歴史は始まります。
直家は備前の戦国大名浦上宗景の支配下にあった「暗殺のプロ」ともいうべき謀略家でした。
ついには宗景に反旗を翻して勝利、追放し、備前一国を支配する大名にのし上がりました。

そんな折、近畿からは織田信長が中国地方にまで勢力拡大を図ると、直家は中国攻略の総大将・羽柴秀吉に降伏し、その勢力を保つことに成功。
ですが直家は病に倒れ、嫡子秀家の行く末を秀吉に託し、世を去ります。
このとき直家は、自らの妻を秀吉の側室に出したため、秀家は秀吉の一門と同様の扱いを受けました。

その秀家は成長して備前57万4千石の大名となり、直家以来の居城が手狭になったため、あらたな城を築くことを計画します。
天正18年(1590年)から築城が始まりました。
途中の朝鮮出兵で秀家は総大将になったため中断しますが、帰国後に再開し、慶長2年(1597年)ここに岡山城が建ったのでした。

しかし秀吉死後の関ヶ原の戦いで西軍の首脳となった秀家は八丈島へ流されることとなり、代わって備前に入ったのは小早川秀秋です。
秀秋は岡山の城下の開発に精を出しましたが、2年で死去。
世継ぎがいなかったため家名は絶えてしまい、代わって池田家が入り、明治維新まで続きました。

明治に入ると城の建物は多く撤去され、また戦時には空襲のため天守などが戦災にあって焼失してしまいます。
天守は昭和41年に外観復元というかたちで再建され、現在に至っています。



岡山城は1度登城をしております。
岡山城単独というより、対岸にある後楽園からの岡山城天守が素晴らしく見えました。
また岡山城天守と後楽園を隔てる旭川には月見橋という橋がかかっていて、橋上からの岡山城天守も画になるものでした。
カードで採用された画角は、私が見てきたものとは異なる画角。
私の登城旅もまだまだ甘いのかな~とは考えつつも・・・

カードは残り1枚!

残るカードはNo.10。
番号は北東から南西へ順番に付けられているので、No.10の名城は名古屋城(No.9)以西以南、大坂城(No.11)以東以北ということになりそうです。
考えられるのは滋賀県、三重県、京都府、奈良県のどこか。
Google先生の力を借りればたちどころにわかるのでしょうが、最後の名城は自分で引いて確かめたいと思います。

私の予想としては、
 ◎ 二条城(京都、二の丸御殿が国宝となっている)
 ○ 彦根城(滋賀、天守が国宝、ひこにゃんで有名、平成29年の大河ドラマの影響?)
 △ 伊賀上野城(三重、石垣が高く天守もある、100名城)
このあたりでしょうか。



最後のカードを心待ちにしつつ、明日もおやつは森永ハイソフトです。





ハイソフト「日本の名城」14城目

2017-02-18 | 日記


2 0 1 7 年 2 月 1 5 日 ( 水 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



2月15日。
前日はとある方から巨大なチョコレートマフィンをもらったので、いつものハイソフトはお休みしていました。
この日はその余韻にひたることなく当然森永ハイソフトをおやつにいただきます。


2月の中旬、立て続けに新しいカードを引いています。
そしてこの日は・・・



ついに出ました! 名城中の名城・姫路城です!! あ、No.12ですよ。

カードの絵柄は、現存では最大の規模を誇る天守群です。
姫路城の天守は、絵柄中央の大天守【国宝】、右端の東小天守【国宝】、大天守の裏に西小天守【国宝】、東小天守の裏側に乾小天守【国宝】の4基が建っています。
なお「乾(いぬい)」とは十二支の戌(いぬ)亥(い)で、北西の方角を表します。
それらの天守が4棟の渡櫓(イ・ロ・ハ・ニの渡櫓)【国宝】で連結されている構造です。
カードに写っているのはイの渡櫓で、反時計回りにロ・ハ・ニとついているようです。

さらに絵柄にある城門、櫓、さらには城壁まで、これらのほとんどが現存しているものであり、国指定の重要文化財になっているのです。

姫路城は数ある城の中でも別格。
相撲でいうなら横綱ではなく大横綱、谷風双葉山大鵬千代の富士クラスなのです。


姫路城は、播磨守護・赤松則村が正慶2年(1333年)にとりでを築き、その子・貞範が正平元年(1346年)に城を構えたことに始まります。
その後、家臣の小寺氏、黒田氏が守っていました。
小寺氏の家臣であった黒田官兵衛孝高は、主家ともども羽柴秀吉に帰順しました。
秀吉は、姫路城を西国攻略の本拠地とし、天正9年(1581年)に改修、天守を完成させました。

その後、秀吉の弟・秀長、秀吉の一族・木下家定が城主を務め、関ヶ原の戦いの後は池田輝政が入封しました。
輝政は、8年の歳月を費やして改修、拡張し、現在の天守を築きました。

池田氏3代の後は、本多忠政が入封し、長男・忠刻とその室・千姫のために西の丸を整備し、現在の姫路城の姿となりました。
その後、城主は松平氏、榊原氏、酒井氏と変わり、明治維新を迎えました。

平成5年(1993年)12月、姫路城は法隆寺地域の仏教建造物とともに、ユネスコの世界遺産委員会で、わが国で初めて世界文化遺産に登録されました。


(※1346年は南朝方では正平元年、北朝では貞和2年となりますが、赤松氏範は最終的に南朝についたので、南朝の元号を表記しています)


わが国最初の世界遺産ということもあり、



前回のシリーズ「日本の世界遺産」でも採用されていた姫路城。
このカードの画角は南西側からの天守群、おそらくは西の丸から撮影したものでしょうか。
大天守と、中央に西小天守、左端に見切れた乾小天守が写っています。


私は姫路城を2度登城していますが・・・



平成23年(2011年)1月8日の第1回登城では、平成の大修復のまっただ中で、大天守は覆いの中。
当然天守には入れませんでした。
そして第2回登城。

 

平成27年(2015年)3月23日、平成の大修復は完了し、グランドオープン3日前。
真っ白になった大天守は見られたのですが、立入禁止区域が前回よりも広がっていて、あまり中に入れなかったのでした。

こういうこともあり、「日本の名城」カードの画角である東側からの天守群は拝見したことがありません。
姫路城、ここもまた私が再訪しなければならない名城であります。



「日本の名城」カードは残り2枚、明日のおやつも森永ハイソフトです。





ハイソフト「日本の名城」13城目

2017-02-15 | 日記


2 0 1 7 年 2 月 1 3 日 ( 月 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



2月13日。
この日もチョコレートではなく森永ハイソフトをおやつにいただきます。


2月に入ってからの引きはなかなかのもので、多少ダブリは出るものの、すんなりと新しいカードが出てきているという印象です。
そしてこの日のカードは・・・



巨大な天守閣、屋根に輝く金のしゃちほこと来れば・・・No.9 名古屋城!

カードの絵柄は日本一の容積を誇る大天守【外観復元】です。
このカードには写っていませんが、隣には小天守があり、両者は連結しています。


名古屋城は徳川家康の命により、西国の諸大名による「天下普請」により築城されました。
家康は名古屋城を九男・義直に与えました。
この義直の家系が尾張徳川家であり、水戸、紀州と並ぶ「徳川御三家」のひとつです。

名古屋城は江戸時代を通じて尾張徳川家が城主を務めました。
明治維新を迎えると城郭は次々と破却されていきましたが、名古屋城は明治政府の決定により破却を免れました。
しかし第2次大戦で米軍の空襲を受け、天守と御殿は炎上してしまいました。

現在の天守閣は、戦後に鉄筋コンクリート造で復元されたものです。



そして現在の名古屋城には、大天守の脇にエレベータが据えられているのですが・・・
さすがに森永さんはそんな画角で撮りはしませんね~(*^_^*)

そんな名古屋城の大天守ですが、鉄筋コンクリートから木造へと再建しようというプロジェクトが立ち上がっているようです。
そして現在の大天守は耐震性能が低いため、立入禁止になってしまうとか・・・(・_・;)

私事ながら、名古屋城は2009年に登城していますが、このときはあまり時間がなく、すみずみまで回りきれませんでした。
(登った城のほとんどがそうなのですが)
ここもまたじっくりと歩いてみたいですね。



残るカードはいよいよあと3枚。
残りの城はどこなのか・・・Google先生の力は借りず、森永ハイソフトを食べて自ら確認していきます。





ハイソフト「日本の名城」12城目

2017-02-10 | 日記


2 0 1 7 年 2 月 8 日 ( 水 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



週の半ば、水曜日。
当然のごとく行きつけのコンビニで森永ハイソフトを購入します。


11枚目の出た日曜日からわずか3日で、12枚目を引くことに成功しました。



雲海に浮かぶ廃墟のような城址・・・No.13 竹田城!
兵庫県の山の中にあって、某CMで「日本のマチュピチュ」と紹介された城址です。
カードでは、本丸から望む南千畳と呼ばれる曲輪の画角が採用されています。



ハイソフトのパッケージにも採用されている3つの城のひとつでもあります。


竹田城の築城時期は15世紀半ば、1440年代ごろと考えられています。
室町幕府6代将軍。足利義教(よしのり)が播磨国(兵庫県南部地方)の守護・赤松満祐に暗殺される事件が起きました。
隣国・但馬(兵庫県北部)の守護・山名宗全は幕府の討伐令を受け播磨に出撃、赤松満祐を滅ぼしました。(嘉吉の乱
このときの播磨への出撃拠点として築城され、山名氏の重臣・太田垣氏が代々城主を務めました。

のち山名宗全は、戦国時代の幕開けとなった応仁の乱で西軍の総大将を務めています。
また東軍の総大将・細川勝元の支援を受け、赤松氏は播磨で再興を果たしました。
以後、播磨・但馬国境で山名・赤松両氏のにらみ合いが続いていきます。

時代は下り16世紀後半、織田信長が台頭し、天下布武(天下統一)が進んでいきます。
信長は、中国地方の総司令官として羽柴秀吉を播磨に派遣しました。
播磨の守護であった赤松氏は信長に降伏。
山名氏は毛利氏と組んで抵抗したため、竹田城は秀吉の弟・秀長の軍勢に攻められ、落城しました。
城主の太田垣氏はその座を追われ、降伏した赤松家の赤松広秀(のち斎村正広に改名)があらたに城主になりました。
正広のもとで竹田城が改修され、山頂に広がる総石垣の城に生まれ変わりました。

関ヶ原の戦いでは、斎村正広は西軍につきましたが、東軍に寝返ります。
そして西軍方の鳥取城を攻めましたが攻略に手こずり、城下を焼討ちにしてようやく落城させました。
この焼討ちが徳川家康の怒りに触れ、正広は寝返った武将で唯一切腹を命じられてしまいました。

主を失った竹田城は、のちの一国一城令にしたがい廃城になりました。



その後は歴史に取り残されるように、城址がそのまま遺されていったそうです。
そんなミステリアスなところもマチュピチュに似ているのでしょうね。



残るカードはいよいよあと4枚。
おやつはやっぱり森永ハイソフトです。





ハイソフト「日本の名城」11城目

2017-02-07 | 日記


2 0 1 7 年 2 月 5 日 ( 日 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



節分の日にわが御前の家で恵方巻きをごちそうになり、まるかぶりせずに切ってからいただいた私。
そんなことはともかく、おやつはやっぱり森永ハイソフトです。


先週の日曜日に引き続き、11枚目も日曜日に出てきました。



この天守閣は一目瞭然! 名古屋城ではなくて、No.11 大坂城!
戦国一の出世頭・豊臣秀吉の築いた居城が採用されたようです。
そういえばこの城も、某ドラマ「真田●」に関わりがある・・・というか真田丸があった城でしたね。


もとは、織田信長に頑強に抵抗した石山本願寺の跡地です。
天正11年(1583年)、豊臣秀吉の本拠地として築城されました。
しかし秀吉はあまり大坂城に滞在しなかったようで、その後築城した聚楽第(じゅらくだい)伏見城(京都)を居城としました。

秀吉の死後、子の秀頼は大坂を居城としました。

徳川家康関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開くと、豊臣家は一大名家に没落してしまいます。
それでも秀吉の築いた絢爛豪華な大坂城は健在でした。

そして慶長19年(1614年)11月、大坂冬の陣で家康・秀頼が衝突。
真田信繁(幸村)の勇躍もありましたが、この戦いは和議を結ぶことによって収束しました。
和議の条件のひとつに「外堀を埋める」というのがありましたが、徳川方はとぼけたフリして内堀まで埋めてしまったのです。

翌慶長20年(1615年)5月、大坂夏の陣
真田幸村は「日の本一の(つわもの)」と賞賛される活躍をし、家康を死の淵まで追い込むも、及ばずに戦死。
一方秀頼は一度も出陣することもなく、生母・淀(茶々)とともに城内で自害しました。
絢爛豪華な大阪城は炎に包まれました。

程なく大坂城は再建されます。
豊臣時代のそれとはまったく姿を変えての、いわば新築ともいえるものでした。
天守も新たに建てられたが、のちに落雷で再び焼失しました。

昭和5年(1930年)、徳川時代の天守台に豊臣時代の天守を復興。
これが現在の天守で、国の登録有形文化財に指定されています。



大坂城は平成22年(2011年)1月に登城しました。
このとき大阪に着いたのは午後3時を過ぎていて、大坂城の登城が日没のため中途半端に終わってしまったのでした。
ここもいつかはリベンジをしたいと考えています。



残るカードはあと5枚、怒涛のダブリにめげることなく、おやつは森永ハイソフトです。





ハイソフト「日本の名城」10城目

2017-01-30 | 日記


2 0 1 7 年 1 月 2 9 日 ( 日 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



真冬の晴天の日曜日、おやつは当然森永ハイソフトです。

前話でも述べましたが、なぜか東日本のカードがやたらとダブる毎日。
五稜郭会津若松城が妙に出てきました。
姫路城なんかはレアカードで、出現確率が低く抑えられているのではないか?
なんて会話をしていました。なんら根拠はないのですが。


そして約3週間ぶりの新カード。



一目瞭然! No.16 首里城!!
最西端&最南端のカードをゲットして、残るカードは6枚となりました。


首里城の創建は13世紀から14世紀と考えられていますが、15世紀初頭に琉球を統一した尚巴志によって琉球王国の王城として整備されました。
琉球王国は中国や日本との交流があり、首里城は随所に中国や日本の建築文化の影響を受けています。

首里城は火災のために何度か焼失しており、現在の首里城は正徳5年(1715年)に再建されたときの姿をもとにしています。
明治12年(1879年)、首里城から国王が追放され「沖縄県」が置かれると(琉球処分)、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われました。
昭和20年(1945年)、太平洋戦争末期、上陸した米軍の攻撃により全焼してしまいました。
戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなりましたが、大学移転後に復元事業が推進され、首里城が復元されました。
平成12年(2000年)12月、首里城跡が世界遺産に登録されました。



私の100名城登城旅は、2016年秋に北をほぼ制覇しました。
北の次は南ということで、この次の登城旅は100名城最南端の首里城に行くのもありかな~と思っています。



今後の登城旅がどこになろうとも、当面のおやつは森永ハイソフトですな。





ハイソフト「日本の名城」9城目

2017-01-17 | 日記


2 0 1 7 年 1 月 1 0 日 ( 火 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



ハイソフト「日本の名城」全16枚中、半分の8枚までをゲットしました。

No.1 五稜郭(函館五稜郭)
No.2 横手城
No.3 鶴ヶ城(会津若松城)
No.4 小田原城
No.5 越前大野城
No.6 上田城
No.7 松本城
No.8 犬山城

見事に東日本の城で占められています。
私がハイソフトを購入するのは、決まって某所のローソンなのですが、関ヶ原を越えることができません。
(越前大野城は関ヶ原を越えてはいますが・・・)

そしてついにこの日、待望の西日本の名城がやってきました。



この天守閣は書籍でよく見ます、なので即座に判明・・・No.14 松江城!

現存12天守のひとつで、姫路、彦根、犬山、松本に加えて平成27年に国宝に指定された天守です。


松江城は、関ヶ原の戦いでの功績により出雲国24万石を与えられた堀尾氏により築城されました。
所領にはかつて尼子氏の本拠地であった月山富田(がっさんとだ)がありましたが、山城であったので城下町を造成するには不向きでした。
そこで当主の堀尾忠氏は、宍道湖畔にあらたに松江城を築城することにしました。
しかし忠氏は築城前に急死、その子・忠晴はまだ幼かったので、隠居していた父の吉晴が当主を代行し、松江城の築城が始まりました。
完成目前に吉晴が急死するも、慶長16年(1611年)に落成しました。

寛永10年(1633年)堀尾忠晴没、嗣子がなかったため改易となりました。
次いで入封した京極忠高は松江城の造営を進め、完成させました。
忠高が没して嗣子がなく、京極家も改易となりました。
その後は松平直政が受け、明治維新まで続きました。



私事ですが、昨年の旅行では北海道とともに、松江城などの山陰が旅先の候補となっていました。
今年の旅先はどこにしようか・・・ハイソフトを口にしながら思案していました。





ハイソフト「日本の名城」8城目

2017-01-17 | 日記


2 0 1 7 年 1 月 8 日 ( 日 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



この日はともに食事をした知人のIさんからもらったカードです。



雪の天守閣、少しわかりづらいけど見たことがあるなぁ・・・おそらく、

No.3 会津若松城!
カードには雅称の「鶴ヶ城」とありますな。


会津若松城ははじめ「黒川城」といい、南北朝時代に蘆名氏が築城しました。
戦国時代から江戸時代にかけその城主は目まぐるしく変わり、伊達(政宗)、蒲生(氏郷)、上杉(景勝)、蒲生、加藤らが城主となりますが、それぞれ所領を失いました。
ちなみに「若松城」への改称は蒲生氏郷の時代で、彼の故郷の地に由来し、雅称の「鶴ヶ城」も、蒲生氏郷の幼名「鶴千代」から来ています。
加藤氏が改易されたのち、江戸幕府初期の名臣・保科正之が城主となって、以降討幕まで保科松平(会津松平)家の居城となります。

幕末、会津松平家の当主・松平容保(かたもり)は佐幕派の中心となったため「朝敵」とされてしまいます。
明治新政府軍による会津戦争ではその砲撃にさらされ、会津藩は降伏、会津若松城は廃城となりました。
昭和30年代に本丸が復旧され、天守閣も復興されました。



このカードの画は、おそらく天守の南東から撮ったものでしょう。
若松城の特徴である小豆色の屋根瓦が、雪のために見えにくいです。



この日は自分で買わずに、ほかの方からもらったのですが・・・
後日ダブリで若松城が出たので問題なし。

カードは16枚中8枚と、半分まで収集。
ダブリとの闘いが本格的に始まりますが、今日も明日もおやつは森永ハイソフト。