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鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

ハイソフト「日本の名城」7城目

2017-01-14 | 日記


2 0 1 7 年 1 月 6 日 ( 金 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



仕事始めから3日目。
正月休みはハイソフトもお休みだったので、ハイソフト始めからも3日目です。

この日ゲットしたカードは・・・



一目瞭然! No.1 函館五稜郭!

この絵柄の景色は、昨年の北海道旅行でも目にしました。
五稜郭タワーからの景色に相違ありません。

私はてっきりNo.1は弘前城だと思ったのですが・・・
現在の弘前城は石垣修復工事のため、天守が移転しているから、森永さんは採用を見送ったのでしょうね。


五稜郭(函館五稜郭)は、幕末に普請された星形要塞です。
幕末に欧米諸国がアジアに勢力を広げるにおよび、欧米の要塞建築を導入してできました。
城郭の中枢部分を中央に置くことで砲撃からの退避を図り、また外郭は各方面からの十字砲火が可能な造りになっています。

大政奉還から江戸開城におよんで江戸幕府が終焉を迎えたおり、これをよしとしない旧幕府軍は蝦夷地(北海道)に脱出。
五稜郭を本拠地として政権を樹立(いわゆる「蝦夷共和国」)、明治新政府に抵抗しましたが、函館は次第に新政府軍に包囲されていきます。
新選組の生き残り・土方歳三が戦死し、総裁榎本武揚は降伏し、戊辰戦争は終わりました。



ちなみに「五稜郭」とは本来五芒星(★←このカタチ)の要塞一般をいいますが、「五稜郭」といえば普通は函館の五稜郭を差します。
じゃあほかに「五稜郭」は・・・・・・長野県佐久市にも龍岡城(龍岡五稜郭)が存在します。

さらには「四稜郭」も存在します。
同じ函館市内に、五稜郭の支城的な存在だった四稜郭が、五稜郭の北東約3キロのところにありました。



そういえば北海道旅行の旅日記を長期休業しているなぁ・・・今月中にも再開しなければ。
もちろん休憩のおやつにはハイソフト・・・ですな。





ハイソフト「日本の名城」6城目

2017-01-11 | 日記


2 0 1 7 年 1 月 4 日 ( 水 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



仕事始めのこの日は、もう1枚カードをゲットしました。



この城は見覚えがあります。
右上の櫓に立っているのぼりは、まぎれもなく真田の六文銭、ということは・・・

No.6 上田城!

天守閣を中心にチョイスしてきた「日本の名城」、ここに来て城門の写真です。
おそらくは某ドラマ「真田●」に影響されてのことでしょうか?


上田城は天正11年(1583年)に真田昌幸によって築城されました。
その2年後、上田城一帯に徳川家康の家臣・鳥居元忠・大久保忠世・平岩親吉らの軍勢約7,800が攻め込んできました。
昌幸と嫡男・信幸(信之)らの軍勢2,000は、地の利を活かした戦法で徳川軍を翻弄、大きな損害を与え撃退しました。(第1次上田合戦
その15年後の関ヶ原の戦いが起こると、昌幸と次男・信繁(幸村)は西軍に、嫡男・信幸は東軍につきました。
そのため上田は、再度徳川軍の攻撃を受けます。
今度は徳川秀忠を総大将とする38,000、対する真田は3,000程度。
徳川軍は再び真田の軍略の前に大敗北を喫し、秀忠は上田城攻めを諦めることとなりました。(第2次上田合戦



そしてこのカードの城門や櫓は、この徳川との激戦を物語るもの・・・ではないのです。


上田合戦では敗北を喫した徳川勢も、関ヶ原の戦いでは大勝。
真田昌幸・信繁父子は九度山(和歌山県)へ追放となり、信之がその所領を継承しました。
しかし徳川にとってのトラウマ・上田城は徹底的に破壊されることとなりました。

幕府が創建され、2代将軍秀忠は、信之を松代(長野県)へ移封。
その後上田に入ったのは、隣地・小諸城主の仙石忠政でした。
忠政は幕府の許可を得て上田城を築城し、これが現在に残る上田城です。



カードの城門・東虎口櫓門は現代にて再建されたものですが、右に見切れている北櫓【長野県宝】は仙石時代のものが現存しています。

そして右側の立ち看板がある辺りの石垣で、ひときわ大きい石。
これは通称「真田石」と呼ばれています。


徳川秀忠は上田合戦で惨敗を喫して以来、真田を快く思っていませんでした。
そこで秀忠は、信之を松代へと移封させました。
ゆかりある上田の地を離れることとなった信之は憤慨し、上田城の植栽やら石垣の石やらをすべで松代へ持って行ってやろうとしました。
しかしこの「真田石」だけは巨石ゆえに、松代へと運ぶことはできなかったといいます。



このような伝説がありますが、信之時代には上田城は破却されていたので、単なる伝承にすぎません。
ちなみに松代は松平一族などが領主となった要衝の地なので、秀忠は信之を評価して移転をさせたといえます。



この日は新しいカードを2枚ゲットでき、幸先の良い新年を迎えたといっていいでしょう。

 

じつは仕事納めの12月28日、ハイソフトを2回買って、2回ともダブリを引いたんですけどね。
だから麻雀大会の成績が悪かったのかな?

ともかく明日もおやつはハイソフトです。





ハイソフト「日本の名城」5枚目

2017-01-11 | 日記


2 0 1 7 年 1 月 4 日 ( 水 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



年明け2017年の仕事始め。
今年最初の森永ハイソフトキャラメルをおやつにいただきます。


さて本日の名城カードは・・・



????? ここは何城だ???? 見たことがあるようなないような???

桜に彩られた天守閣・・・丸亀城? いや違う。
弘前城とは瓦の色が違うし・・・彦根城のように破風は多くない・・・
見たことはないけど越後高田城かな・・・桜で有名だし・・・。
会津若松城でもないし、小田原城でもなさそう・・・。

わからないので裏を見たところ・・・

No.4 小田原城!

ああ!言われてみればそうだ!!
天守の脇っちょ(続櫓のことです)から中に入った記憶があります。


小田原城は最初大森氏の本拠地でしたが、15世紀末から16世紀初頭のあいだに北条早雲が奪い取り、以後北条氏5代の本拠地となりました。
3代目氏康の代に大幅に増築され、「難攻不落の巨城」になっていきます。
氏康の好敵手・上杉謙信武田信玄も小田原城を包囲しましたが、攻め落とすことはできませんでした。
(もっともこの2人は、10日程度包囲しただけで撤兵する「示威行為」をしただけともいいます)
北条氏が5代にわたって居を構えた小田原城は、城下町を城壁の中に置く「総構え」を形成していきましたが、北条氏の手から離れるときは来ました。
豊臣秀吉小田原征伐で、小田原城は3ヶ月ものあいだ包囲され、秀吉は北条氏の城郭を各個撃破、さらに小田原のすぐそばに石垣山城を築城するなど、持久戦の構えを見せます。
この状況で、当主・北条氏直は降伏、大名としての北条氏は滅亡しました。

小田原征伐後、関東は徳川家康に与えられました。
家康は小田原城を腹心の大久保忠世に預け、忠世死後は嫡男・忠隣(ただちか)が継ぎます。
江戸幕府が成立した後、忠隣は家康の不興を買ってしまい、領地を没収されますが、大久保氏はのちに返り咲き、明治維新まで江戸の西の守りを任されました。



私が小田原城を登城したのは、残暑厳しい9月の曇天の日。
桜に彩られた天守閣、というイメージはありませんでした。

その天守閣は、江戸時代の初めに建てられるものの倒壊。
現在の天守は、戦後に鉄筋コンクリート造りで建てられた復興天守です。



16名城の制覇まではあと11城、今年もおやつはハイソフトです。





ハイソフト「日本の名城」4枚目

2016-12-29 | 日記


2 0 1 6 年 1 2 月 2 7 日 ( 火 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



2016年も暮れてあとわずか。
おやつは決まって森永ハイソフトキャラメルです。


さて本日の名城カードは・・・



大正義! No.7 松本城!!
名城の中の名城だけあって、ここは外せないでしょう。
「烏城」とも称される黒色の天守閣は、日本に12しかない現存天守のひとつで、さらに5つしかない国宝のひとつです。


松本城は、元を深志城といい、戦国時代には守護の小笠原氏の支配に属していました。
しかし当主・小笠原長時の代に、甲斐の武田晴信(信玄)が侵略してきました。
長時は追放され、深志城は武田氏の支配下となります。

武田信玄の死後、跡を継いだ子の勝頼長篠の戦いで大敗。
その後織田信長による侵略が始まり、天正10年(1582年)天目山の戦い(甲斐国)にて滅亡。
甲斐・信濃は一時的に織田領となります。

直後、信長が本能寺で斃れると、そのどさくさで徳川家康がこの地を攻め取り、小笠原長時の子・貞慶が城主に返り咲き、名を松本城に改めました。

徳川家康が豊臣秀吉に帰順すると、家康は関東に転封となり、小笠原氏もこの地を去りました。
後を受けたのは、もと家康の重臣・石川数正(かずます)でした。

石川数正と子の康長の代に、城下町・松本が形成され、「烏城」ともうたわれる天守が築かれました。
石川康長はのちに江戸幕府により改易されてしまいますが、その後の6氏21藩主の治世を経て、天守は400年の風雪に耐えて現存しています。



この松本城こそ、私の城攻めの原点です。
この天守を目にして、その端整さ、美しさにただただ感動し、全国の城を見てみたいと感じたのです。

松本城以来の私の城攻めは、ようやく100名城の半分を登城できました。
このカードを目にして、城攻めに対する新たなる決意が掘り起こされた思いです。


そしてハイソフトに対しての新たなる決意も掘り起こされた思いです。
16名城の制覇まで、私はハイソフトを食べ続けます。





ハイソフト「日本の名城」初ダブリ&3枚目

2016-12-29 | 日記


2 0 1 6 年 1 2 月 2 6 日 ( 月 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



クリスマス明けの月曜日、私のおやつは当然ハイソフトです。

ハイソフトとの闘いはこの日で3食目。
今回の「日本の名城」カードは・・・・・・



早くもダブリが出ました!
天皇誕生日にゲットした犬山城が再び登場です・・・。

それにしても3食目でダブリを出してしまうとは・・・
その確率は、
  (16*15*2)/(16^3)≒11.7%
う~ん、微妙だ・・・。

ちなみに初めてダブリを出す確率をまとめてみると、こんな感じ。

 2食目 (16*1)/(16^2)=6.25%
 3食目 (16*15*2)/(16^3)≒11.7%
 4食目 (16*15*14*3)/(16^4)≒15.4%
 5食目 (16*15*14*13*4)/(16^5)≒16.7%
 6食目 (16*15*14*13*12*5)/(16^6)≒15.6%
 7食目 (16*15*14*13*12*11*6)/(16^7)≒12.9%
 8食目 (16*15*14*13*12*11*10*7)/(16^8)≒9.4%
 9食目 (16*15*14*13*12*11*10*9*8)/(16^9)≒6.0%
10食目 (16*15*・・・*9*8*9)/(16^10)≒3.4%
11食目 (16*15*・・・*8*7*10)/(16^11)≒1.7%
12食目 (16*15*・・・*7*6*11)/(16^12)≒0.7%
13食目 (16*15*・・・*6*5*12)/(16^13)≒0.2%
14食目 (16*15*・・・*5*4*13)/(16^14)≒0.06%
15食目 (16*15*・・・*4*3*14)/(16~15)≒0.01%
16食目 (16*15*・・・*3*2*15)/(16^16)≒0.0017%
ダブリなし (16*15*・・・*3*2*1)/(16^16)≒0.0001%

私の引きのなさが顕れてしまっています。
鬼ヅモ年末大会が間近に迫っているというのに、これは凶兆・・・・・・?


ハイソフトのカード集めをしていることをわがお局様に話したところ、
「だったら、もしダブりが出たら裏にメッセージ書いてちょうだいね(^^♪」
というわけで、さっそく一筆したためることになりました。


あまりの引きの悪さに悔しさがこみ上げ、私はついついハイソフトをもう1箱お買い上げしてしまいました。
そして引いたカードは・・・・・・



この雲海・・・竹田城か?・・・いや天守もあるから違う・・・とすればおそらく・・・
No.5 越前大野城!

またしても日本100名城ではない城からのチョイスです。
やはり画になる城を中心に画材にしているようです・・・って当たり前ですよね(^_^;)
天守は、史実に基づきながらも現代の工法で再現された復興天守にあたります。
しかしながら連結する小天守の位置が、史実とは異なっていることが判明しています。


越前大野城は、織田信長の家臣・金森長近が、越前の一向一揆平定の恩賞として大野郡が与えられた折に建てられました。
長近は城郭の東ふもとに短冊状の城下町を造成しました。
本能寺の変後、長近は柴田勝家に属し羽柴秀吉と敵対しますが降伏。
のちに飛騨高山に移って、ここでも城下町を形成しました。

越前大野城は長近の移封後めまぐるしく城主が変わり、江戸幕府成立時には越前松平家(徳川家康の次男・松平秀康を祖とする家系)の支城となります。
天和2年(1682年)大老・土井利勝の四男・利房が入封されてからは、明治まで土井家が城主となりました。



越前大野城のある福井県大野市は、県東部の山あいにある城下町。
市街地を清水が流れ、「北陸の小京都」と称される町です。
鉄道で大野に行くには、福井からJR九頭竜線(越美北線)に乗車します。
九頭竜線の途中にある一乗谷には行きましたが、越前大野には時間の関係上行けませんでした。
機会を設けて行ってみたいですね。
それに一乗谷の登城も中途半端に終わっていますので、是非とも再訪したいです。



ハイソフトとの闘いはまだまだ序盤戦。
今日も明日も、旅とおやつにはハイソフトを食べ続けます。





ハイソフト「日本の名城」2枚目

2016-12-24 | 日記


2 0 1 6 年 1 2 月 2 3 日 ( 天 皇 誕 生 日 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



陛下が81歳の誕生日を迎えられたこの日、私のおやつは当然ハイソフトです。

ハイソフトとの闘い・2日目。
この日の「日本の名城」カードは・・・・・・



ここは見覚えがあります! No.8 犬山城!
最初の城攻め旅で訪れた国宝5天守のひとつですね。
森永さん、さすがに国宝は外さなかったようですね。


犬山城は、はじめ織田信長の叔父・信康によって建造されました。
足下を流れる木曽川を天然の濠とするこの城は、対齋藤家の戦いにおいて最前線の要害でした。

時は流れ、豊臣秀吉が信長の後継者として天下統一に乗り出します。
その最大の障害は、信長の同盟相手でもあった徳川家康です。
両者が衝突した小牧長久手の戦いでは、秀吉が12万の大軍を率いて犬山城に入り、家康と対峙しました。

秀吉が亡くなり家康の天下が訪れると、尾張徳川家の付家老である成瀬正成が犬山城主となりました。
以後犬山城は、(あいだに明治政府の接収があったものの)なんと平成16年まで成瀬家が城主を務めていました。

犬山城の天守が建てられたのは、天文年間(信長の時代)と慶長年間(秀吉の時代)で学説が分かれているものの、その様式は日本最古のものとされています。



2010年の犬山城登城記の記述を丸パクリさせていただきました(^_^;)


順調に2枚目をゲットし、カードは残り14枚。
ハイソフトとの闘いはまだまだ始まったばかりです。





ハイソフト・待望の新シリーズ!

2016-12-24 | 日記


2 0 1 6 年 1 2 月 2 2 日 ( 木 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



勤務中、同僚のS君から思いがけない情報を耳にしました。

「ハイソフトのおまけが変わったそうですよ」

「ハイソフト」とは、森永製菓が製造している「森永 Hi-Soft」というキャラメルのこと。



そしてハイソフトには、風景写真のついたメモカードがおまけで入っているのです。

 

表が風景写真で、裏がメモの小さなカードのことです。


そして密かに、私はこのカードを集めていて、前回のシリーズ・「日本の世界遺産」はコンプリートしました。






カードは全部で16種類。
これらをコンプリートするのに約半年かかりました。
当然おやつは毎日ハイソフトです。

15番目の石見銀山のカードがやたらとダブった記憶があります。
最後の白神山地のカード(2番目)が出た時は、達成感やら寂寥感やら感情が複雑に交錯したものでした。



そして今回のシリーズは、「日本の名城」です。
城攻めをライフワークとしている私にはなんともピッタリな題材ではありませんか!

今回もカードは16種類。
パッケージを見る限り、世界遺産・姫路城、雲海が美しい「天空の城」・竹田城、琉球の王宮・首里城の3種類がありそうです。
あとは不明・・・・・・たぶんGoogle先生に尋ねてしまえば、たちどころにわかるのでしょうが、それはやらないでおこうと思います。



それでは最初の1枚目・・・・・・



むむっ!! この城はわからん・・・・・・。
裏面を見てみると・・・・・・No.2 横手城!
なんと日本100名城に指定されていない横手城をチョイスしてきましたよ、森永さんは!


横手城は秋田県の南東部を支配した小野寺氏の居城でした。
ナムコの「独眼竜政宗」では最北に位置して、放っておくと軍備が増強されていく厄介な存在です。(史実では、小野寺と政宗とは一切絡んでいないのですが)
それはともかく・・・
小野寺氏は輝道の代で最盛期を迎えますが、その子・義道の代になると没落の一途をたどります。
山形城主・「出羽の驍将」最上義光が南から、角館城主・「夜叉九郎」戸沢盛安が北から圧迫し、勢力を縮小していきました。
豊臣秀吉の天下統一に際してはいち早く臣下に下ったものの、最上義光の謀略に掛かってさらに勢力を弱めてしまいます。
関ヶ原の戦役では周囲の大名が軒並み東軍に付く中、義道は西軍の上杉景勝に応じて寝返り仇敵・最上を攻めますが、惨敗。
戦後に領地を召し上げられてしまいました。

横手城は、関ヶ原の後に秋田に移封させられた佐竹義宣のものとなりました。
佐竹氏は、秋田の久保田城を本城としました。
武家諸法度における一国一城令で、横手城は破却されるはずでしたが、佐竹氏が幕府に働きかけたため例外として認められ、破却を免れました。
以後は佐竹氏の家臣・戸村氏の居城となりました。

戊辰戦争では、東北諸藩が奥羽列列藩同盟に加盟する中、佐竹氏は唯一新政府につきました。
そのため横手城は列藩同盟軍に攻められ、落城しました。
新政府軍は東進し、佐竹軍はなんとか持ちこたえ、東北諸藩は新政府に降伏することとなります。

明治に入り、横手城は廃城となりました。



横手城のカードは天守を映したものになっています。
しかしながらこの天守、史実では存在しておりません。
愛知県にある岡崎城をモデルにした、模擬天守なのです。
遺構もあまり残っていなかったためか、100名城の指定は逃してしまいました。



私にとってはまったくノーマークだった横手城を皮切りに、ふたたびハイソフトとの闘いが始まります。





暗黒神話ヤマトタケル伝説攻略記・第8章

2016-07-05 | 日記


2 0 1 6 年 5 月 6 日 ( 金 )

午 後 8 時 3 5 分

鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 会 場



「暗黒神話 ヤマトタケル伝説」をプレイ開始して2時間経過。

5

ついに第8章まで到達しました。




※ご注意

ここから先はネタバレの要素を多分に含みます。
このゲームを自力で攻略されたい方は、閲覧されないことをお奨めいたします。























午 後 8 時 3 5 分

終 章 ・ 第 8 章 へ




舞台は主人公・武の住まいがある武蔵野・三鷹
三鷹駅のホームに立っている男。どう見ても人相が悪いです。

その男は菊池一族の緒方と名乗ります。
そしてその叔父が言うには・・・

「お前の母はキクチヒコと同じ一族だから信用するな」



母への疑心を抱きつつ、人相の悪い緒方氏とともに武の家に戻ります。
父の部屋にあった勾玉を取ろうとすると、

「勾玉をキクチヒコに渡して、私たちは静かに暮らしましょう」

などと、母が世迷いごとを口にします。
当然、母に勾玉を渡すことはなく、部屋を後にしようとすると、



緒方氏があっさりと馬脚を顕してしまいます。
この緒方氏に勾玉を譲渡・・・するわけはなく、なんと母が身を挺して氏を押さえます。
中年男を取り押さえながらも武に対して、

「わたしのコートを持っていきなさい」

この母親はこんな緊迫した状況なのに何を言っているのだろう。
そう思ってしまいますが、ここは言われたとおりコートを持っていきます。

家の外に出て、近所の公園へ。
キクチヒコ氏が登場、誰かを待っているようです。
この場面で母のコートを着用し、氏に話しかけましょう。

「勾玉を渡してくれたら・・・あなたともども殺してあげましょう

このようにナメたことをおっしゃるので、勾玉の代わりに剣をくれてあげましょう。

「キクチヒコ、覚悟!!」



日本武尊(やまとたけるのみこと)小碓尊(おうすのみこと)熊襲健(くまそたける)兄弟を討ったときのエピソードにならい、武が母のコートを着てキクチヒコを討ち取ったのです。

しかしキクチヒコは「お前も道連れだーー」と言わんばかりに、



異形の者に変わり、武に襲いかかってきます。
武は母のコートを着たままの戦闘を余儀なくされます。

1

敵は、本体の顔から火弾を4発放ってきます。
また、脚?からは火柱が放射されます。
脚には上ることもできるようですが、脚には上がらず、画面左端からひたすら剣を振るうのが一番安全と思われます。
画面左端は、4発の火弾のうち一番左側の1発が射程範囲なので、タイミングよく避ける必要があります。

根気よく剣から放たれる光弾をキクチヒコの顔にぶち当てて、キクチヒコを打倒すれば感動のエンディングへ。




午 後 8 時 4 9 分

エ ン デ ィ ン グ




主人公・武の聖痕は8つ揃いました。



古代とのザッピングでしょうか。
熊襲を滅ぼした日本武尊は、愛妾の弟橘媛(おとたちばなひめ)と手を取り合っています。





カオスな暗黒神話、ここに終幕。



あ、このゲーム、教科書会社の東京書籍が出していたんですね。



第67回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記・第3話に戻る。


暗黒神話ヤマトタケル伝説攻略記・第4章~第7章

2016-07-05 | 日記


2 0 1 6 年 5 月 6 日 ( 金 )

午 後 7 時 1 5 分

鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 会 場



「そぞろ神の、物に付きて心を狂わせ・・・」ついつい手を付けてしまった「暗黒神話 ヤマトタケル伝説」



これまで順調に第3章までを攻略した私は、さらなるカオスな世界を味わうべく、ゲームを継続します。




※ご注意

ここから先はネタバレの要素を多分に含みます。
このゲームを自力で攻略されたい方は、閲覧されないことをお奨めいたします。























午 後 7 時 1 5 分

第 4 章 開 幕




「これからも、おおくのシレンをうけることじゃろう」
竹内氏の意味深な言の葉から、第4章が開幕します。

さて第3章の邪馬台国で手に入れた金印の半分側。
欠けているもう半分を手に入れるため、



白鳥陵しらとりのみささぎに行くことに。
ここは日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵です。

通常「陵」という字は、天皇の墓に対してのみ使われます。
皇子の墓に使われる例は、日本武尊の墓のみなのだそうです。

ともかくも、白鳥陵に入っていきます。



日本武尊の愛妾であった弟橘媛(おとたちばなひめ)の壁画があります。
この絵の内容・・・クシ、カミカザリ、モモのみ・・・はよく憶えておきましょう。



さらに進むと、怪しげな男がいます。
こんなヤツに関わってもロクなことはありません。
さっさとこの場を離れたいのですが・・・ここから離れる選択肢はありません。



キクチヒコと呼んでくれ・・・ですか。
とにかくキクチヒコから離れることはできないので、このままこの部屋でストーリーを進めるしかありません。
前章で手に入れた金印を渡してしまうと・・・



まぁ、こういう野郎だとはわかっていましたがね(^^)v



へ? これって・・・?



討ち取られてしまった!?



第4章の最初に戻ってしまいました。
どうやらキクチヒコに遭遇してしまうとゲームオーバーになってしまうようです。



キクチヒコのいる部屋へは行かないようにして、陵内を捜索していきます。
・・・が、これ以上捜索してもストーリーは進みそうにないので、意を決してキクチヒコに対面。



やはり金印を手渡すしかないようなので金印を渡すと、やはりキクチヒコの態度が豹変。
今回はキッチリフラグを立ててきたので、ゲームオーバーにはならない展開に。
しかし黄泉醜女(よみのしこめ)からの逃走を余儀なくされます。



黄泉醜女からの逃走・・・この元ネタ?は伊弉諾いざなぎ黄泉国よみのくに訪問です。

日本の神々の父である伊弉諾は、死に別れた妻・伊弉冉いざなみに会うため、死者の国である黄泉国を訪れました。
そこで見たものは、腐敗した伊弉冉の姿。
伊弉諾は驚いて黄泉国から逃げ出します。
伊弉冉は恥をかかされたと激怒、黄泉醜女らを向かわせ伊弉諾を追いかけます。

伊弉諾は、頭に着けていた黒い木のつるで作った髪飾りを投げつけると、なんと山ぶどうの木が生えました。
黄泉醜女は山ぶどうを食べるのに夢中になり、伊弉諾はそのすきに逃げましたが、再び黄泉醜女は追いかけてきます。
そこで伊弉諾は、髪に付けていたくしの歯を折り投げつけました。
今度はタケノコが生え、黄泉の醜女はタケノコを食べるのに夢中になってしまいます。
すると伊弉冉は、黄泉国の化け物たちの軍隊を動かして伊弉諾を追わせました。
伊弉諾はなおも逃げ、とうとう地上から黄泉の国の入り口へと降りる坂(黄泉比良坂よみのひらさか)まで着きました。
そしてそこにあった桃の木から実を三つ取り、化け物の軍隊に投げつけてやると、化け物たちはみな逃げていきました。

しかし、とうとう伊弉冉が自ら追いかけてきました。
驚いた伊弉諾は、大きな岩で坂を通れないようにふさいでしまいました。
その岩をはさんで、伊弉諾は伊弉冉に離婚を告げました。
すると伊弉冉は、
「あなたがそのようなことをするなら、わたしはあなたの国の人間を一日1000人殺してやる
とおっしゃると、伊弉諾は、
「あなたがそうするなら、わたしは、一日に1500の産屋を建てるぞ(人間を1500人産ませるぞ)
とおっしゃったそうです。


この神話にならい、またどこからともなく聞こえる弟橘媛おとたちばなのひめの助言に従い、逃げ道に都合よく落ちている髪飾り、くし、桃の実を拾っては使うと、黄泉醜女から逃げおおせることができます。



無事に逃げおおせると、どこからか弟橘媛の声が。
「ここまでくれば、もうだいじょうぶです。戦って、聖痕を手に入れてください

・・・あ、戦わなきゃダメなのね・・・。



うげ~、気持ちわりぃ~よぉぉぉ!
あんなのに追いかけられては、伊弉諾も作中の主人公・武も逃げたくなる気持ちはよくわかります。

さてさて黄泉醜女は、眼球の飛び出た右目(気持ち悪い・・・)から、左斜め下より真下までのゾーンの4方向に弾を放ってきます。
というわけでここでは、反対側に回り込んでしまえばOK




午 後 7 時 5 2 分

第 5 章 へ


キクチヒコによる強制ゲームオーバーのため、やや攻略に手こずってしまいました。
ようやく第5章へ。



金印を奪われた!?
でもまぁいいや、という楽観的な竹内氏に導かれ、



今回は奈良の興福寺へ。
興福寺の宝物殿に入り、中を進んでいくと、



闘いの神・阿修羅が襲いかかってきます。



この阿修羅こそ、1年半前にほろ酔い気分の私を叩きのめした相手です!

阿修羅は両手の剣をかざし、それぞれ2方向ずつ弾を放ってきます。
そしてゆっくりと武のいる方向に近づいてきます。
反対側に回り込んでも、しっかり武のいる側に弾を放ち、ゆっくりと近づいてきます。
いままでの敵はなにかしらの弱点がありましたが、この阿修羅に対しては弱点を看破することはできず、ガチンコの勝負となります。

しかしこの日はまったくのシラフ、そしてこの日はゲームをクリアする気満々です。
阿修羅との死闘を制し、1年半前の雪辱を晴らしました。




午 後 8 時 0 6 分

未 知 の 領 域 ・ 第 6 章 へ


攻略開始から1時間半が経過し、ついに第6章へ。



今回は京都が舞台。
怪しげな占い師の翁と話をして、



妙見山に着きました・・・が、ここでなんとキクチヒコの一味に襲われてしまいます。



キクチヒコは素戔男(すさのお)を味方に付けたようで、この素戔男が襲いかかってきます。
日本神話では天照大御神あまてらすおおみかみの弟で、出雲国に下り立って八岐大蛇やまたのおろちを退治し、その地を統治しました。

・・・そのはずなのですが、ここでは暗黒神のしもべに成り下がってしまったようです。しかも馬面


なぜか都合よく落っこちている剣を手に取り、戦闘開始。



素戔男本体と、その周りをとりまく岩?から弾を飛ばしてくる難敵です。



しかししかし、この敵も後ろに回り込んでしまえばただのザコ。
素戔男は転回ができず、右側に弾を飛ばしてくることもないからです。
弱点を看破し、あっさりと第6章をクリア。




午 後 8 時 1 4 分

第 7 章 突 入


聖痕が6つになった主人公の武。



竹内老人に連れられて、今度は静岡県の焼津へ。
日本神話によると、日本武尊が姦計にかかって火攻めを受けた地です。



焼津の神社に祀られている丸い岩。



ここで驚愕の事実!
竹内老人はなんと古代の出雲で出会った武内宿禰たけうちのすくねだったのです!
この岩のカプセルに自らを封印し、現代まで生き延びたというのです。

そして中央のカプセル。
ここには弟橘媛が封印されていたのですが・・・
カプセルによる封印は失敗し、あわれロウ人形のように溶けてしまうのです。

弟橘媛のカプセルに入っていた鏡・・・3種の神器のひとつのようですが・・・これをもらい受け、焼津を去ります。



今度は比叡山延暦寺



竹内老人が突然「暗黒神の正体を見せる」と言い出しました。



暗黒神の正体は、オリオン座の暗黒星雲なのだとか。



こやつ??!!
とにかく襲ってきたこやつを討ち取らねばなりません。



こやつは前進してきますが、ここでもひるまずふところに潜り込み、しゃがんで剣を振る戦法で楽勝です。



いよいよ終章・第8章に入ります。



第67回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記・第3話に戻る。


暗黒神話ヤマトタケル伝説攻略記・第1章~第3章

2016-06-14 | 日記


2 0 1 6 年 5 月 6 日 ( 金 )

午 後 6 時 3 4 分

鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 会 場



この日は私を除いて全員出勤。
ひとりよね氏宅に残された私は、ゲーム三昧という無為の日をおくります。

そのなかで・・・



約1年半ぶりの・・・



「暗黒神話 ヤマトタケル伝説」をプレイしようという気になってしまいました。


このゲームは、諸星大二郎氏の「暗黒神話」という漫画を原作としています。
私は、その原作を一度も読んだことはありません。
おととしの大みそかに、なぜこのゲームをプレイする気になったのか・・・まったく記憶にございません。
酒の酔いに任せて、ダラダラと進めていき、途中で頓挫してしまったこのゲーム。

この日はシラフのまま、完全攻略を目指してプレイしていきます!



※ご注意
ここから先はネタバレの要素を多分に含みます。
このゲームを自力で攻略されたい方は、閲覧されないことをお奨めいたします。























午 後 6 時 3 5 分

第 1 章 開 幕




このゲームの主人公はタケシ
そしてタケシの父は10年前に何者かに殺されてしまった。
その遺体が発見された長野の蓼科から、ゲームは始まります。



最初に訪れるのは、長野の考古館。
ここの館長・竹内といろいろ話をして・・・



石仏の前に来ます。
ここでタケシの父が遺体となって発見されたそうですが・・・
この石仏を調べると、なんと洞窟が現れます。

その洞窟に入ると、都合よく剣が落ちているので回収。
そしてなんとな~く進めると・・・



突如、戦闘が始まります!!
アドベンチャーゲームと思っていたところに、突然のアクション要素。
もとよりアクションゲームが苦手で、なおかつ酔っぱらっていた当時の私は、なす術もなくヤラれてしまったのですが・・・



この日の私はシラフでやる気に満ちていました。
首長獣が足元には火の玉を放ってこないことを見切ります。
火の玉をかいくぐって足元に潜り込んで、ひたすら斬り付けるだけで、あっさり勝利しました。



「よくぞ暗黒神の遣いを倒した」などと知ったようなことを突然話す竹内氏。
なんとも怪しげなジジイです。




午 後 6 時 4 8 分

第 2 章 へ


 

「お前は選ばれし者」・・・突然の宣告に、「ははぁ・・・そうですか・・・」って思ったのは私だけではないだろうな~。
「私はすべてのものの支配者・ブラフマン」・・・「ブラフマン」って高校の世界史で習ったような? たしかガウタマ・シッダールタが出てきたあたり。
「お前が来ることはわかっていた」・・・みたいなことを言われて、突如飛ばされた世界は・・・



古代の出雲。
このころには出雲大社があったようです。



出雲で出会った女性・オトタチバナ
「あなたの妻・・・でございます」というように、オトタチバナはヤマトタケルの妃でした。


弟橘媛おとたちばなのひめは、日本武尊やまとたけるのみことの妃(妾とも巫女とも)。
日本武尊の東征に同行したといいます。
静岡県焼津で日本武尊の東征軍は焼討ちに遭いますが、ともに乗り切り、現在の浦賀水道まで到達しました。

ここで日本武尊は、
「こんな小さな海、飛んで渡れるわい!」
と大言壮語してしまい、海神の怒りを買ってしまいます。
海は荒れ狂い、東に進軍できなくなってしまいました。

このときに弟橘媛は、
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
(相武の野(現在の焼津)に燃え立つ火の中で、それでもわたしの心配をしてくださった貴方様)

と詠い、自らが身を投げて海神の怒りを解いたのでした。
現在の「袖ヶ浦」という地(千葉県袖ケ浦市&習志野市袖ヶ浦)は、弟橘媛の着ていた服の袖が流れ着いたところであるといわれています。



・・・そういう人物であるだけに、出雲にいるのも「????」なのですが・・・



なんと勝手にヤマタノオロチを退治させられることになっています!



竹内氏に似ている?タケウチノスクネなる男が現れ、「この剣でヤマタノオロチを倒せ」と危険な役割を押し付けてきます。


武内宿禰たけうちのすくねは、古代日本の人物。
景行天皇・成務天皇・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・仁徳天皇に仕えた伝説の忠臣とされます。
のちの紀氏蘇我氏などの有力豪族の祖ともいわれています。



そういえばヤマトタケル(日本武尊)は景行天皇の皇子です。
このオヤジ、臣下のくせに皇子を危険にさらそうとしています。

仕方がないので、ヤマタノオロチを退治しに行きます。



「八俣」のはずですが、機能しているのは「五俣」の首だけ。
それでもその5つの首がそれぞれ弾を放ってくる強敵です。



しかしこちらも弾が出る剣で応戦。
さすがは伝説の忠臣、すばらしい剣を献じてくれたものです・・・だったらお前が倒しに行かんかい!とは言わないでおきましょう。
このようにしゃがんでも剣による攻撃は可能。
そして最下層を除く4つの首からの攻撃をかわすことができます。
一番下の首が放つ弾をジャンプでよけながら、しゃがんで剣を振り、ヤマタノオロチを退治できました。


ところでヤマタノオロチって、出雲大社ができる以前に退治されているはずでは??
いやいやオロチは1匹だけではなかったのでしょう、きっと。



「よくぞ暗黒神の遣いを倒した」・・・なぜこのジジイは知っているのだ?!




午 後 6 時 5 5 分

第 3 章 へ




「どうだ、わかったか」・・・・・・わかりません!!



またまた瞬間移動。
「ここは、どこなのでしょう」・・・って、思いっきり「国東半島」ってあるじゃねぇか!



林の中で出会うオオガ ミヤという女性。
都合のいい展開ですが、この人と話をすると、



ここは国東半島の宇佐というところのようです。
そしてこの女性は、宇佐に邪馬台国があったという説を唱えているようです。
「邪馬台国はどこにあったか?」という論争では、畿内説と九州説がありますが、九州説でも多岐に分かれ、「宇佐説」も実際に主張されている学説のひとつです。



「 -ねえねえ。ミヤさん。-
 相変わらず無視しています。
 きっと、女子大出身ですよ」

断っておきますが、これは昭和のゲーム。
世知辛いいまの世の中ならば、絶対に叩かれそうなト書きです。

さてさて女子大出身と思われるミヤとともに林を探索すると、またしても洞窟へといざなわれます。
ここで新たな剣と、金印を手に入れますが・・・



ミヤさん、服を脱ぎすて泉の中へ。
この後、当時の青少年には刺激の強いシーンが登場?



ヒェ~! 別の意味で刺激の強いシーン。
ミヤ改め餓鬼から逃走。



なぜか竹内氏登場。



氏によると、餓鬼の封印が何者かによって解かれてしまったもよう。
そしてそれは、熊襲くまその末裔によるものだといいます。


熊襲は、九州地方に割拠して大和王権に抵抗した部族です。
景行天皇の御代に、天皇御自ら征伐に向かわれたといいます。
また伝説では、景行天皇の皇子・小碓命おうすのみことが女装して族長の熊襲たける兄弟の寝所に忍び込み、ふたりを斬り殺したといいます。
このときに弟から「タケル」の名を献じられ、以後「日本武尊」と名乗ったそうです。



竹内氏はタケシに、熊襲にゆかりがある熊本県内の遺跡に行こうと提案。
3ヶ所の古墳をめぐることとなりますが・・・



「いかん、ワナじゃ!」
突如、餓鬼が襲いかかってきます。
餓鬼は口から小餓鬼?を放ってきます。
この小ガキがぴょんぴょん跳ねて、なんともいやらしい動きをするのですが・・・



このとおり、ふところに入り込んでしまえば全くの無敵。
小ガキは一方通行で右側に向かってきませんし、ガキはふところの中に小ガキを放つことはできません。
そしてガキは直立不動なので、ふところに入ってしまえば勝利は確定です。



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