楽しいなあ 面白いなあ うれしいなあ 気持ちいいなあ って感じるのは幸せなことだ
でも、そんなことがなくなったとき平常心で落ち着いていられればいいのだが、寂しい 空しい 悲しい気持ちで胸が苦しくなったり、不安になったりすることがある。さらに、されたくないことをされたり、プレッシャーでストレスが溜まったり、我慢しきれなくて腹が立ったりする。また、自分を見て自分がイヤになったり、後悔してまた苦しくなったり・・・
人間だから、こういう気持ちになるのは当たり前のことなので、全く気にしなくてもいいのだが、こんな気持ちが続いて苦しい、解放されたい(浸っていたい場合はどうぞ)なら、とことん客観的になることだ。そして こんな気持ちになるのは、周りのせいではない。どんな時でも自分の考え方、見方次第でどうにかなるものだと思うこと。
客観的になる・・・物事をすこし離れた位置からみる、時間的(待つのがいい)にも。 「良い」とか「悪い」とか「好き」とか「嫌い」とかの主観を入れず、事実だけをみる データを集める 分析する。
ちょっと難しそうに見えるかもしれないが、意識するだけでもちがう。ただ、「我」の強い人は難しいかもしれないなあ。 「自分は正しいのだ!(周りが悪いのだから。私は被害者なのだ。この気持ちをどうしてくれる!)」みたいな人。周りがいくらプレッシャーかけようとヤなことばっかりしようと、平気な人は平気なのだ。だって、自分の感情をつくっているのは自分なのだから。
誰かに「あんたは我が強いね」と言われて「うん、我が強いと思う」という人は、自覚しているからいい。それほど強くないという可能性も。
「いやッ、我が強いなんて思わんッ」と ムカッとくる人は、多分我が強い人。ムカッとくるのは「あんたは悪い(とか、間違っている)」と言われたと思うからだろう。物事を「よい」と「悪い」(ほとんどが主観だし)で判断する癖があるので気をつけたい。
「そうかなあ。そうかも分からんが、我が強いの“強い”って何と比べて?」とか疑問に思ったことを尋ねる。で、「比べたことはないし、比べるつもりもない(みんな違うし)から強いかどうかは分からんけど、我はあるだろうなあ、人間だもの。あんまり強くならないように気をつけてるけど・・どんな時にそう思った?」と自分についてのデータを集めたりして・・・「なるほどなあ、そういう見方もあるのか(面白いなあ・・となぜか面白くなってくるんだな)でも、それは実は~なので自分としてはちょっと違うんだけどな」又は「気をつけよう」etc・・・・・と時間をかけ客観的にみると あら不思議 全く腹が立ちません
今自分はこの記事を書いたことを後悔している なぜか そう簡単にいかないとも思うから 軽い自分が書いた記事だから中身も軽いと思うから ではどうすればいいか もう少し深く考えてから書き直す とりあえず削除する とりあえず行動に移す [削除!]・・・・こんなこともあるさ 人間だもの ほっ
例が分かりにくかったかもしれないけれど
ストレスをためない、生まない方法は色々ありますが まずはあんまり考えすぎないでやってみることかな??