1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。ー車をひく(牛)の足跡に車輪がついていくように。
2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。ー影がそのからだから離れないように。
3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(や)むことがない。
4 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息(や)む。
5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
総理大臣はじめあらゆる国の政治家、学校の理事長校長、右翼左翼と言われる主義主張をもつ人たち、権力者でなくても金持ちも貧乏も関係なく、政治・宗教のあるなし関係なくワタシもあなたも個人個人、生きとし生けるものすべてにあてはまる真理です。
6 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。ーこのことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
争う人は、自分は永遠に死なない、死んでも永遠の魂があって、永遠に名を残し他に影響を与え続け・・・などと思っているのでしょう。しかし、永遠に変わらないものなど、何一つありません。裸で生まれ、死ぬときは何一つ持って行ける物もない。体も、心も、変化・生滅し続けているものなのです。怨んで争っても何の徳もない。心が汚れるだけ。人間に生まれかわってまた苦しみ続けるか、もっと次元の低いところに生まれてさらに苦しむか。
9 けがれた汚物を除いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、自制が無く真実もないのであるから、黄褐色の法衣にふさわしくない。
10 けがれた汚物を除いていて、戒律をまもることに専念している人は、自制と真実とをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。
すべての指導者(為政者、教育者、親、大人)は黄褐色の法衣をまとうにふさわしいか謙虚に自分を振り返ってみよう。戒律をまもり自制と真実をそなえているだろうか。
11 まことでないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(まこと)に達しない。
12 まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人々は、正しい思いにしたがって、ついに真実(まこと)に達する。
13 屋根を粗雑に葺(ふ)いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、情欲が心に侵入する。
14 屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することが無い。
人間は真理ではなく、(一時的な)主観、情欲、煩悩によって、バイアスのかかった曇った目で物事を見てしまいがちです。偏見のない広い視野と清らかな目をもちたいものです。常に戒をまもり自制し謙虚に学んでいきたいと思います。
15 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
16 善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。かれは、自分の行為が浄(きよ)らかなのを見て、喜び、楽しむ。(「ブッダの真理のことば感興のことば」中村元訳 岩波書店より)
ちょっとでも悪いことをすれば、必ずそれに見合った結果があらわれる。悪行為とは、欲や怒りや無知無明などの煩悩によって自他を不幸にする行為。ひとつひとつの行為には必ず結果がついてくるので、細心の注意が必要です。
お釈迦様の言葉はじつに深いです。じっくりと、何度も読み返したいと思います。
・・・などと、最近のワイドショーの大騒ぎをみて自戒する今日この頃です。他者じゃなくて、自分がどうするか、自分をどうするかなんですよね。
生きとし生けるものが幸せでありますように・・・
よその国が心改めろなどという思いやりのない敵対的な考え方を、純粋な子どもに植えつけてしまったら(本能である煩悩を増幅させる教育?洗脳?をすれば)どうなるか、平和(理性)への道ではないことは確かじゃないかと思います^^;
「あなたたちは神の子、神の子はなんでもできる」・・・なら、善いことも悪いこともなんでもできてしまうのです。恐ろしいことです。
ああ、人間って・・・。人間であることを自覚しなくちゃね^^;
いまやらねば いつできる
わしがやらねば たれがやる
井原市民なら誰でも知っている近代日本を代表する彫刻家、平櫛田中さんの言葉。小学校の体育館にもあったなあ。
この言葉が印刷された手ぬぐいが、昔はどの家庭にもあったのですが、見あたりません。兄に頼まれて、久しぶりに田中美術館に行ってきました。
手ぬぐいはなかったのですが、のれんや色紙、扇子(飾り用)や額などありました。で、のれんと扇子を買いました。
今できることは、今しかできません。今という瞬間は二度とないのです。今やらなければ、いつまでたってもできません。
ワタシのことはワタシがやるしかない。ワタシの人生を生きるのはワタシしかないのです。
実にいい言葉です。
2月といっても、まだまだ寒い。体も心も硬く縮こまらないように、温かくしておきたいですな、血液で。
体の中に酸素が不足すると、いろいろと不具合が出てきます。しっかりと酸素を取り込みたいものです。
キレイな空気を取り込むには、鼻呼吸がいい。鼻が冷たい空気を適温にして、乾いた空気を適度に湿らせて、体を害する異物を除いてくれる。
なるべくたくさんの酸素を体の隅々まで行きわたらせたいものです。
空気は肺に送られる。肺は体の前側にあるのではなく、背中側にもあって、背中やお腹にも膨らむ大きなものらしいです。なので、胸やお腹だけで呼吸するのではなく、背中側もふくらみ、お腹側にもふくらむ、「全身呼吸」をするのがよいそうです。(本屋さんで立ち読み情報)
胸が膨らみ縮む、背中が膨らみ縮む、お腹が膨らみ縮むのを感じる。酸素が呼吸と共に頭の中、脳、眼の奥、鼻の奥、のど、etc・・・と体中に送られるのを感じられるようになれば、ますます体も心もリフレッシュしていく。(←瞑想だね)
空気を取り込み、酸素を全身にしっかり行きわたらせるためには、やっぱり正しい姿勢が必要。
正しい姿勢をするには、体を柔らかくほぐしてゆるめること。
・・・・ゆる体操?
二酸化炭素の排出を減らそう、という取り組みが世界でされてますが、それもいいのですが、もっと酸素を増やす取り組みをしっかりした方がいいかもしれません。割合だけの問題ではなく、酸素そのものが少なくなってるんじゃないでしょうか。”二酸化炭素を出さないためには火力発電より原発を”、なんてことにならないようにね(二酸化炭素より放射能の方が危ないよ!^^;)。緑をもっともっともっと増やしましょう。
勉強は楽になるためにします。
まずは正しく知るところから。
正しく知り、理解し納得する。
あとは繰り返しやってみる。
頭だけじゃ本当にわかったことにはならない。
頭だけじゃあだめ。
頭はあてにならない。
とにかく、繰り返し、繰り返し、
繰り返し、繰り返しやってたら、
身につく。さらに気がつく。楽になる。
自分の体で分かる。自分の”内”から分かる。
それが、本当に「分かる」ということ。
理解、納得(確信)、繰り返し…。
繰り返し、繰り返し。
分かれば、、、楽です。
やらなきゃ楽にはならない。やらなきゃ苦。やれば楽。
「分かる」まで、繰り返さなきゃ。
人生も繰り返し。あと、何回繰り返せるかな。
あと、どれだけ成長できるかな。
漢字の練習計算練習、なんでも繰り返しが大切。単純なことの繰り返し^^