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卒業式

2012年03月28日 | 日常
3月も終盤になり、先日、下のバ◯息子がどうにか小学校の卒業式を迎えました。

思えばこの6年間、この息子のアホな行動のため、何度学校から電話がかかってきて、何度先生が家にやって来たことか。
他の子の親に謝ったことも一度ならずありました。。

卒業するのはいいけれど、これで中学生としてやっていけるのか、心の底から不安です。

卒業式自体は上の娘の時と同様の進行でしたが、2年前も本ブログでふれたように、妙に長い卒業生の「感謝の言葉」みたいなのがあって、やはり不快な気分になりました。
卒業生が順番に「校長先生ありがとうございました」とか「お父さんお母さん6年間ありがとうございました」とか言って途中で歌を歌ったりするやつで、一部の親はこれでお涙ちょうだいなわけですが、
「見て下さい、この6年間で子ども達はこんなに先生の言うことを忠実に実行できるようになったのです」
と、学校に主張されているように感じてしまうのですよ私は。

どうせやるなら先生が作った文言ではなく、子ども達の「生の声」を聴かせんかい、早く終われ、と思っているうちに、心はいつしか自分の小学校の卒業式を思い出していました。



私の小学校5、6年生の時に担任だったK先生は、当時、大学を卒業して4、5年経ったくらいの20代後半の男の先生でした。
外見的にはゴリラかタイガージェットシン(←口にサーベルを加えてアントニオ猪木と抗争をしていた悪役レスラー)といった恐ろしげな風貌で、実際、悪いことをした生徒は容赦なくはり倒すという先生でもありました。

K先生がクラスの担任に決まった時、この世の終わりのようにブルーな気分になりましたが、実際に接してみると意外に、というよりもかなり良い先生ではないかと感じるようになりました。
というのも、確かに悪いことをした生徒は平気でどつく、水が怖くて泳げない生徒を無理矢理プールに投げ込む、ゴリラかモンキーだかの50ccのバイクにノーヘルの生徒を乗せて(私も乗った)公道を走る、学校で暴れて歯を折った生徒(これも私)の親に対して「まあ自分も歯は何本か折ってますから」などと訳の分からない説明はするわで、今から考えるとかなり問題があった先生ではありましたが、とにかく一生懸命、生徒に向き合ってくれる先生だったからです。
当時の親達もそれを理解していたようで、大学出たての若僧が無茶なことをやっているようだと思いつつも、学校や先生に対して何か苦情を言う、といったことは聞いたことがありませんでした。
まあ、親が学校にすぐ苦情を言うような時代ではなかった、というのもあるでしょうけど。

卒業式の当日、卒業証書を渡すため生徒の名前を順番に読み上げていたK先生は、途中で生徒の名前を読めなくなってしまいました。
どうしたのかと見るとK先生は生徒の名前を読みながら号泣していたのです。
それを見たほとんどの生徒も号泣、文字通り涙また涙の卒業式になりました。(私はすでにひねくれていたので泣きませんでしたけど)
K先生にとって、私達は教師生活で最初に送り出す卒業生だったわけで、だからこそ思い入れも強かったのでしょう。

その後、K先生とは現在まで年賀状のやりとりをし続けています。
私自身、自分の小中学時代を通じて先生全般に対する不信感は非常に強いものになってしまいましたが、たった1人でもこんな先生に接することができて幸せであったと思います。
K先生が今でも当時のモチベーションを保ち続けて教師生活を送っているとは思わないですし、ひょっとすると今は嫌な教師になってしまっているのかもしれません。
しかし、少なくとも当時のK先生は生徒達のことを本当に真剣に考えてくれていたのではないかと思います。
今、そんな先生がいったいどれだけいるのでしょうか。



それから年月はあっという間に流れ、今や自分の息子が小学校を卒業とは。。
ああ、あの日から自分はどれだけ遠くに来てしまったのだろう。

などと卒業式の間、子ども達を見ながら考えていると、あれ、なんだか目がかすんでしまって前がよく見えないぜ。。。






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