鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

「中国対米英宣戦を布告す」

2012-07-11 17:49:20 | 歴史
唐突ですが、皆さんは第二次世界大戦時に枢軸国であった国をご存知でしょうか。
日本とドイツとイタリア? 確かに正解です。その三つが主要な枢軸国ですね。
しかし、枢軸国はたった三ヶ国だけではありません。フィンランドやクロアチア、スロバキア、タイ、それからビルマ等、当時は数多くの国が枢軸国側に立っていたのです。
そしてこうした国々と共に、枢軸国側に立ってアメリカ、イギリスに対し宣戦を布告した国がありました。

中華民国です。

今「え?」と思った人、あなたは正しい。中華民国は連合国側だったはずですよね。
しかしながら、当時の中国大陸には後の中華民国(台湾)に繋がる政府以外にも、現在では日本の傀儡とされる様々な政権が作られていたのです。北京の中華民国臨時政府、南京や上海を統括した中華民国維新政府。そしてそれらを統合したのが、汪兆銘を首班として南京に成立した「中華民国南京国民政府」です。



これは鉄道工学会が1943年に発行した『大東亜共栄圏写真大観』の一部ですが、面白いので文章を抜き出してみましょう。

  昭和十八年一月九日、中国は遂ひに対米英宣戦の布告をなした。
  そして大東亜戦完遂への力強い一環を形ち造つた。
  これは反枢軸国家群へ甚だしい影響を及ぼしたことは云ふ迄もないが、
  重慶へ與へた物心両方面への打撃は筆舌に盡せないものがあつた。
  かくして大東亜は文字通り打つて一丸となり大東亜戦の決戦段階突入と相俟つて、
  必勝の信念は愈々鞏固にされたのである。
  この日中国の首都南京の空は一点の雲も無き快晴に恵まれ、
  紫金山上の中山陵はこの日の中国の歴史的巨歩を見護るが如く一層厳然と、
  大いなる黙示を垂れてゐるかの如くに仰がれた。
  米英に桎梏された百年の絆、あゝつひに今日ぞ絶たる!
  この宣戦布告の報道に接した中国国民の感激、そして決意、正に大いなるものがあつた。
  国民政府の大礼堂に於いて、我が重光大使(現外相)と汪主席との間に
  共同宣言は調印され即時全世界へ速報されたのである。
  「参加大東亜戦争」「必勝大東亜戦争」等の文字は南京の町の隅々にあふれた。


いやー、面白いですねー。
ページの左上の写真に写っている布告には「擁護国民政府参戦 民国三十二年一月九日 国民政府対英美両国宣戦了!」となってますね。中国語だと米英じゃなくて英美になるんでしょうか。
「…蒋共蹂躙下之同胞」という語も見えますね。
下の写真で兵が掲げている旗には「歩兵」の文字が見えます。多分歩兵団旗でしょう。
軍装に関しては潰れてしまってよく分かりませんが、国民党軍の特徴ともいえるドイツ式鉄兜のシルエットがよく分かります。

日本では傀儡政権、中国では漢奸と言われるばかりの中華民国南京国民政府ですが、詳しく見ていくと色々と面白い話や同情すべきところもあります。また後ほどそういったエピソードも紹介していけたらなー、と。