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2008-09-02 | 国際的なこと
ロシアの孤立深まる、ICBM発射実験も実施
2008年8月29日 (トムソンロイター)

 [ドゥシャンベ/パリ/モスクワ 28日 ロイター] グルジア紛争を受け、ロシアの外交上の孤立が強まっている。ロシア、中国、中央アジア4カ国で構成する上海協力機構(SCO)は28日、「領土保全の尊重」をあらためて表明したが、ロシアが発表したグルジア領・南オセチア自治州、アブハジア自治共和国の独立承認への支持は見送った。

 欧州連合(EU)議長国フランスのクシュネル外相は記者団に対し、「(ロシアに対する)制裁など、数多くの措置を検討している」と発言。

 フランスは、グルジア情勢を協議するEU首脳会議を来月1日に開催することを提案している。 
 ロシアのプーチン首相は、CNNとのインタビューで、一部の米国人がグルジア紛争をあおることで国際情勢を緊張させ、「一方の大統領候補に優位な状況」を作り出そうしているのではないかと発言。詳細には触れなかった。
 米ホワイトハウス報道官は、プーチン首相の発言について「明らかに誤り」とコメントした。  
 ロシア軍はこの日、大陸間弾道ミサイル(ICBM)「トーポリ」の打ち上げ実験に成功したと発表した。
 トーポリは、最大射程距離1万キロ。ミサイル防衛(MD)システムでも捕捉できない設計になっているという。
 米国とポーランドは先週、米MD施設をポーランドに配備する合意文書に署名しており、米ロ間の対立が強まっている。
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プーチン氏、グルジア衝突を米政府画策と批判 米TVに
2008年8月29日 ASAHI.COM

 【ワシントン=鵜飼啓】ロシアのプーチン首相は28日、米CNNテレビの単独インタビューに応じ、米政府がグルジア衝突を画策したと批判した。大統領選に影響を与えることを狙ったとの見方も示した。米ホワイトハウスのペリーノ報道官はこれに対し、「全くの誤り」と反論した。
 プーチン氏は、ロシア軍とグルジア軍が衝突した現場から米国人の旅券が回収されたとして、米国人がグルジアの軍事行動に加担していた可能性を指摘。「米国民が紛争地域にいたのであれば、上層部の指示を受けた行動だろう。そういう指示ができるのは(国家)指導者だけだ」と述べた。ロイター通信によると、プーチン氏はこのインタビューで「米国のだれかが、大統領選で候補の一人に有利に働くよう意図的に衝突を作り上げたとの疑いが出てくる」とも話した。候補名は挙げなかったが、安全保障面での経験を売り物にする共和党のマケイン上院議員を念頭にした発言と見られる。
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ロシアとグルジアが戦争に至った7日間 食い違う証言――フィナンシャル・タイムズ
2008年8月31日

(フィナンシャル・タイムズ 2008年8月26日初出 翻訳gooニュース) フィナンシャル・タイムズ取材チーム

南オセチアの州都ツヒンワリ郊外の丘の上に、ロシア平和維持部隊の基地がある。黒こげに焼け、中味は空っぽで、瓦礫に囲まれ。入り口には焼け焦げた戦車が1台。基地内には、ロシア平和維持部隊の司令官補佐ウラジーミル・ウィアノフ大尉がひとり瓦礫を横に立ち、グルジア軍とロシア軍が今月初めに戦闘を展開した渓谷を手で示しながら、自分の物語を語った。これが先週のこと。

この短い戦争の歴史が最終的にどう記録され、誰の行為がどう正当化されるのか。それを決めるのはイワノフ大尉をはじめとする現場の当事者たち。ロシア人だったりグルジア人だったり、アメリカ人だったりする。彼らはそれぞれにこの短い戦争を記憶しているのだが、どのバージョンが最終的に「正史」として勝ち残るかが、この紛争のデリケートな次段階を決める核心的要素となる。各国政府は目的達成のため、真実を最大の武器としてこれから政治と外交の戦いを繰り広げるのだ。

ロシア政府は26日、南オセチア自治州と近くのアブハジア自治共和国(1990年代初めに短い独立戦争を戦い、事実上の独立を獲得した)の独立を承認。この決断は、この地域におけるロシアの目的が200年前からほとんど変わっていないことを示している。いま問われているのは、グルジアがこれから外に向かってどういう政治的な存在になるかどうか、だ。東欧における、北米・西欧協調の出先機関として今後も存在するのか。それとも今一度、モスクワの「勢力圏」に戻っていくのか。軍事顧問130人をグルジアに駐在させている米国は、グルジアに今後も同盟国でいてほしい。なので今年4月には、北大西洋条約機構(NATO)への加盟もいずれできるだろうと約束し、ひるがえってロシアを激怒させた。

対立のエスカレートは、双方の利益にかなっていた。多くの専門家はそう言う。ロシア政府としては、「グルジアのサアカシュビリ大統領は血気盛んで無責任な男で、NATO加盟国としての責任など果たせようもない」と見せ付けたかった。一方のグルジアとしては、歴史的にコーカサス地方を抑圧してきた帝国主義的な侵略者として描きたかった。そうすれば、グルジアはNATO加盟すべきだという説得力が高まるはずだった。

ロシアもグルジアも周到に準備を重ねた上で、切迫する必要に応じて行動したと見せかけ、素早く行動した。サアカシュビリ大統領は繰り返し否定しているが、先に銃を抜いたのは明らかにグルジアだ。とは言うもののロシアもあっという間に反応した。グルジア大統領はロシアが用意周到にしかけていた罠にはまったのかもしれないと思わせられるほどだ。

サアカシュビリ大統領は、8月7日にツヒンワリ攻撃という派手な誤算をしでかして、ひろく非難されている。この攻撃をきっかけにロシア軍が、市民保護のためにグルジア領内に進攻してきたのだ。しかしサアカシュビリ氏は、悪いのはロシア政府だと主張して譲らない。

「真っ先に何があったかというと、ロシアの戦車がやってきたのだ」 サアカシュビリ氏は先週末、フィナンシャル・タイムズにこう話した。しかしグルジア政府はこれまでのところ、裏付けとなる証拠を提出できずにいる。

丘の上にいるロシア平和維持部隊のイワノフ大尉の位置からは、戦闘の舞台をそっくり見下ろすことができる。何がどういう位置関係にあるのかが、一望できるのだ。8月1日に最初の戦闘が始まったこの渓谷には、グルジア人たちの村があり、その家並が見下ろせる。遠くには南オセチアの境界を越えてグルジア本体があり。その境界を越えて7日夜、グルジア軍戦車が最初に現れたのだ。

目撃証言の大半は、緊張関係を最初に悪化させたのは南オセチア分離派だと言う。分離派が8月1日にグルジアの軍用車を爆破し、グルジアの平和維持部隊兵士5人を負傷させたことが、武力衝突の直接的なきっかけだったという。グルジアは暴力に暴力で応じ、南オセチアの民兵6人を殺害。これは当時ツヒンワリにいた西側外交官の話だ。

2004年以来最悪となったこの戦闘に続き、南オセチア自治州政府は市民の避難を開始。ロシアとの武力衝突は回避できないとすでに分かっていたのかもしれない。あるいは……と、親グルジア派は言う。すでにこの時点でモスクワの計画は進んでいたのもしれない、と。南オセチアの元副首相で、今では産業復興のための特別委員会を率いるテイムラズ・チョチエフ氏が、市民の避難を主導した。

「8月2日と3日に避難を開始した。狙撃戦争が始まって、1日で6人が死んでしまった」

緊張が高まるに伴い、南オセチア自治政府は女性と子供たちを、立錐の余地もないバスにぎゅうぎゅう詰めに乗せて避難させた。避難のバスは危険な道を北へ進み、ロシア国境を越えてウラジカフカスまで市民を運んだのだという。

戦闘はしばし中断したが、8月7日にはさらに激化。双方がお互いを非難しあう展開となった。使われる武器はどんどん大掛かりになり、「片方が60ミリ迫撃砲を使えば、もう一方は90ミリでそれに応じ、すると122ミリが出てくるという案配だった」と西側の目撃者は言う。
イワノフ大尉と、親ロ派の南オセチア住民のエドアルド・ココイティ氏によると、その日、ロシア平和維持部隊のマラート・クラフメトフ司令官と、グルジアのテムル・ヤコバシビリ再統合相(南オセチア担当)が会談をもったのだという。会談でクラフメトフ司令官はヤコバシビリ氏に、サアカシュビリ大統領に電話してまずグルジアが一方的に停戦を宣言するよう進言してほしいと要請したのだそうだ。その日の午後7時半、サアカシュビリ大統領は停戦を宣言。「グルジアの警察官に向かって撃ち続けている人たちに言う。大統領の全権をもって告げる。数時間前、グルジアは武力で応酬しないという苦しい決断をした」

しかしこれは役に立たず、戦闘は悪化した。ロシアの平和維持拠点に近いグルジア系の村ニコシに住むグルジア人のお年寄り、アルトゥル・バビルアさんは、最初に発砲した南オセチア人が悪いと非難する。「オセチア側が夕方に撃ち始めた。グルジア側は発砲しなかった。次にむこうがうちの村を砲撃した。オセチア側が先に砲撃したのだ。ロシア軍から武器をもらっていた。8月7日の夕方に始まり、夜を通して砲撃は続いた」

しかしイワノフ大尉は、オセチア人が先にグルジア系の村を砲撃したなどありえないと言う。なぜならロシア軍はそれまでに南オセチア部隊の銃器を没収していたからだと。

停戦を破ったのがどちらにせよ、目撃者によると双方が戦闘を続けた。午後9時半ごろになると、南からグルジアの戦車部隊がツヒンワリへ進軍するのをロシア平和維持部隊は目撃したとイワノフ大尉は言う。大尉によると、クラフメトフ司令官は戦車部隊についてグルジア側に電話し、15分にわたり懸念を伝えたという。

南オセチアとロシア双方の当局関係者によると、ちょうどこのころ、ロシア平和維持部隊と並んで配備されていた南オセチア平和維持部隊が突然、持ち場を離れた。欧州安全保障機構(OSCE)の監視団も同時に、持ち場を離れたという。「グルジアが大攻勢を仕掛けてくると知っていたからだ」とココイティ氏は言う。

事前に情報を得ていた事実はないとOSCEはこれを「ばかげている」と否定する。OSCEのビルジニー・クルドンさんによると、OSCE監視団は8月8日まで持ち場に留まり、その後、避難させられたという。

しかしイワノフ大尉はココイティ氏と同じ意見で、グルジア平和維持部隊とOSCEスタッフは7日夜に退避したと話す。ロシア平和維持部隊は急いで記者会見を開き、グルジア軍の動きについて発表した。「会見のカメラをつけるや否や、重火器の砲撃が始まった。23時30分だった」

この衝突の最大の謎で、詳細が不明で、目撃証言が激しく食い違って錯綜するのが、ここからだ。サアカシュビリ氏は、ロシア軍がロキ・トンネル(ロシアから南オセチア北部に至る)を通ってグルジアに侵攻したと知って初めて、ツヒンワリ攻撃を命令したと主張する。しかしロシア側は、グルジア側が発砲するまでは部隊や迫撃砲の移動は開始しなかったと主張している。

「グルジアが発端だったなどという指摘は唾棄すべきものだ」 8月13日に記者を集めた電話会議で、サアカシュビリ大統領はこう言った。「われわれがロシア軍の動きに反応して動いたのは明らかだ。注目すべきは、午後11時ごろにロシアの戦車がグルジア領内に侵入したということだ。最初は150台だった。これは侵略そのものだった。われわれが迫撃砲で反撃を開始したのは、その時だ。そうしなければロシア軍は橋を渡ってツヒンワリに入っていただろう」

米政府のグルジア担当とされる国務省のマシュー・ブライザ氏は、サアカシュビリ大統領の語る経緯が正しいと言う。7日と8日の事態が展開する渦中にブライザ氏はグルジア指導部と電話で情報交換を続けていた。「グルジア軍がツヒンワリを攻撃するより前に、ロシア戦車隊がロキ・トンネルからグルジアのクルタ村に向かって進軍していると聞かされていた」

しかしサアカシュビリ大統領が語るこの経緯は、グルジア軍幹部が公言する経緯と食い違っている。グルジア国防省で平和維持部隊を統括するマムーカ・クラシュビリ将軍は現地時間午後11時05分に、テレビ会見し、停戦終了とグルジア軍が南オセチアへ大侵攻すると発表している。しかしこのとき将軍は、ロシア軍の侵略があったとは言わず、軍事作戦の目的は南オセチアの分離派を制圧することだと説明している。

サアカシュビリ演説をモニターしていたBBCモニタリングの翻訳によると、大統領は「われわれが平和と一方的な停戦を宣言したにもかかわらず、分離派はグルジアの村落を砲撃し続けた。交渉の席につくよう要求したが、これも全て後ろ向きな反応しか呼ばなかったし、銃撃は絶え間なく続いた。このためグルジアの権力機関はこの地域全体に憲法上の秩序を回復させようと決断した」と話している。

8月23日夜にフィナンシャル・タイムズの取材に応じたサアカシュビリ大統領は、「憲法上の秩序を回復」が軍事作戦の目的ではないし、そういう表現を使ったこともないと否定した。クラシュビリ将軍は武力衝突で重傷を負ったため、確認取材ができない。

その夜の午後11時半を発端に、グルジア軍の迫撃砲から始まり、次にロケット砲、さらにトラック搭載のロケット砲を使って重い122ミリのグラド型ロケットが次々とツヒンワリに撃ち込まれた。数日にわたる攻撃で何十人あるいは何百人もの市民が殺害された。しかし、ロシア側が早い段階で公表した死者数1500―2000人というのは大げさだったようで、ロシアの特別委員会は先週、死者133人を確認したと発表している。ロシア平和維持部隊によると、午前6時にグルジア軍の戦車が州都進攻を開始。イワノフ大尉によると、グルジア軍の攻撃で少なくともロシア平和維持部隊の兵士15人が犠牲になり、さらに大勢が負傷したという。

サアカシュビリ大統領は常に米政府と緊密な関係を保っていた。グルジアには米軍顧問が130人常駐している。一方で米政府は、南オセチアへの軍事行動を承認したことなどないと、否定にやっきになっている。国務省のブライザ氏が言うように、「罠にひっかからないようグルジア指導部に助言していた。数年前から米国はグルジアにそのことを言い続けてきた」 
しかし米政府は、この危機への反応が遅く、防止する努力も足りなかったと批判されている。ストローブ・タルボット元国務副長官は「米政府が青信号を出したなどあり得ないと思う。ただし、赤信号をはっきり出さなかったのは確実だ」と話す。

クレムリンの反応は素早かった。8月8日にロシアの戦闘機がグルジア軍の空爆を開始し、地上軍もあっという間に南オセチアに到達した。しかしロシア軍のこの介入についても、タイミングについては情報が錯綜している。クレムリンが発表した8月19日の公式見解によると、「自衛権にもとづきロシア政府は8月8日、ロシア平和維持部隊と市民を守るため、南オセチアに追加部隊を派遣した」ということになる。

しかし取材したロシア兵士たちは、8月8日午後よりもずっと前から南オセチアへの進軍を開始していたと話している。8日未明にはすでにグルジア国境を越えていたと話す兵士もいる。陸軍第58軍の部隊が先週、グルジア・ルネチからロシア・ウラジカフカスに撤退する最中に取材した歩兵は、自分の部隊が基地からロキ・トンネルに向かったのは8月8日の午前2時だと話している。

第58軍の中佐は匿名を条件に取材に応じ、「緊急事態に対応するよう、7日の夜に指示を受けていた。別地域での演習に派遣されるはずだったのだが。あまりに一気に事態が悪化したので、何時にトンネルに入ったのか正確に覚えていない。グルジアが戦闘を開始するまでは、トンネルには入らなかった」と話した。イワノフ大尉によると、ロシア軍がツヒンワリに到達するまでに2日かかり、ロシア軍の攻撃を受けてグルジア軍は8月10日までに全て撤退していたという。

ロシア軍の反応はあまりにも素早かった。サアカシュビリ大統領の主張するようにグルジアのツヒンワリ攻撃より前にロシア軍は行動していた――というようには見えないが、事前に計画はしてあったのではないか。サアカシュビリ大統領は単に、周到に用意されたロシアの罠にはまっただけではないのか。一部のアナリストはこう見ている。

「ロシアのグルジア侵攻は前もって計画されたものだというのは、今や明らかだ。8月の戦闘開始に向けて準備するという政治的決断がなされたのは、4月のようだ」 独立系「ノーバヤ・ガゼータ」紙の防衛専門家で政府に批判てきなパーベル・フェルゲンガウアー氏は14日にこう書いている。「戦争を計画していたのなら、理由付けはどうとでもなる」

8日から9日にかけて、ツヒンワリの大部分は壊滅した。グルジア軍のスラブ・グラシュビリ軍曹の部隊は8日、ツヒンワリを見下ろせる高台に移動したと話す。「われわれがツヒンワリを壊滅させたなどという報告は、ばかげている。町を破壊したのはロシアの攻撃だ。われわれにはそんなことはできなかった」

しかしツヒンワリの住民はほぼ一様に、悪いのはグルジアだと非難する。ツヒンワリ病院で当直だったティナ・ザハロバイ医師は、砲撃されている間、病院スタッフも患者も悪臭のする地下室に隠れていたと話す。廊下の壁に血の跡が残る。廊下には手術台が置かれており、「負傷者はここに5日間も座っていた」と医師は言う。

グルジア人も、いかに事態が悲惨だったかを語る。グルジア政府が和平を呼びかけているのに、撤退しようとするグルジア部隊をロシア軍機が情け容赦なく砲撃したのだという。ゴリ郊外の軍事基地をねらった爆弾は8月9日、標的を外れてアパートビル2棟を直撃。15人が犠牲になった。

8月12日にはロシア軍機が、ジュネーブ条約で禁止されているクラスター爆弾をゴリと、近隣のルイシ村に投下。オランダ人記者を含む民間人11人が少なくとも犠牲になり、何十人もの負傷者が出た。この爆撃の映像は人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のサイトで見ることができる。ロシアは事後、クラスター爆弾の使用を否定している。

今やグルジアの将来はがけっぷちに立たされている。軍隊は痛めつけられ、ロシアが南オセチアとアブハジアの独立を承認しても、何もできない。グルジア国土の約2割が事実上、分離してしまったというのに、無力なのだ。

誤算に誤算を重ねてきたとはいえ、サアカシュビリ大統領の人気はまだ高い。しかしその立場は弱まりつつあるのかもしれない。皮肉なことに、グルジア国民が大統領に表立って反発しないのは、ロシア軍が目の前にいるからなのだ。


(取材チーム:トビリシとゴリ=チャールズ・クローバー、ツヒンワリとゴリ=キャサリン・ベルトン、ワシントン=ダン・ドンビー、トビリシ=ジャン・シエンスキ)
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「攻撃的な行動には相応の反応」露大統領が逆制裁におわす
2008年9月1日 YOMIURI ON LINE

 【モスクワ=大内佐紀】ロシアのメドベージェフ大統領は8月31日、地元テレビ局とのインタビューで、グルジア紛争に関連し、「ロシアは経済制裁をめったに発動しないが、(発動を)余儀なくされることも時としてある」と述べ、1日の欧州連合(EU)緊急首脳会議で、対露経済制裁が発動されるようなことがあれば、対抗措置をとる考えを示した。
 大統領はまた、「攻撃的な行動に対しては、相応の反応があるものだ」と述べた。
 冷却化した欧米との関係をいかに修復するかについては、「国際社会における我々のパートナーの出方にかかっている」と述べ、まずは欧米がグルジアへの支持を控えることが先決との考えを示した。
 大統領はさらに「米国がすべてを決定するような一極主義は容認できない」とブッシュ政権への反発をあらわにした上で、多極化した世界秩序の構築を目指す考えを強調。その一方で、「ロシアは孤立を望んでおらず、欧州とも米国とも関係を発展させたい」とも語った。
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大国とは言え、素早く状況に対応したロシアの能力は非常に高いと言えるでしょう。

どこぞの反応の悪い経済大国とは違います。

勿論、この国は合法的な範囲での情報宣伝活動も非常に優れています。

日本の現状など、しっかり把握、分析終了しているはずですから、まぁ憐憫の視線で見られているのは確かでしょう。

情報収集、情報分析、情報活用の能力に於いて、全く日本の能力は情けない限りです。


恐らくは第一線の情報管理者の能力は他国と変わらないはずなのに。

これは戦略・理念のない政治家に問題があるんですね。

それに反日的マスコミの活動。


今回の事件も、日本は状況を有効に活用するべきなのです。

日本はロシア、NATO双方に高く売るチャンスです。


でもまぁ、また何もしないんでしょうね。

また、チャンスは去って行くわけです。


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