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2008-09-18 | 世の中のこと
上杉隆インタビュー『ジャーナリズム崩壊』はすでに始まっている
2008年9月16日 DIAMONDO ON LINE

ジャーナリスト・上杉隆氏の新刊『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)が話題を呼んでいる。大新聞、テレビなど巨大報道機関に巣食う歪んだ構造に鋭くメスをいれ、ジャーナリズムのあるべき姿を問う渾身のノンフィクションだ。かつてないマスコミ不信の高まりで、報道への信頼が揺らぐ中、メディアはどこへ向かうのか。上杉氏が語った。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 田上雄司)


上杉隆 1968年福岡県生まれ。都留文科大学卒業。NHK報道局勤務、衆議院議員公設秘書、ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者などを経て、フリージャーナリストに。ダイヤモンド・オンラインで「週刊・上杉隆」を連載中。
―メディアをテーマにした本はヒットしづらいと言われますが、今回はかなり好調です。

 立花隆氏が『ジャーナリズムを考える旅』(のち『アメリカジャーナリズム報告』に改題)を出したのが1978年。田勢康弘氏の『政治ジャーナリズムの罪と罰』が94年、岩瀬達哉氏が『新聞が面白くない理由』を書き出したのが97年です。いずれも当時の日本にまだインターネットは登場していませんでした。しかし今では、ネットを通じてメディアへの不信が社会全体に広がっています。メディア業界の不祥事も、ここ4、5年次々に明らかになっている。この本が、世間のメディア不信を代弁する形になったのかもしれません。

―記者クラブの閉鎖性など、日本のマスコミに対して辛らつな批判、問題提起をしています。

 前作『官邸崩壊』(新潮社)とは逆で、今回は政治家からの反応がいい(笑)。地方の新聞やテレビ記者、記者クラブに入れない雑誌や情報番組の制作スタッフなど大新聞以外のマスコミ人からは、溜飲を下げたという声を聞きます。全国紙に関しては、とくに上層部の人たちが頭に来ているようです。ただ、現状に疑問を抱いている若手層からは割と支持を得ているようです。

―記者クラブの壁は、普段の取材活動の中でも感じますか。

 すべての取材において感じますね。フリーの立場の私の場合、議員会館に入って政治家に会うまでに相当な時間がかかる。受付で氏名、住所、理由などを書いて、ボディチェックを受けてようやく面会票が発行されても、ルール上では1つの事務所しか行けない。国会の場合は秘書用の通行証を借りて入るが、通行証は1事務所1つしかないので、他に貸し出されていると取れないわけです。また、衆議院と参議院は別なので、衆議院の通行証で入ると、参議院に移動した時、たとえば一緒にいる議員や記者は移動できても、私だけが衛視に止められてしまうんです。するとまた、一旦国会を出て参議院の受付で申請することになる。毎日その繰り返しですから、それだけでも新聞記者に比べると明らかに不利です。

本当は雑誌協会に入って記者証を発行してもらえば楽なんですが、私の場合は編集部に依頼されてから取材を始めるのではなく、とりあえずフリーの立場で取材して、どこの記事に使うかは後で判断するわけです。仮に「文藝春秋」のスタッフの立場だけで取材を申し込むと、『ダイヤモンド・オンライン』でそのネタを使えなくなっちゃいますから。

―記者クラブが権力へのアクセス権を独占しているのが問題であると指摘しています。

 日本は会社単位で取材の可否が決まってしまう。非常にいびつな権力へのアクセス権の担保の仕方だと思いますね。日本以外の世界中では、政治家など公権力側が、会うべきメディアを決める。そうすれば取材者がアクセス権を封じ込められても、記事の中で、取材を拒否された事実を書くことができる。しかし日本の場合は、政治家本人が会っても構わないと言ってるのに、記者クラブに横槍を入れられると面会ができない。これでは、記事に何も書きようがないわけです。

 日本以外のほぼすべての国には、日本のような記者クラブが存在せず、権力自身がアクセスの決定権を握っています。日本も、記者クラブが独占するその権利をオープンにすれば、競争が生じ、長い目でみればメディア全体が活性化し、権力監視の機能も強化されます。それがメディア不信からの脱却にもつながります。

 記者クラブに縛られている記者自身も解放されて、もっといい記事が書けるようになるはずです。私はいろんな国の記者と接してきましたが、日本の記者はその中でも比較的優秀な人が多い。基礎学力が高く、真面目な国民性ゆえに仕事が丁寧。彼らがもっと自由に書けるのならば、世界トップクラスのジャーナリストになると思います。しかしシステムが、彼らの能力をつぶしているんです。

―大新聞の特権意識の一つの象徴として、「一部週刊誌によると」という表現があります。引用した雑誌名も記さずスクープ記事の後追いをする。新聞社のつまらないメンツを感じます。

 新聞やテレビは自分たちの記事引用に関する権利にはうるさい割に、自らは雑誌から平気で盗用している。もう一つひどいのが「わかった」という報じ方です。最初にスクープした他媒体に敬意を表して出所を明記するのは海外では当たり前のことですが、たとえば朝日新聞が「昨日の読売新聞のスクープによると~」などと書いたことは、ここ100年間で1度もないと思います。

 2006年、日経新聞が朝刊1面で報じた「富田メモ」のスクープ(昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示していたという報道)でも、その日の夕刊で全紙が「~がわかった」と、さも自分たちが独自に見つけた情報のように書く。これはおかしいじゃないかと新聞社の人に言ったところ、「日経が記事を出した後に我々も取材したから良いんだ」と言われ、呆れました。

―本書の中では、ご自身が在籍したニューヨーク・タイムズ(NYT)と、日本マスコミを比較し、彼我の差を際立たせる手法を取っています。

 米国かぶれという批判を受けるとも思いましたが、別にNYTの良さを書いたわけではなく、米国と比較することで、日本の記者クラブの悪いところをあぶり出したかったんです。朝日新聞は、いくら雑誌に批判されても、週刊誌ごときが何をほざくかという感じで見下しますが、朝日が崇めるNYTとの比較で言われると、彼らもジリジリするでしょうから(笑)。

―米国の新聞にも、日本と比べて良い部分もあれば、悪い部分もあると思います。

 米国の良い面はまず、記者が自分のスタイル、文体で書けるので、読者もファンになりやすい。また、長い記事が書ける自由さもある。米国の新聞記事は、日本の週刊誌の記事に近い。ストレートニュースは、ワイヤーサービス(通信社)の仕事です。

 ただ、マイナス面もあります。各記者がバラバラに取材して書くので、日本のチーム取材と違って、情報量をクロスさせることができない。個人主義なので、同僚記者にも一切情報は渡さないという弊害があります。また記者の能力に依存してしまうので、ひどい記者の記事だと、事実誤認の多いとんでもないものも出かねない。そうした点では、日本の集団主義によるチーム取材の良さを感じますね。

―米国はジャーナリスト、日本はサラリーマン記者、とも書いています。

 米国のメディア業界では、一つの会社に長くいるほど、無能だと見なされることがある。米国型の職業としてのジャーナリストにしてみれば会社を移ること自体がプラスなんです。古巣に戻ろうと思えば、再び契約すればよい。メジャーリーガーの契約と似た感覚です。だから会社の方針にも正面切って反論し、ジャーナリストとしての信念を貫くことができる。しかし、日本は所得が極端に下がってしまうなど、フリーランスの利点が少なく、サラリーマンとして上の言うとおりに動く記者ばかりになってしまうのです。

―インターネットの影響で、マスメディア全体の力が落ちています。新聞社の部数減、広告収入の落ち込みは深刻です。

 新聞のオンライン化に関しては、NYTは早かった。広告収益もネットが本紙を上回りました。発行部数も新聞本体を存続できる程度で下げ止まっているという見方を、彼ら自身はしています。本書にも書きましたが、米国の新聞がなぜ経営が可能かというと、ストレートニュースを通信社に任せることで、少ない人数で紙面が作れるからです。一方日本は、各社3000~4000人も社員を抱えている。おそらくこれからは膨大な人件費を維持できなくなるでしょう。また取材もせず、記事も書かない上の世代が多数残っており、現場の若い記者が電車やタクシーを使っているのに、編集委員クラスがハイヤーを使っているような状態です。

日本の産業界全体がグローバル化を遂げる中で、メディアは最後に残されたドメスティック産業という見方もあります。

 農業ですらWTO加入により構造転換を迫られ、国際化への改革の途上にある。一方で、メディア業界は日本語という障壁に守られているため、それが外へ出て行く障害になってしまっています。人口が減少し、無読者層も増えていく中で、国内のパイがどんどん縮小している。マーケット的に考えるならば、中国の13億人に向けて、記事を中国語で発信していくことも必要なのかもしれません。あれだけ反日精神を持っているということは、逆に日本に興味を抱いているという裏返しですから。

 アメリカ国内はすでに日本に対する関心が失われているので、英語で発信してもほとんど読まれないと思います。私がNYTに入った99年、東京には特派員が3人いましたが、それがついに1.5人になりました。東京発で採用される記事が激減し、中国発の記事が増えていったためです。ジャパン・バッシングが、パッシング、ナッシングへと変化していくさまを、当時目の当たりにしました。

―上杉さん自身もブログで発信していますが、ネットでは誰もが発言者になれます。プロのジャーナリストも一ブロガーと同じ土俵に立たされることにもなります。

 じつは私自身は余裕を感じているんです。私は東京にいて取材をしているという強みがありますが、地方のブロガーは首都の取材はできないので、いくら素晴らしい意見は発表しても、それ以上は無理でしょう。むしろ辛いのは、取材をしない評論家・コメンテーターという立場の人たちではないでしょうか。テレビでの特異な見解や陳腐な意見などは、後にネット上で攻撃され、信頼を失なう。間違ったコメントを本人があとで軌道修正しようとしても、ユーチューブなどで過去の発言を流され、誤魔化しを指摘されてしまう。すると、活字媒体もその評論家を使いにくくなります。

―上杉さんはジャーナリストとして、ブログを非常にうまく活用していますね。


上杉隆 著 幻冬舎新書 740円(税別)
 いざとなったら執筆した雑誌の記事の情報を、ブログでアップデートすることもできます。多くの編集部は「お詫びと訂正」を載せることを極端に嫌がりますが、自分のブログで謝って訂正することができる。それと私の場合はメールアドレスを直接公開しているので、情報提供が編集部経由でなく直接入ってくるようになったところも利点です。

 そうはいっても取材費は編集部から頂いているので、媒体で発表された後にしかブログで公開しないという絶対のルールを作っています。ただ、多忙な中で毎日エントリーするのは正直辛い。たまに2、3日更新を休むと、「死んでるのか」とかメールがたくさん来て結構大変なんです(笑)。
・・・・・・・・・
良書に決まってても読む気がしない本ってあります。

まぁ、図書館にあったら、パラパラ“見て”みるかも。

だって日本のジャーナリズムがどんなモノか、良く存じてますから。

前から言ってますけど、カルト防止法、スパイ防止法の次は虚偽報道防止法ですから。

故意に虚偽の報道をする、現在の日本マスコミってのは、もう到底許せるモノじゃありません。

害毒はカルト、スパイに次ぎます。

また、NHKってのは公共放送なんて止めて、完全に国営にすべきです。

日本国の“広報”に使うべき。

自分勝手な公共放送なんざ、いりません。

国営放送のが権威がありますしね。


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