9年前の今頃
何をしていたっけ?
アユに何度 電話してもつながらなくて
何度も何度も
どのくらいかわからないほど電話をかけた。
停電になってたから
テレビでニュースも見れなくて
パパが
「クルマのテレビで見れるよ」
と言ってくれたけど
なんだか怖くて
くーちゃんとくっついて早く寝た。
とりあえず寝てしまえ
と思って
懐中電灯を沢山付けてたけど
早く消して
真っ暗な中
アユは大丈夫だ!
と思って
寝た
大丈夫じゃなかったのに…
バカだ 私
アユと凛は……
「追悼式がなくなって残念だね」とおっしゃる方がいましたが
3月11日のあの日と同じ日に女川の場所にいて
アユと凛に花を渡す事に意味があると思っています。
今年、初めて2時46分アユの見つかった海でその時を過ごしました。
(毎年、女川町立体育館での追悼式に参加していたので)
どんなにか怖かった事か…
どんなに不安で、心細かった事か…
9年前
きっと無事だと信じて疑いませんでした。
6ヶ月だった凛は9歳
26歳だったアユは35歳になりました。
どんな少年でどんなお母さんなんだろう。
もう想像できない。
でも、アユの声は今も覚えていて
夢はみないのに
声は時々聞こえてくる。
前がどっちなのかわからなくて
何年もただ時間をやり過ごした。
周りの景色はどんどん変わっていって
アユの知らない事がどんどん増えていって
それがイヤでイヤで仕方なかった。
人は「前」を向かないといけない事みたいに言われるけど
「前」はどっちなのか全然わからなかった。
それでも9年生きてこれました。
今日まで沢山の方々に支えてもらって過ごしてきました。
毎年
アユと凛を思って声をかけてくれる方々もいて
忘れないでいてくれる事に感謝しています。
ありがとうございます。
そんな思いも全部持って
女川の空の上にいるだろう
アユと凛に渡してきたつもりです。
待ち合わせたかの様に偶然
女川町長とお会いする事ができました。
引き寄せは
アユと凛のおかげです。(写真はカット…)
震災遺構として整備された交番
私にはとても辛いものでしたが記録として写真に納めてきました。