アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

9年前の今頃

2020年03月11日 | 東日本大震災の事
9年前の今頃
何をしていたっけ?

アユに何度 電話してもつながらなくて
何度も何度も
どのくらいかわからないほど電話をかけた。

停電になってたから
テレビでニュースも見れなくて
パパが
「クルマのテレビで見れるよ」
と言ってくれたけど
なんだか怖くて
くーちゃんとくっついて早く寝た。

とりあえず寝てしまえ
と思って
懐中電灯を沢山付けてたけど
早く消して
真っ暗な中
アユは大丈夫だ!
と思って  

寝た

大丈夫じゃなかったのに…
バカだ 私

アユと凛は……

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2020年3月11日

2020年03月11日 | 東日本大震災の事

「追悼式がなくなって残念だね」とおっしゃる方がいましたが

311日のあの日と同じ日に女川の場所にいて

アユと凛に花を渡す事に意味があると思っています。

今年、初めて246分アユの見つかった海でその時を過ごしました。

(毎年、女川町立体育館での追悼式に参加していたので)










どんなにか怖かった事か

どんなに不安で、心細かった事か

9年前 

きっと無事だと信じて疑いませんでした。


6ヶ月だった凛は9

26歳だったアユは35歳になりました。

どんな少年でどんなお母さんなんだろう。

もう想像できない。

でも、アユの声は今も覚えていて

夢はみないのに

声は時々聞こえてくる。







前がどっちなのかわからなくて

何年もただ時間をやり過ごした。

周りの景色はどんどん変わっていって

アユの知らない事がどんどん増えていって

それがイヤでイヤで仕方なかった。


人は「前」を向かないといけない事みたいに言われるけど

「前」はどっちなのか全然わからなかった。

それでも9年生きてこれました。








今日まで沢山の方々に支えてもらって過ごしてきました。

毎年

アユと凛を思って声をかけてくれる方々もいて

忘れないでいてくれる事に感謝しています。

ありがとうございます。


そんな思いも全部持って

女川の空の上にいるだろう

アユと凛に渡してきたつもりです。


待ち合わせたかの様に偶然

女川町長とお会いする事ができました。

引き寄せは

アユと凛のおかげです。(写真はカット…)



震災遺構として整備された交番

私にはとても辛いものでしたが記録として写真に納めてきました。











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今日は…

2020年03月11日 | 東日本大震災の事
3月11日の震災関連のブログといえば
偉そうな上から目線の話ししか見当たらなくて
ガッカリする。

何か大変な出来事があると
世の中
評論家だらけ

そんなのは
今日は聞きたくない
読みたくもない。

アユと凛はいない

この現実は消えてなくならない。
どんなに偉そうな話しをしても
どんなに街がキレイになっても
沢山の人が忘れてしまっても
あの時
めちゃくちゃに壊れた街の中の
海に沈められた
アユと凛の現実を
かき消してくれる話しをしている人は
誰もいない。

そうやってなくなったのは
アユと凛だけじゃないけど
私はアユと凛の母でありパパでだから
二人の事しか考えない。

今日はそういう3月11日


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