還暦ホノルルマラソンを夢見て

メタボを改善し、還暦から新しい人生目指して、あくなきチャレンジをブログります。

ハーフマラソン完走の感激

2020年05月21日 | ハーフマラソンぐらい
 昨日、5月20日初めてハーフマラソンを走り切りました。走り出した時は、15kmぐらいまで行けたらいいや。と、思いながら。いつもの様に小畑川を降ります。一文橋、”半兵衛さんありがとうございます。”と、心で呟きながら渡ります。すると、仁王様、初めてあやパパにOKを出して頂きました。綺麗にタイミンングよく、青。うーん感激です。

 俄然、調子が出てきました。6kmのグラPではポプラ並木が<応援してるよ>と声を掛けてくれました、まあ、そんな気がしました。グラPがグッPになったです。羽束師橋、いつもの様に爽快なグッPです。ピューん道路、軽快。これで10km。おなじみです。

 水分補給しながら、大魔神の待つ12kmに。ここでも、気持ちよく走れました。大魔神の写真を撮ろうと、スマホを構えたら、<上手く写してくれよ>と言われました。まあ、それなりに取れたのが一枚目です。記念日なので写真が複数です。いつもは、
ここらで歩く場所をそのまま走ります。少し、早く走ったりして。

 うーん。調子に乗ったらダメだなと思い、すぐ控えめに。先ほど高架下をくぐってきた、JR京都線や新幹線を再度くぐり北上。桂大橋に至りました。この橋を初めて渡った昨年の12月には、どのくらい先に、ここを走って渡れるのかと思いましたが、今日がその日。ありがとう。感謝です。
 
 桂大橋を渡り、桂川右岸にそこを右に曲がります。桂離宮の横を通り、阪急京都線を再び越えます。河川敷に降りて、畑の中を進みます。田舎の風景完璧な場所。ここだけ写真とれば、誰が京都市内で上を見れば国道9号線があるとは思わないでしょう。安らぎます。道の横に、鮮やかな赤い花を見つけました。花を見て、美しいと思う余裕はまだあります。ひょっとして、走り切れるかもと思いました。

 松尾大社が遠くに見えてきました。ここまできたのは、前回だけです。それも歩いて。桂川右岸からは比叡山が遠望できます。応援してくれている様です。大きな橋が掛かっています。この橋の道は、四条通です。川を跨いで繁華街の四条河原町まで続いています。ここもクリア。さあ、これを過ぎるといよいよ、渡月橋しかありません。あと、2kmです。松尾公園が河川敷にあります。次が嵐山東公園。足がパンパンになっているのを無視して続けます。ペースは8分30秒/kmです。もうヘロヘロですが、走っているポーズ。何事も最後の一割が大変です。ほんとそう思いました。しかし、歩こうとは、不思議に思いません。何かがそうさせています。

 4年前の、メタな頃、東京の友人と四国の金毘羅さんに行きました。小雨の中。足元も悪いので山に登るのはやめようかと悩んだ結果、ここまで、きたんだから思い切って登ろうとの事になりました。石の階段は1366段、厳しい。ところが何か軽快に登れます。雨が降る中、遠くから来たおっさん二人(ちなみに、前夜は飲み過ぎ)に金比羅さんが力を貸してくれている感じ。それほど体が軽いです。友人も同じ感想。終始護られている感じで参拝を終えました。金色のお守りを買ったりして。

 嵐山までの2kmは自分の力で走った気がしません。私の力は四条通ぐらいまでかな?それでも導かれて、渡月橋まで来ました。そこでハーフの距離ですが、折角だから橋を渡って、おしまいにしようと、観光客もまばらな渡月橋を渡りました。感謝の光に包まれて。そんな気がするほど、素晴らしい経験ができました。人生最初のハーフマラソン。できすぎです。写真は、帰り道から撮影したものです。こんなコースで毎回練習できる幸運に感謝です。

 師走にて 夢と覚えし 桂橋 松を超えゆき 月を渡らん あやパパ

大魔神こと、消防本部の鉄塔


美しい、赤い花(ブラシの木、14km)


嵐山 渡月橋

怪我に注意(その1)

2020年05月20日 | 日記
 この前、NHKでランニングの時にマスクをしないで走る時は、前後10m以上離れて走るとか、追い越す時やすれ違う時には1.5m離れて追い越すとか、マスクをして走ると心肺に負担が掛かるので、早く走らないとか、の解説がありました。都会では肯ける感じですね。私の走る田舎では、前後1kmに人がいなかったりするので、もう少し密度が欲しいくらいですが。

 反面、最近のように暑くなってくるとマスクによる熱中症の問題の方が直接的に効いて来ます。慌てて、十分な距離を取って、マスクは無しでも熱中症予防を!と注意喚起したりして。いちいち、指図しなくても、長距離を走ろうとしている人は、人一倍周りの人とか自分の体調や健康には気をつけているですよ。気をつけているかも。多分。じゃない人もいるかも。関白親父になって来ました。

 マスクもそうだと思いますが、走っていて危ないなと感じることも時々あります。一番怖いのは、桂川沿いの遊歩道です。バイク(自転車)も通行OKですが、制限時速は30kmです。ここを、凄まじいスピードで通り過ぎてゆく50kmぐらい?。それもギリギリで。これ、接触したら大変ですよ。特に、下流に向かって走るバイクは多少の勾配もあるのでスピードが出ます。なので、あやパパは、上流向きにしか走りません。後ろからギューンと来られると怖いから。多少でも自己防衛です。また、なぜか、バイクとすれ違う時に、ちょうど、他の歩いている人とすれ違うような二重追い越し場面に出くわします。タイミング良く。悪く。すれ違う人は、後ろから高速物体が来ているとは知りません。その点、音もなく猛スピードで迫って来るのです。この歩行者とあやパパとの間合いは十分です。すれ違う人は「十分間隔があって、問題なし。」との表情です。

 その間を、かのバイクが走り抜けます。ギューゥン狭いとこをすり抜けるのが快感とばかりに。あやパパに注意を向けていた、すれ違う人は、ほぼ確実に驚き、中には腰が抜けそうになる人もたまにいます。危ないなあ。バイクはスピード出たら、ブレーキ掛けるのが勿体ないと思うんでしょうねきっと。また、そんな危険を楽しんでいるかのような行動もあって怖いです。こっちは、ヘロヘロRUNなので、咄嗟の対応に自信なしです。自転車専用道を対岸に作ってもらいたいぐらいです。

 それでも、ハーフがほぼできそうな近頃、”多少、うまくなった時こそ怪我に注意”と遥か昔に、言われた事を思い出しました。「失敗学」なる分野があって、そこでも”慣れこそがミスの素”と指摘されています。COVID-19 で子供達も登校できない今年は、例年なら1年生が学校に慣れて来た今頃が危ないのですが、今年はその時期も曖昧で、気をつけないといけない期間が広がりそうです。自分自身の注意だけでなく、予防的安全配慮、想像力を働かせた危険予知行動が必要です。あやパパは想像力は十人前ですが、予知はできるかなあ。

 写真は、羽束師橋を渡り、上流に向かう道です。横の川は鴨川です。ここで”ピューん兄い(なんの事か?な人は4/26日:憧れ(その1)参照)”にお会いしました。よって、鴨川沿いの久我橋までの道(2km)は”ピューん道”と命名です。でもここは、暴走バイクの名所でもあります。

 よいたるは なれしときこそ あやうかれ そこになきこそ そこにあれこそ 
                            あやパパ


こどもの国 4.2kmマラソン大会(その3:練習1)

2020年05月19日 | 5kmまで
 11月に入り、成長が著しく無いあやパパは、相棒GAMIN ForAthlete 45を得て記録を取り出しました。それによると11月1日は5.7kmを57分で2/3は歩きながらこなしていました。これが、12月1日になると、10kmを1時間27分ぐらいまで回せるようになりました。距離、時間ともに成果あり?。こうして見ると、こどもの国以来、速さは全然早くなっていないなあ。改めて、良くわかります。やはり、大会に出ないとダメなんだなー。でも、11月の1ヶ月間で、5kmを約20分短縮です。もともとが、遅いので効果抜群との勘違いが楽しいです。体重も、10kgぐらいは減った時期です。

 その頃は、とりあえず多く走る、を大切に、3日に1回はRUNです。”ヘタクソは 数をこなして もの覚え”です。11月は数えて見ると11回、RUN記録がありました。5kmから8kmぐらいです。この頃は、”目標として少しづつ一度に走れる距離を伸ばすこと。”を目標にしていました。
 
 西京区の周回7km弱のコースで練習です。このコースが沓掛インター(写真は国道9号線から沓掛を遠望)まで坂を登ような配置となっていまして、結構疲れます。特に坂を登り始める3〜4kmの区間は制覇するのに大変でした。そんなコースで洛西中央通りから、右手に給水塔が見えて来ます。この塔が見えると坂道が半分終わりです。この塔が見えるまでは走るぞ!との気合で臨みます。
 
 11月の夕方。あっと言う間に暗くなります。あっ。真っ暗。幸い都会ですので、獣とかは出て来ません。闇に浮かぶ給水塔は大魔神。あやパパを「こっちまでおいで〜。まあ、無理やろっけどなー」。なんて言っているようにも思います。うーん。その内に、こんなとこ余裕のよっちゃんですっ飛ばしてやるからなー。今に見てろ!と心中、叫びながらギブアップを繰り返しました。ゼイゼイ&ぎゃぶん。11月はこの給水塔の壁は越えられませんでした。

 今でも、12kmのとこと14kmのとこに地球の重力がキツいとこ(グラビティポイント:グラPと命名!)。があります。京都消防本部の高い塔があったりしたりします。デカくなった大魔神。強敵です。これを越えたら、また、軽快に走れたりします。頭がそのようにパターン化してしまっているからでしょうか。

 今でも、その内見てろ!の気合は変わりません。10kmの時にも6kmの辺で、それはありました。調子の悪い時は、やはりそこ、グラPで引っかかります。桂川コースのローソンさん手前。ここは、家来が増えたり、小魔神でピンチになったりいろんな事が起こる場所でもあります。

 対抗措置も開発。グラP地域を少し過ぎたとこに、良い印(グッドポイント:グッPと命名)を見つけてそこまでやるです。あやパパの6km対抗のグッPは、いつも登場する羽束師橋です。いつ通っても、爽やかな透き通る桂川の南風に勇気をもらいます。本当に良きグッPです。ここは、橋全体がパワースポットかも。
 
 いずれのグラPも、昔は(つい最近ですが、、)ここで大変だったなー。と思って走る事ができます(ぐらP→ぐっP変換の法則!)。そんな時に、成長?を感じる事がさらなる成長に繋がると思います。フルマラソンまでに、あと幾つ、ぐらP地帯を越えてゆくのかも楽しみです。できたら、10個以下でお願いします。

 越えてゆく 一つ一つの いとなみは 思い出作り 夢につながり あやパパ



心配な新幹線

2020年05月19日 | 日記
 3月から乗らない新幹線。自由席のお客さんゼロ日もあるとか。新幹線自体は、そうは言っても日本の動脈ですから、持ち直すと思いますが、心配なのは、車内販売の姉さん達です。
 
 COVID−19が流行り出して来た3月上旬に新横浜から、京都まで利用しました。その時にもお客さんが少なかったので、いつもは買わないのですが、なんか暇そうだったからチョコ(買ったのは、甘すぎるやつ)を買いました。普通に処理するお姉さん。そこであやパパは「お客さんが少ないと、張り合いが無いですねー」と声かけると。「えーそうなんですよーぅ。キャッキャきゃっ!。」おっさんに話しかけられて嫌な顔一つせずに、コロコロ零れる笑顔に、全部、救われた気がしました。ありがとう。

 あの姉さん、元気でやっているだろうか。量子力学的には、一度出会ったものは距離がいくら離れても、どこにいても繋がっていて、相互作用があるとの事。「姉さん、お客さんが少ないだろうけど、新幹線に乗るオヤジ達は、姉さんに会うのを楽しみにしているんです。どうか。あの笑顔をみんなにも見せてあげて下さい。」とお願いしました。

 新幹線だけでなく、電車さえ、あやパパは2ヶ月半ぐらい乗っていません。最後にお世話になったのは、3月はじめに、無理して渡月橋まで走ったらくたびれてしまい、もうダメ状態で、阪急とバスで家まで帰って来た情けない乗車事件以来です。あれから2ヶ月半、昨日(5月17日)はハーフを渡月橋(嵐山)近くまで走り、(27kmあるかと思ったら25kmしかなかったですが、)割合、余裕で走れるようになりました。ハーフもやっと3時間を切れました。早く、新幹線に乗って横浜の方も走りたいですね。最後に走ったのは、桜の前でした。

 線路ゆく 新幹線の 高架下 我は走りて 夢に乗るらん あやパパ



長丁場

2020年05月17日 | 日記
 COVIDー19禍による世界的、かつ長期にわたる対応が求めれれていますが、説明で良く、”長丁場”と言いいますね。”長丁場”はて、良く使うけど語源は何かな?宿屋なんかで、宴会が延々と続き、料理人の皆さんが夜中まで、肴や酒やらを膳立てしなければならい状態?とか、ぼんやりと想像しました。勝手な想像は得意です。でも、調べてみました。”長丁場”。以下、日本語不思議辞典(https://wisdom-box.com/)さんから引用。

 「東海道五十三次」でも有名ですが、昔の東海道には、53箇所もの次(宿場町)があり、 この宿場と宿場との間の距離を「丁場」(「町場」「帳場」とも書く)と呼んでいました。各々の宿場町との距離も険しい山道や川などで隔てられ、 遠かったり近かったりと様々で、距離が長い宿場間のことを「長丁場」と呼んでいました。
そして、長い距離は時間もかかることから、仕事などで長時間かかることも「長丁場」と言うようになったそうです。(引用終り)

 なるほどです。丁場は台所と思ってました。じゃあ、そんなに宿場間は遠かったのかと思ったら、ほぼ3里(11.8km)以内です。これを超える宿場間は東海道では8区間しかありません。江戸側から順に、大磯ー小田原(4里)、小田原ー箱根(4里8町)、箱根ー三島(3里28町)、原ー吉原(3里22町)、見付ー浜松(4里7町)、岡崎ー池鯉鮒(3里29町)、宮ー桑名(7里)、水口ー石部(3.5里)、草津ー大津(3里24町)です。

 毎回、ハーフをやり出したあやパパから見ると、10kmほどの距離でへこたれるのは情けなし、と思いましたが、良く考えると、旅人は多くの荷物やらななやらを携えての行程のはず。まあ、大変ですよね。ここでも納得。

 長丁場、9個あるじゃあないか!と、おっしゃる皆さん。良くみておられます。大したものです。ぼーっとみてませんね。その通り。一番長い、宮(熱田神宮)ー桑名(7里)間は、ボートを使うんですね。やりぃ。ぼーっとみてた人も正解になりますね。

 さあ、なんでここだけ海路でしょうか。それすなわち、大井川なんかと同じで、江戸防衛の対策だったようです。桑名の港は「七里の渡し」と言うとか。あやパパは、知りませんでした。皆さんご存知?

 これにあやかって、ホノルルまでの1642.5里を渡してもらうために、長丁場の練習は7里に決定です。写真は、広重の”桑名 七里渡"です。素晴らしい構図、その昔、永谷園さんのお茶漬けに東海道五三次カードがおまけで付いてきて、相当集めましたが、何故か同じやつばかりが続いてしまったので、興味がなくなってしまいました。それは、"庄野 白雨"。桑名から、3番目(京都側)にあります。夕立に見舞われた坂道を五人が上り、一人が駆け下る図です。広重最高傑作の一つとされています。

 旅人の 七里を帆掛け ゆくなみま ときの流れに ゆれてゆられて あやパパ