オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

新聞記者

2019-07-15 | 映画
2時間と言う長時間、息をつめて見入った。
こんな映画に出会うのは初めてである。
来る日も来る日も同じ日常で、その何も起こらない日常に慣れ親しみ、穏やかな幸せすら感じている。
 
世界中の政治家が劣化している現代、世界は誰の思惑で動いているのか?政治家ではない何か?知性のかけらすらもなさそうな政治家を動かしているのは誰か?
実態はわからない。この映画で見えてくるのは、官僚(内閣情報調査室)という忖度集団。時代の空気を巧妙に読み取って、ほんのちょっと情報操作、印象操作を行う。
 
国民も真実を知りたいとは思っていないし、マスコミもどうでもいいニュ-スばかり垂れ流しにする令和の時代。特にテレビ報道は噴飯ものだ。NHK以外、ここ1週間の報道はジャニ-ズ事務所の話ばかり。
正直、驚くのを通り越して日本のテレビ局はジャニ-ズ事務所に支配されているのを確信した。国民が芸能人に浮かれ、ネトウヨに支配されて、真実を見ようともしないのだから、この国の未来は闇だ・・・・・・。
 
この国の民主主義は形だけでいいんだ。映画のラストで、内閣調査室のトップが、政権がひた隠す新設大学の暗部を告発しようとする若手官僚(松坂桃李)の背中に向けて投げつけた言葉だ。
 
菅官房長官の会見で、質問を次々に浴びせ、名をあげた、東京新聞・望月衣塑子の『新聞記者』(角川新書)を原案にして作られたポリティカル映画である。
加計学園の獣医学部新設問題、文書改竄問題、役人の自殺、前川喜平・元文部科学事務次官の「出会い系バー」報道、伊藤詩織の性被害告発など、安倍政権がらみの“事件”を彷彿とさせるシーンが随所に出てくる。安倍一強政権が延々続く中、参議院選がスタートするこの時期に、政治の腐敗を真っ向から描こうとした監督、スタッフが存在することを評価したい。
 
日本映画の本格的社会派作品である。1960年代や70年代は、政治腐敗を描く映画が話題を呼んだ。黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』(1960)。大島渚監督の『日本の夜と霧』(1960)。
山本薩夫監督の『金環蝕』(1975)。山崎豊子原作による山本薩夫監督の『不毛地帯』(1976)。1976年2月にアメリカの航空機メーカー、ロッキードの日本への航空機売り込みに絡む疑獄事件が発覚し、後に田中角栄が逮捕された。だが、その後、政治が絡む映画は作られなくなっていく。高度成長期まで勢いのあった左翼の勢力が衰えたのも、要因であろう。
 
そもそもマスコミが政権と対峙する構図が嘘っぽくて支持を失った。『新聞記者』に漂うのも閉塞感だけである。
現実世界もバブルが弾け、規制緩和とともに多くの非正規労働者を生み出した。急速な少子高齢化が進み、年金制度や社会福祉政策が破綻寸前である。
 
この国には民主主義によく似た形があるだけである。個人情報保護法、盗聴法、特定秘密保護法、共謀罪など、言論の自由を圧殺する法律が縦横無尽に張り巡らされている。全国に設置された監視カメラ、Nシステムなど、日本の実態は「警察国家」「監視国家」である。本来ならメディアが、そうした権力の横暴をチェックするのだが、大手新聞のほとんどが権力側に取り込まれ、政権の番犬に成り下がっている。
森友学園問題でスクープを放っても、政権側は説明責任も果たさず、「フェイクニュース」だと切り捨てる。安倍政権になって、言論・報道の自由度はさらに狭められ、都合の悪い質問は、話を違う方向にねじ曲げてしまう。おそらくは国民に寄り添い、国民のためにアメリカの要望に沿った政治をしているのだろう。国民を裏切ったり、ばかにしているという自覚は全くないから、幸せそうな顔で楽しくいつまでもトップに居座る。
 
国際NGO「国境なき記者団」が発表した2019年の「報道の自由度ランキング」で、調査対象180カ国・地域のうちで日本は67位だった。アメリカでも48位なのに。
権力側は新聞記者たちが本気で言論の自由を守ろうとしていないことを、よく知っている。菅官房長官は「会見は質問するところじゃない」と驚くべき本音をうそぶいた。
記者クラブという窓口で、情報をとってそれを新聞の情報として伝える、新聞の広報機関と政治の広報機関が癒着して、そこで行われているのは、報道ではなく情報が正しいかの確認作業である。
国民が真実を知るのはとてつもなくハ-ドルが高い。
 
日本列島はアメリカの防波堤である。大陸間弾道弾を打ち落とすべく、アメリカ本土を守るべく、山口県と秋田県にイ-ジスアショアを配備する。これが、過去の遺物となり、朽ち果てるのを祈るばかりである。

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