俺LOG

今年も偉そうに物を書いていきます。

【俺的WWE考察 第1回】 WWEの魅力に迫る前に

2005年02月07日 | WWE
さて連載企画をぶち上げてしまった訳だが、
ハッキリ言って、間違っている箇所が多数だと思う。
それを指摘されてコメントにかかれるのが嫌なので、
このコラムのみ、コメントが出来なくなっている。

さあ第1回の今回はWWEの魅力に迫る前に、WWEとはどういう団体なのか、
どういうプロレスなのかを考えてみたいと思う。

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まずWWEという団体はプロレス団体であるが、日本のそれとは規模が違う。
日本映画とアメリカ映画以上の差があるのだ。
日本のプロレスは海外でも放送されていると言うが、それは数カ国であり、
海外のマニアなレスリングファンが観る番組である。
ところがWWEの場合、世界110カ国に放送されている。規模が違う。

WWEは台本がある。そしてそれをまた公言している。
「お前ら、インチキじゃねぇか!」と訴えられ、
「インチキ?台本もあれば試合の勝敗すらも決まっていて、
我々はオペラをやっているんですが?何か問題でも?
それともインチキな演劇や映画などありますか?」
と台本を片手に堂々と言ってのけたのだ。

試合もこうだ。パンチをしているのだが、相手に当たる直前に自分の腿や胸を叩き、
音を出す。インチキだろうか?
良く考えたら時代劇で本当に斬らないのと同じである。
WWEでは試合相手に怪我をさせるような試合は怒られるのだ。

ではこんないわゆる日本人が言う「八百長プロレス」のどこが面白いのか?
そもそもアメリカのプロレスは「水戸黄門」と同じである。
悪い奴といい奴が居て、悪い奴をいい奴が倒せば観客は喜び、
悪い奴が悪いことをすれば、観客はブーイングを投げかけるのだ。

つまりストーリーが存在し、その根本は「悪役」と「善玉」の戦いなのである。
悪役が寝返り善玉になったり、その逆があったり…。
そこにはプロレスという舞台を中心にした、さまざまな人間関係があり、
恋人を取り合うストーリーや、裏切りや、騙し合いのあるストーリー。
WWEというのは、プロレスという場所を舞台にした、ただのドラマなのである。

したがってWWEを観に行くとしたら気をつけなくてはいけないことがある。
どのレスラーが善玉で、そのレスラーが悪役なのかを覚えておくことだ。
これがわからないと、応援すべきレスラーなのか、
罵声を浴びせるレスラーなのかわからない。
楽しみたかったら、この関係を理解していくべきである。

会場で俺の近くの観客がこう言った。
「あれを小橋がやったら失神するな、小橋の方が上だ…」
こういう客はいわゆる「寒い」客である。
小橋とは日本のプロレスラーで、確かに日本では今一番人気のあるレスラーかも知れない。
WWEには強いとか弱いの概念はない。強いか弱いかは、
主役か脇役かの概念でしかないのだ。

映画を観ながら、ジャッキーチェンがキックを繰り出す。
その隣で、「あんな蹴りは腰が入っていない。アンディフグの方が上だ」
などと言うだろうか?そのくらい「寒い」発言なのである。
まあ、もっとも日本のプロレスも同じなのだが…。
WWEでレスラーのことを「Superstar」と呼び、
女子レスラーを「Diva」と呼ぶのはそういう意味なのである。

WWEのレスラーは、強そうに見えるだけでは駄目である。
体が大きくて、筋骨隆々でもチャンピオン(つまり主役)にはなれない。
演技や、しゃべりの上手さが必要なのである。
なぜ?ここまで読んできた人ならわかるだろう。
彼らはレスラーだが、レスラーという役者なのである。
観客に認められて初めて、一流になる。人気が出れば主役に抜擢される。
主役になれば、チャンピオンになることを許される訳だ。

WWEはドラマだと言ったが、舞台はリングの中だけでないのが面白い。
バックステージと呼ばれる、いわゆる「舞台裏」で繰り広げられるストーリーが、
WWEのストーリー展開のカギを握る。
試合だけ見ても十分プロレスファンには楽しめるのだが、
ストーリーがわからないまま観るWWEはタコの入っていないタコヤキである。
核心がわからないのだ。

ここですごく危険なことを言おう。
プロレスが嫌い、でも映画やドラマは好きな人。
試合は飛ばせ!ドラマだけ見ろ!
これでもWWEは十分楽しめる筈である。

緻密なストーリーと、観客を沸かせるための試合。
これらが本当に計算された「演劇」。それがWWEなのである。

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