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お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

母の骨折

2011-04-03 15:42:06 | Weblog



母が肩の骨を骨折した。

母のいる特養から電話があった。



転んだりしたわけではない。


夜寝られないから一晩中歩いて

扉を閉めたりしたとき、負荷がかかって

上腕頸椎骨折したらしいとのこと。



母はいつも施設内を歩いている。

カーテンを閉めたり、開いてる戸を閉めたり、職員や入居者の人に挨拶している。

今でも仕事をしたい、なんかしたい、、、その気持ちが残っているからだろう。



母はずっと家族のために動いていた。

今もそのつもりなんだろう。

母のいる特養は医療施設ではない、だから病院と同じ治療をするわけではない。

老人保健施設やグループホームならなおさらない。

介護保険と健康保険は別物なのだ。

医療費は施設側の負担になる。

以前いた老人保健施設では、病気になったらいったん対処していただいて、通院が終わったらまた再入所していただきます、そうでないと施設側が医療費を負担することになりますから。

これが日本の福祉行政の現実です。

今いる特養はスタッフさんも親切です。





医者が言うには

高齢であるから、体に負担がかかるから痛み止めとかは出さない

固定したいけど、腕を上げることになるのでそれはしない。



現在、湿布薬を貼るだけだ。

内出血した血が腕全体に広がってる。

熱が37度出た。

それ以上発熱した場合は、再度通院させるとのこと。


幸いそれ以上発熱しなかった。


処置や理由は分かるけど、これがもし自宅で起きたとしたら

病院はどういう治療をしただろうかとか、、考えてしまう。


こういうことが起きるたび、かつての職場の無理解

心ない言葉に傷つけられたことがフラッシュバックする。

いまだに私は、睡眠導入剤と抗鬱剤を飲んでいる、、。


介護や福祉のNPOやボランティア団体の上層部がそこまで理解してるかどうか

それも懐疑的になる、、のが現状だ。









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母の頭

2011-03-26 13:12:23 | Weblog
母がおとといから熱を出してる。


小学校の担任の先生が涙ながらにお願いしたことを果たした。

母の頭に手を置いた。

母の元気なころを知ってる人は母を尊敬し、悲しむ。
また僕を元気づけようとする。

そうでない人は、人の心をナイフでえぐるようなことを
平気で言う。


「誰でもそうなる」
「親がおかしいからあなたも変なのね」


今の時代、想像する能力が必要だ。

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母とかりん糖、マシュマロ、ジェリービーンズ

2011-01-11 18:11:45 | Weblog
正月は母を特養から連れ出し

静かな正月を迎えた。


いつも弟が高いおせち料理を用意している。

いつも施設で栄養を考えての食事だけど、やはり味は劣る。

だから、たまにはおいしい味の食べ物を食べさせたい。

母の好きな、かりん糖とマシュマロ、ジエリービーンズも用意して。


今回は食べたらすぐホームに戻した。

悲しいけど前回のように抱え込んで車に乗せるのは心も痛い。

天野家は私たち兄弟で終わりである。



だけど、マンションにしたり、公共機関に寄付などしない。

安上がりに施設を作る手段にされたくない。

ましてバブルを招いた金融機関や不動産業者の

儲けになるようなことはしない。

開発と言う名の破壊をしてきたのだから。


経済効率と言う名のもとに、多くの家庭の崩壊を招いてきたのだから。


私は大阪の千里丘にいた10歳までのころが一番幸せだった。

父がいて

母がいて

兄がいて

弟がいて

そうだ

家族がいた








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父の命日30回忌

2010-09-26 12:29:49 | Weblog
9月25日は父親の命日、30回忌。

突然死から、30年。

ガリガリに痩せた父が無呼吸で他界。



母を連れ帰り、弟の用意した特上のウナギを母は食す。

穏やかだった母だったが、
ホームに戻す時、激しく抵抗した。
抱きかかえ車にのせた。

強制入院の前はこれが毎日、何回も何回もあった、、、。





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両親への感謝をこめて、、、本の出版

2010-09-16 14:21:01 | Weblog
自分の宣伝は恥ずかしいし、
おこがましい、、、

でも
やらないといけない、ものなのですね、、。

初めての印刷されて書店で並ぶ本です。

自分の人生では今後あるかどうかも分かりません。
おまけに、言葉遊びと言っても駄洒落集、、、、

自分では、人間関係づくりや、落ち込みから抜け出るとき
自分で自分を笑わせてきた、、、、そういうものなのですが、

父の突然死、9月25日で三十回忌、母は12月で88歳、米寿。私は還暦、
その母の介護で療休、酸素ボンベを引きずる日々、休職、早期退職、企業、、、いろんな思いを込めて。

天野流「笑いを呼ぶ言葉遊び」
  思わず笑ってしまう88のユーモアとダジャレ集


定価1260円(本体1200円+税)


B6判86ページ

ISBN978-4-9904373-1-2 C0080 ¥1200E

必ず笑えるジョークとユーモアのメッセージ!

体調の悪い人・落ち込んでいる人


        何故か元気がない人・入院中の人へ

“元気”という最高のプレゼントをいかがですか?


目次


第一章 なぜ私がユーモアとダジャレをススメるのか


第二章 天野流ユーモアの秘訣


第三章 母 眞佐子 米寿記念


第四章 天野流 笑いの学校


第五章 最後に                     


ようこそ 和室すたじお 天野家 へ


(株)コレクションインターナショナル


〒150-0012 東京都渋谷区広尾3-4-1 2-607


FAX 03-3409-1070

9月15日完成しました。


新宿の紀伊国屋1階に置かれます。
ここでお買いいただければ嬉しいです。

全国の書店で置かれるのでよろしければお求めください。

書店に無いときは、各書店でご注文ください。


紀伊国屋でお買いいただければありがたいです。すみません(;^_^A


紀伊国屋:
梅田紀伊国屋、福岡紀伊国屋本店、長崎紀伊国屋、大手町紀伊国屋、京橋紀伊国屋、神戸紀伊国屋、丸亀紀伊国屋、徳島紀伊国屋、新宿紀伊国屋、新宿紀伊国屋南店、岡山紀伊国屋クシド店、札幌紀伊国屋本店、新潟紀伊国屋、

リブロ:港北、熊本、池袋、青山、吉祥寺、渋谷、松本

ジュンク堂
札幌、盛岡、秋田、仙台、仙台ロフト店、高崎、藤沢、難波、京都、京都アトレ店、那覇、大宮、新潟、名古屋、名古屋ロフト店、大坂本店、三宮、三宮駅前、西宮、千日前、天満橋、阿倍野、姫路駅、広島駅前、広島、松山、福岡、大分、鹿児島、池袋、新宿、渋谷大善&ジュンク、吉祥寺

三省堂 神田店、有隣堂:横浜東口店、丸善:丸ノ内本店

その他

郡山 岩瀬冨久山店、宇都宮 喜久屋書店、郡山 みどり書房森野店、長野 平安堂新長野、浦和 須原屋、八重洲BC、、渋谷放分社、池袋旭屋、小田原 伊勢治、沼津 マルサン仲見世店、立川オリオンノルテ店、鈴鹿宮脇書店、京都アバンティ、神戸海文堂、米子 本の学校今井BC、岐阜 自由書房高島屋店、
名古屋 イマジン戸田店、豊橋 精文館、四日市 シニトウ白楊、富山 BOOKSなかだ本店、難波 旭屋ナンバシティ店、和歌山、WAYガーデンパーク、帯広 喜久屋書店、彦根サンミュージック、岐阜 カルコスBC、神田 書泉グランデ、神田 書泉ブックマート、秋葉原書泉ブックタワー、福山啓文社PP店、広島ふたばMEGA店、与野 BOOKDEPOT書楽、前橋戸田書店、静岡戸田書店、INAX、岩波BSC、

公共図書館、大学図書館


etc



ははの手 私の手

2010-08-07 12:12:25 | Weblog
母のいる特養に行きました。

この間、我が家で(現在和室すたじおにしています)映画の撮影がありました。
テーマが介護で、介護の仕方とかを聞かれたので、母のいる特養の方にお願いして
講習をしていただいたのです。

そのお礼をかねて撮影であまった新品のおむつ1式を持って行きました。




母の手に
私の手を重ねる
ピアノを弾いていた手は
青い静脈が浮き出て

このごろは
私の手にも
静脈が浮き出ている
「ほらおかあちゃまの手みたいだよ」

お料理を作り
選択をし
英語を教えてくれた
母の手

母のような
謙虚でまじめな人から
どうして私のような
罪深いものが生まれたのか

私の悪口ならまだ
我慢もするが
会ったこともない
母の悪口とは、、、

「おまえの母親がおかしいから
おまえもな」

認知症の介護で
療休、退職した私に
残酷な嘲笑

いつかこの手に
もう一つ手を重ねたい
さらにはもう一つ小さな手も
重ねてあげたい

つながる手であってくれ


母の手はいつも
祈りの手をしてる


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すずらん

2010-03-16 23:54:04 | Weblog
すずらんが咲きました

母を特養に入れてから

庭は荒れ放題でした

それは

私たち息子が悪いのです

ですから

この花が咲くと

少しでも

親孝行したような気がするのです

そばには

母の可愛がっていた
猫の墓もあります
白い猫です

いろんな思いが巡る
春の庭です







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lange lange Jahre

2010-02-14 15:40:35 | Weblog
 土曜の昼ごろ、チャイムが鳴った。
 またセールスか、、、、そう思いつつも玄関に出た。

「こんにちは」

と外国人のおばあさん。

もしかして、キリスト教の勧誘か。

「私は30年前にここに住んでいたエリザベートと申しますが、、。」

「ああ、エリザベートさん!覚えていますよ。
  ..
 fur lange jare hat ich nicht gesehen.」

 父親は昔、我が家に無料で外国の人を年間200人宿泊させていた。

 父親が亡くなった時は3人住んでいて、さらに二人の旅行者がいた。

 その時の一人だった。

 当時、のちにご主人になる男の人と知り合い、同じ部屋にいた。

今は北京のHARROWで日本語を教えている。

ご主人は国際赤十字の職員だから世界中の紛争地域に出かけている。

「天野さんは英語が得意で、私に日本語や歌を教えてくれたのですよ。」
「とても優しい方でしたよ、、」

母に会いたいというので、弟に電話して運転してもらい老人ホームに向かった。

「母が入所してから、ホームを訪ねる外国の方はエリザベートさんがはじめててですよ。」

「そうですか、どうしても会いたいと思ったものですから。」

 エリザベートさんは世界中で苦しんでいる人たちと接してきたからだろうか、母との応対は実に慣れているし、なによりも母を尊敬して接していてくれる。

「母は家族語とでも言うのでしょうか、昔の思い出や今のことが一緒になって話すのですよ。それは私たち家族が想像して理解するのです。」

「ああ私も分かりますよ。すこしも変じゃない、おかしくない。」

 いつも感じるのだけど、子供のころ日本に来て我が家に泊っていった外国の方は、日本の文化を尊重してくれた。

 礼儀とか生真面目さとか、相手を思いやる気持ちとかそれを日本人の気質として好きになっていてくれた。

 でも、今はそのような日本人が少ないように思う。
 
 なんども書くけど、介護に関しても療休に関しても、母のことでもずいぶん無理解や不人情さを感じたものだ。
 この日本で、、、、。

それをお話ししたら

「いいえ、まだまだ日本人はほかの国に比べると礼儀とかマナーとか、良いですし、伝統的な文化を大切にしてると思いますよ。」

言われた。

 母はほんの少し英語で応対した、、、、10年ぶりくらいで、、、。

 でもすぐに「知らない」と言う

 ものすごい努力をした人だ、だから恥をかきたくないという意識も人一倍強いでしょう、、、。

 母は通訳試験を一番で通過したのだから。

 その問題は父親が作成した。

不詳の息子は、親の家をスタジオにしてまだ親不孝を続けている。

こうして母のためになることと思うことしかできない。


Auf wiedersehen


 
 




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むかしむかしの今

2010-01-26 21:15:28 | Weblog
「おかあちゃま、家はまたお客さんがたくさん来るようになったよ。」

「そうよかったわ。」

「みんなおかあちゃまや、おとうちゃまのおかげだよ。」

急に涙が出てきて止まらない

でも母にそれを悟られたくはない

マスクをしてるから

表情は分からないでしょう

「今度お嫁さんを連れてくるよ。」

「そう連れてきたらうれしういけどね。」

「どんなお嫁さんがいい?」

「さあ、、、どんな人でも良いけどね、、」

暖かく日差しいっぱい、母と二人きりで特養の部屋にいた

誰もみていないし

誰か見てても、意味は分かりはしないでしょう


介護11年目

この11年は早すぎて、幼いころの何十倍も時間が速い


この頃の緊張感が一気にほどけて

幼い私に戻った


むかしむかしの今だった


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この日記を最初から読めば理由が分かるでしょう、、、

強制入院させることが家族にも本人にもものすごい

トラウマだということを

世の中、それほど介護にはやさしくない

私は夢とか希望を持って、転職した

その職場が一番無理解だった

父が亡くなり今年で30年


母の元気なころを知る人も少なくなった


誰も母が、ピアノを弾き

三ヶ国語を話し


一度聞いた曲をその場で採譜できることも

知らない

まして、父親が戦前アメリカにわたり、戦後通訳をして

GHQの試験問題を作成したことも

母がその試験を満点取ったことも

父親の会社が、外貨獲得日本一だったこと

それに貢献するため世界中一人で飛びまわったこと

家に毎年200人の外国人が宿泊したことも知らない



私は両親の失敗作

二人の才能の100分の1もない




今は両親の残した家をスタジオにしている

その後ろめたさもある




あからさまに

蔑視する人もいる

楽でいいでしょ、、とか

親の財産があるからな、、、だから仕事しないんだよな

とか

早く喫茶店とか居酒屋にしろ、、、とか


あの家じゃあ500円だなあ、、、、とか


父親が退職金数千万で建てた家だ

日本文化を大切にするというのは

現実はほとんど、有名無実でしかない

ワインの良さは語れても

和の良さは語れない


家には

いつ何時、母を連れ帰るかもしれない


最後はここで看取るんだ


だから家は残す

その条件で、仕事をするしかない

療休を1年半した者は

ハローワークも組合も何もしない

そんなことは理解もされない



両親の話をしても

昔の人の英語じゃたいしたことないね、、、とか


母はおごり、たかぶり、いかり、そしり、ねたみ、

から一切無縁だった


私しには出来過ぎな母だ

会ったこともない親の悪口を言われる筋合いはない


最近の日本人は

少々の才能とか語学力とか文芸の才を

自慢しすぎる、、、、


私は

偉そうな人が大嫌いだ


何とかスタジオにして

毎日緊張し続けて


近所に気を遣い


もう限界だったのだろう


小学校1年のころ

学校から帰ると

すぐに母の背におぶさった


今は逃げる場所もなかった

もちろん

還暦になるのに

子供を産める相手などさがすなど

とうにありえない


ただ、母がずっと私のことを心配して

それも病気に追い込んだ原因かもしれない

という、思いは

私のような立場なら

誰だってあり得ることだ





思いっきり

一人で泣いた













 






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言葉と音と母と

2010-01-01 20:16:13 | Weblog
母を特別用語老人ホームへ迎えに行った。

正月に一時帰宅させるためです。

用意は弟が全てしてくれている。

「これからおせち料理を食べに行きますよ。」

 普段はホームから出るのも帰るのも怖がります。

 食べものの話をすると、案外ついて来てくれます。


 母を家に入れると

「本当に、前の家とよく似ていること!
 ほら、衝立も、机も、、」

 スタジオにしてから、家は極力昔の調度品で揃えてますから、祖父の品々など目につくのでしょう。

 母は、どなたかの家に御呼ばれに来て、そこでおせちを食べるような気持ちのようです。

「ねえ、お祈りして。」

と頼みました。

「そんなこと嫌よ。」
「でも簡単でいいから、ね。」

そこで母は祈り始めました。

言葉も、意味のつながりも明確に、、、。

弟が号泣してました。

久しぶりに正気な母の姿ですから。

 長谷川式認知症検査で、15以下(30が限界)になりすでに久しいです。


 でも、母が元に戻ることが時々ある。


 音楽を聞いた時、外国語が目に触れた時、祈る時、、。

 それこそ、Die SONATEN をソナタと読み、CHOPINをショパンと発音し、TEMPESTを「嵐」と訳します。

 それがいきなりです。


 クリスマスで、五皿もお代わりした母ですが、今日は穏やかに落ち着いて食べてました。

 食べ終わりお菓子も食べました。

鼻歌も出てきます。何の歌か分かりません。

 やがて、階名で歌ってるのです。階名自体はメロデイーとあってます。


いろんな曲が混じっているのでしょう。

それが賛美歌の何曲かが混ざっているようなのです。



母は以前は、簡単な曲ならすぐに採譜できました。


恥ずかしながら、大学時代、、コンコーネもコールユーブンゲンも母に手伝ってもらったりしてました。


指がピアノを弾く動作をしていました。

音楽や音声、そこから発音学、言語学、民俗学を好きになったのです。

私の子供の時の家庭教師は、母でしたから。

 病気で学校に行けなかった私にいろんなことを教えてくれたのは母でした。

 貝塚茂樹の「殷帝国」三笠宮殿下の「古代エジプト」、「定本、柳田國男全集」それらを、幼い私はつま見みしてました。

 それで私は歴史好き、旅好き、言葉好きになったのでしょう。

 ただし私は、体系なく頭にイメージが入り込んでいるので、物事に大雑把で、とりとめがありません。

 今更直そうたって無理です。

 字は読めても書けません。

 母に市松人形を抱かせました。

「ゆみちゃんだよ。」

と弟が言いました。

 「天野家」のHPで「ゆみちゃん」って勝手に名前を付けて紹介してますから、、、。

「この子はおとなしくて良い子よ」

まるで本当の娘見たいな感じで抱いてました。

三人と、ゆみちゃん、父の写真で写真を撮りました。

 父が生きているときに、母が正気な時に、本物の娘と撮りたかったのですが、、。




 食事が終わると私も睡魔が襲ってきました。

 昨夜の新年会で帰宅したのが、2時過ぎてましたから。

 その頃になると母も落ち着かなくなりました。

 いったんそうなると、収拾がつきません。

 「おじいちゃま」
 「かずこちゃん」・・・おばです
 「ゆきちゃん」・・・・私のことです
 「まさみちちゃん」・・・弟のことです

 突然つぶやくのです

 家族のこと、特に亡くなった祖父のことを良く思い出してます。
 尊敬する父親だったのです。

 天野家の古い品々は、ほとんど祖父のものです。
 風流な人でしたから。



「三人でドライブに行くよ」

と話して連れ出しました。


だますようですが、そうしないと激しい拒否が出ます。



介護は果てなく続くでしょう。


 自分を責めなくなったのは、、、まだ最近ですから。


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お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。