2017年10月14日(土)午前7時30分 母が他界しました。享年94歳でした。
10月6日、特別養護老人ホームから電話があり、「見取り介護」に入る旨を伝えられました。
治療を施すことなく、静かに世を去っていきました。
個室に移り、一日中好きな音楽、母の場合讃美歌ですが、それを流し続けていました。
酸素飽和度の上がり下がりを見ているので神経がまいりそうでした。
自宅で自営業故、離れることもなかなかできずそれでも早め早めにアルバイトをお願いし、亡くなった日はすでにアルバイトさんに頼んでおいた日でした。
亡くなる前日、教会の牧師から葬儀のことなど打ち合わせしたのですがその翌日のことでした。
日曜日は礼拝があるので、もし亡くなった場合は月曜日に少しでも家に帰したいので自宅で前夜式(通夜のこと)を行い、
翌日教会で告別式をしたいと話したばかりでしたが、その通りになりました。
母が亡くなって30分後私たちは到着しました。
不思議な感覚が襲ってきました。
「母は私の中にいる」
体内のDNAが母の諸々に反応してるかのようでした。
母の命、これを継がなくてはとの思いでした。
19歳の時、母が危篤になったことがありました、病室に兄弟3人が呼ばれ私には母がこう言いました。
「神様を信じなさい、弟を頼みます。学校に行きなさい。」
やがて父が亡くなった時今度は
「仕事に行きなさい。」
小学校の低学年の頃、私は肺の病気で血を吐き学校に行けませんでした、成績はオール1だったのです。
その後東京に出てから一時期荒れていたので母は勉強ができない私を心配していたのでしょう。
きっと「立ち止まらないで前に進みなさい」という意味だったのでしょう。
母が亡くなりこのブログもどうしようかと考えています。
介護をめぐる弟とのリアルなメールのやりとり、生々しい記述もあります。恨みつらみも沢山書いてあります。
周囲の無理解に憤っていた頃、理不尽な仕打ち、恥ずかしいことなど沢山書いてあります。
介護を始め、療休、早期退職、起業、そして母の死と、一連の歴史です。
一時全国で50番目まで来たことがあります。これから介護を始める人に少しでも役に立つのであればと想いあえて残していきたいと思います。
介護のマニュアル通りに実際には行きませんでした。母を通院させた時、通所させた時、措置入院させた時、全て母をだましていました。
被介護者が素直に通院、通所、入院などする訳ではありません。
認知症の母が無くした通帳を再発行する時、銀行はすぐに再発行などしてくれません。
すべてその場でマニュアルにないことを行って解決していきました。
最後に母が11年間いた特別養護老人ホームを去る時、職員と入所者全員でお別れをしてくれました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
私は父と母の子に生まれ幸いでした。
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