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お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

去りゆく母

2017-11-12 13:04:35 | Weblog




2017年10月14日(土)午前7時30分 母が他界しました。享年94歳でした。

 10月6日、特別養護老人ホームから電話があり、「見取り介護」に入る旨を伝えられました。
治療を施すことなく、静かに世を去っていきました。

 個室に移り、一日中好きな音楽、母の場合讃美歌ですが、それを流し続けていました。
酸素飽和度の上がり下がりを見ているので神経がまいりそうでした。

 自宅で自営業故、離れることもなかなかできずそれでも早め早めにアルバイトをお願いし、亡くなった日はすでにアルバイトさんに頼んでおいた日でした。

 亡くなる前日、教会の牧師から葬儀のことなど打ち合わせしたのですがその翌日のことでした。
日曜日は礼拝があるので、もし亡くなった場合は月曜日に少しでも家に帰したいので自宅で前夜式(通夜のこと)を行い、
翌日教会で告別式をしたいと話したばかりでしたが、その通りになりました。

母が亡くなって30分後私たちは到着しました。
不思議な感覚が襲ってきました。

「母は私の中にいる」

体内のDNAが母の諸々に反応してるかのようでした。

母の命、これを継がなくてはとの思いでした。

19歳の時、母が危篤になったことがありました、病室に兄弟3人が呼ばれ私には母がこう言いました。

「神様を信じなさい、弟を頼みます。学校に行きなさい。」

やがて父が亡くなった時今度は

「仕事に行きなさい。」

小学校の低学年の頃、私は肺の病気で血を吐き学校に行けませんでした、成績はオール1だったのです。
その後東京に出てから一時期荒れていたので母は勉強ができない私を心配していたのでしょう。

きっと「立ち止まらないで前に進みなさい」という意味だったのでしょう。

母が亡くなりこのブログもどうしようかと考えています。

介護をめぐる弟とのリアルなメールのやりとり、生々しい記述もあります。恨みつらみも沢山書いてあります。
周囲の無理解に憤っていた頃、理不尽な仕打ち、恥ずかしいことなど沢山書いてあります。

介護を始め、療休、早期退職、起業、そして母の死と、一連の歴史です。

一時全国で50番目まで来たことがあります。これから介護を始める人に少しでも役に立つのであればと想いあえて残していきたいと思います。

介護のマニュアル通りに実際には行きませんでした。母を通院させた時、通所させた時、措置入院させた時、全て母をだましていました。

被介護者が素直に通院、通所、入院などする訳ではありません。

認知症の母が無くした通帳を再発行する時、銀行はすぐに再発行などしてくれません。

すべてその場でマニュアルにないことを行って解決していきました。

最後に母が11年間いた特別養護老人ホームを去る時、職員と入所者全員でお別れをしてくれました。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

私は父と母の子に生まれ幸いでした。
























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お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。