お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

正月 帰宅して2泊

2008-11-27 22:24:14 | Weblog
 正直、終業式が待ち遠しかった。
 だが家に帰ってももう母はいない、、、。

 生きているからまだいいとか、そんななぐさめ?を聞いたらみんなどう思うでしょうか。

 弟はおせち料理を作り始めた。

・・・・・
弟のメール

母の味を忘れたくない。

・・・・・

 彼は結構器用で、母が家にいるときでも料理を手伝っていた。味噌づくりなども覚えていた。

 母に正月には帰らせ、食事をさせようというのである。

 二日間、母を家に戻すことにした。

 新年の礼拝にも出させ、家に連れてきた。

 最初は喜ぶのです。そのままだったら家に置いても大丈夫だろうかとか、弟と話していた。
 でも一時間と持たない、、、。たちまち落ち付きがなくなる。

 以前と同じで、部屋をチェックしてまわるのだ。

 こっそり見ていて、どこかに財布とか置いてないか見つけようと思うのだけど、その気配はない。
 というより、こちら側の意図は分かるような雰囲気もある。
 認知症は、決して痴呆と言う言葉の通り、何も分からない状態ではない。

 記憶力は部分的に通常と同じであるかのような行動をする。

 その辺は専門家の人にどういう仕組みなのか教えてもらいたいものだ。

 完全に記憶が無くなったのなら、なぜ突然思い出すことがあるのだろう。しかも微細な面まで、専門用語まで、、。
 
 弟は母のそばに布団を敷いて寝ていた。

翌日のメール
・・・・・・・・

母は動きまわるし朝早く起きるので寝られない。

・・・・・・・・・・・

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クリスマス、外出

2008-11-25 23:04:33 | Weblog
2002年12月

クリスマスが近づいた。
弟が母を一時帰宅させたいと言ってきた。
もとより一時帰宅させたいと思っていたので、運転を弟に頼んだ。

教会の祝会に連れて行った。

まわり人のは

「お母さんお元気そうですね。」

 実はそれがすごくつらい、、、。認知症は見かけは異常がないように思えるから、、。

 今思うと、

‘‘大した事ないのに大げさに言っていたな、それがこれで分かった。‘‘

 という意味を含んだ発言もあったのだろう。


 認知症の人も、家族以外の人に会うとしゃきっとしてしまうことがある。余計に理解してもらえない。

 話しかけてほしいと私はさんざん言うのだけど、話しかけて来る人が本当に少ない。話をしても一方的に話すので、耳の遠い(ほとんど理解していない)母には聞こえないし、相づちをうってしまうので、理解したと思ってしまうのだろう。
 
 現実の世は、テレビは本で介護や福祉、教育の本を読めば感動する人は多い。
 
 だけど、目の前に介護を必要としている人や介護で大変な家族がいたとしても、何もしない。それが現実だと思う。

 目の前に見える不幸には目をそむけるのだろう。トルストイの小説、「復活」だったかなあ、

「私は貧しい農民たちを助けたいと思う、しかし蚤や土で汚れた農民を見ると憎しみが湧いてしまうのです。」

 と自分の心を告白する貴族の婦人の場面があった。目に見えなきゃあ、10円20円の寄付はするだろう、でも目の前に不幸には目を背けるのだろう。


 クリスマスの日はそのままホームに帰宅させた。

 それをすごく嫌がった。

 それでもこの頃はまだ、認知症は長谷川式で30だった。

 不思議に思うのだけど、医療センターでは、こうした検査をしていないしMRIを頼んでやっとしてもらったが年相応の脳で別段問題がないというのだ。


 大病院なのになぜMRIの結果を家族に見せずに口頭ですましたのか、、、。

 J病院で初めて、長谷川式検査のことも知ったし、CTスキャンの写真を見せて、脳の委縮した写真を見せられ、前頭野の言語中枢がやられていることなど、詳しく教えてもらった。

 病院によってなぜ患者の家族への対応が異なるのか。

 それ以来、私は必ず薬の名前から、処方などすべて見せてもらったり、目の前でメモを取ることにしている。

 そうするだけで、かなり説明が詳しくなる。それが母のためでもあり、患者と家族の権利を守ることになると思う。

 
 その時撮影した写真が上のです。まだ普通の人に?見える状態です。

・・・・・・・・・・・・・

弟からのメール

 正月は母を家で過ごさせたい。二日間家で宿泊させます。





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二人だけの誕生日

2008-11-24 23:27:26 | Weblog
誕生日

 母の誕生日、12月である。この頃は進路で早く家に帰れない。おまけに学年主任が市の進路委員会の長にされ、副主任は市の野球の代表とかで急きょ副主任にされている。

 校長など今思い出してもむかむかするので、人の介護の大変さなど全く頭にない、最初から考慮する気持ちなどないのだろ。

 それでは何のために前の学校の校長が奔走してくれたのか全く無駄になってしまってるし、意向を全く無視してる。

 この人は数年後に校長会長になるので、最初からそれを見越して自分の不利になるようなことは一切しなかったのだろう。

 学校が部活で優勝すれば校長の名誉になる。それだけのことだ。事実、部活のためなら何でもわがままを聞いている。

 校長が握りつぶしてたのが現状だ。そのつけをなんで私や家族が払わねばならないのだ。

 12月になると気がつくと3年で残ってるのは私だったりす。わずか15分で帰宅できる人間が半分だ、なのに一番遠い私が最後なのか。

 母親のことを言うと、「誰だって大変だ」ほとんどこれですまされる。こういう風潮は日本のすべての職場で繰り返されているだろう。

 批判する人間は、実は大した苦労をしていない。それが現状だ。この間テレビで桐嶋洋子が

「ニートなんて少しも同情しない、世界の国を見たらいくらでも仕事のない人がいるからそれにくらべたら大した事ない。」

 と話していた。私は今無職状態、体を壊しこの歳で早期退職したら仕事なんてない、そういう現実がある。それを見てない、だから理解できない、、。

・・・・・・・・・・・・・・・
 家に帰りたい、

「今日は母の誕生日だ」
「家に帰らなくていいのですか?」

 さすがに気の毒に思ったのか、親しい先生が話しかけてくれた。

 この学年で、この人ぐらいだったな、状況を理解したのは。理解しても全体が協力してくれねば何にもならない。

 7時すぎた、大急ぎで帰った。家から車で環八を走る。九時少し前、ホームに着いた。

 手にはミニクリスマスツリー

 当直の人が

「お母さまは、寝ておられます。」

 部屋に行くと母は寝ていたが、私が来ると目を覚ました。

「寝てるの、どうしたの?」

「病気なの。」

 母はそこを病院だと思っている。

「ねえ今日は何の日か知っている?おかあちゃまの誕生日だよ。」

「そうなの、おかあちゃまいくつになったのかしら。

「80歳だよ、長生きしたね。」

「そんなになったの。」

 母は驚いていた。

 周りはみんな寝ていて静かだった、

 母と二人だけの誕生日だった。

 老人ホームのベッドで、、、。 
 

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 ひたすら電話、、そして待つ

2008-11-21 22:11:33 | Weblog
 教頭がすっ飛んできた、校長はこっちを見てただけ。この人は絶対に自分の手を汚さない、、と思う。
 そういう人でないと二校目で校長会長になんかなれないのかもしれないが、、。

「主任とよく話をされたら。」

 まあ主任には今までのいきさつも話しましたが、この人自体介護のことを理解していない。
 理解していたら、転校した時にさっさと帰宅させてくれただろう。転校したてに

「天野さんにはあまり仕事をさせないように言われてるんだが、、。」

 とつぶやかれたのを覚えている。

 想像するに、校長自体が実情を知ってながら主任に伝えてないのだろう。そういうことはあり得ないし、当然学年全体に周知してあるべきだ、少なくともそれまでの勤務校はそうだった。

 話したけど、よい結果など期待なんかしていない。

 翌日、例の教員は

「私が怒ったのを気にされているようですが、私は時間が守れない学年全体に怒ったのです。」

 と笑みを浮かべて言った。直接私に「昨日のことはどうも」とか話をすればまだましだが、それすらもない。

 よくもまあ、しゃあしゃあと開き直れるものだと思う。

 思うにこの世代の人は「迷惑な隣人世代」だ。「俺が俺が」「私は私は」それしか言わない。自己中丸出しの世代だと思う。こういう人が今管理職になり始めてるから、教師のカバーなどできるはずがない。

 ほとんど毎週、母を引き受けてくれる「老人保健施設」に電話をしては、面談をし、診療情報提供書を書いてもらっては送っていた。

 もちろん、家族が書く書類には、入居させたい人の履歴、症状、それまでの経過、家族構成、、やたら多いのだから。

 正直言って、個人情報筒抜けの状態になる。

 多くは電話の段階で、「認知症」を理由に断られる。家から5分の所にある施設などは、情報提供書を出したのに、1か月以上もたってから断りの文を入れて送り返してくる。
 最初から断るつもりだったのだろうと思う。

 当事者でないとこういう苦労は分からないと思う。普通の仕事プラス精神的、肉体的疲労が蓄積する。

 老人で、認知症の症状がない人などいない思うけど、、、。

 大方の施設が「病気のある人」「認知症のある人」「徘徊癖のある人」「大声を出す人」断る理由を挙げている。
 今はだいぶ緩和されてきているとは思うが。

 世の中の「認知症」に対する考えなどそんなものだ、、悲しいが。
 
 母は家では妄想は出るけど、暴力は振るわないし大声も出さないし、徘徊もしない。それは説明しても理解してもらえない。
 かといって家に置いておける状態ではない。

 こんな状態が翌年の三月まで続く。アクセスしてはひたすら待つのだ。

 で、弟がこの頃から、沈んできた。鬱を訴え始める。

  


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何で帰らせないんだ!

2008-11-20 23:53:48 | Weblog
 体力的にはこの頃が一番疲れていたはずだ、、。

 たぶん体と言うのは、限界を過ぎてしばらくはもつのだろう。それから二年後に療休に入るのだから。

 二週間なんてあっという間である。
 母を有料老人ホームに入れる日が来た。
 場所は砧にあって、家からは車で20分くらいだ。
 でも電車では最寄りの駅はかなり遠い。

 老人ホームの特色は、住宅地や駅の近くに作りにくい。どうしても交通の便が悪い所にしか建てられないのだろう。

 最初は個室をと言うことだったが、そんな高額な部屋はいらない。それに個室だとこもってしまう、それが一番心配だ。

 母の部屋には若いころの写真とか家で読んでいた本とか持って行った。
でも次に来る時にはみんな、外してある。

「恥ずかしいから。」
「英語など読んでると自慢してるように思われると嫌だから。」

 そして必ず、衣服をまとめている。書いてて悲しくなる。母はいつでも帰る気でいた。

 有料だけあって食事とかはいい、、、でも結論から言うと公立であれ有料であれやることは同じだ。

 認知症だからと言って特別なプログラムがあるわけではない。個別のリハビリがあるわけではない。

 認知症予防の薬を出してるわけでもない、、。この辺は政府が真剣に考えてほしいのだ。介護する人間が圧倒的に少ない。
 介護の仕事に対する報酬が低すぎるのだ。

 より密接な介護を希望する者は、金持ちであることが必要だ。

 介護を受ける人は今後どんどん増える、期待するサービスはもっと増えるだろう。それに対する政策があるのか?
  
・・・・・・・・・・・・・・・・

 このころから精神的にまいることが多くなった。

・一つは職場で、一つは教会で、、。

 母が場所を変わるたびに牧師に言うのだけど、会員に知らせない。礼拝後、私が起立して母の現状を訴え、訪問してくれとたのんだ。かつて教会の内紛で婦人科医長を10年務めたのに、病気になれば「はいさようなら」
「冷たいんじゃないですか」

 牧師がむっとして、手をふった。会が終わると

「なんで話すんですか。聞いてて苦しいよ。母親のことをおもいだしてしまうじゃないか。わたしに言えばいいでしょ。」

 私はそれで不信感を持った。話しても何も伝えない、、、それが彼の役目なのか。
 弟が朝出勤前に、彼を訪ね悩みを告げたのに
「大した事ないのでしょ。」
 とかめんどくさそうに対応する。
「教会はそんなことを言う場所じゃない。」

 なんなんだそれは、、、。

・・・・・・・・

 職場では、例の部活の顧問がますます態度を大きくしてきた。
 母を入所させたことを知ってからよけいにその態度が変わる。
 
 要するに、お前はもう早く帰宅する理由がないだろう、だから俺の代わりに仕事しろ、、そういう姿勢が見え見えだった。

 ある日の午前、授業をしていた教室に、ぬすっとあらわれ

「代休、、この間の日曜日の、、。」
 
 生徒のいるところで言う話ではない。生徒の前だと文句を言えない、、それを見込んでのことだ。○○木曜の総合の時間、この男は休んだ。
 それが一回ではない、意図的に総合の時間なのだ。担任が行うべき時間だ。

 ある日、帰りの会の代替えで教室にいた。補習がその後ある、少し帰りの会が伸びた。まだ補習の時間まで、7分くらいある。

 その男はどなりこんできた

 人を見降ろし指差し

「みんな時間をまもらんじやないか、こんなんだったら俺は補習なんかしないぞ!」

 言い終わると去っていく
「先生かわいそう、、。」
 怒る理由が分からない、増して私に言うべきことじゃない、まして生徒の前で言うべきじゃない。

 職員室までは我慢したが、、、

「こんな学校なんて大嫌いだ!俺だって、母親の所へ行きたいんだよ!なんで行かせないんだ!」


 と叫んで机の上のものを放り投げた。


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2週間の入院

2008-11-18 23:56:42 | Weblog
 昨日は別用で母のところへ行った。

 母に住所や生年月日を聞いても間違える、、少し前まではちゃんと言えたのに、、。
 毎回行くたびに聞いてあげた方がいいのかなあ、、。漢字もだいぶ間違える、、、。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 2002年10月

 J病院から医療センターへ。
 
「母は家に帰るの?」
 と聞いてくる。
「お引っ越しだよ。」
 と答えた。

 必ず弟と二人で行く。とても一人ではあつかえることではない。
 車で行く途中暴れはしないか、ドアを開けないか、、、心配なことは沢山ある。
 車中は必ず話しかけていく、でないと不安になってしまうだろうから。
 安心させるために、明るい口調で話す。

 私は、子供のころから縁起がうまい、、?いい子のふりや、悪ぶったり、、、、そんなことが役立ったのか、、。

 医療センターの建物はちゃんと覚えていた。

 だいぶ入院がなれたのか、以前に比べると不満とか口にしない。
 精神病棟だけど、老人精神病棟だと一日中喚き声が聞こえるし、夜中も騒ぐ人がいたり、落ち着かないのだ。

 本当に幸いと思うのは、その後どの施設でも母は手がかからない入所者である。

 乱暴なことをしないし、そのような言葉もはかない。

 それが母の本質、それが母を救っているのだ。私がもし認知症になったら、、、たぶんあばれるだろうな、、。

 暴力的な人は、退去させられるしヘルパーやケアマネも辞めることがある。

 そうなった場合、家族が引き取ることになっても、どうしようもないだろう。
テレビのニュースで、介護による悲惨な事件が報道されるたびに身につまされる。

 二週間なんてあっという間に過ぎる。

 すでに300万は振り込んである。全部私が出した、以前書いたとおり母の名義で貯めていた生命保険が満期になったのだ、その一部を使ったのだ。母を海外旅行に連れて行こうと思っていたお金だ。
 相続税を払うたしにしようと思っていたお金だ。
 以後このお金を少しづつ母が施設を変るたび、母に必要なものを買うたびに使って行った。

 だから1000万近く、いや以上母のために使ったのは間違いないのだ。

 まだ払えたからよかったのだ、、、だけどそれができなかったら、、、心中か休職しかない。
 こんな考えが頭をよぎったのも事実。





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有料老人ホームへ一時的に入所300万

2008-11-17 13:57:43 | Weblog
 10月も間近になった。
 J病院からの電話は
「保護入院の場合は同じ病院に三か月までしかいられません。延長はできません。」

「再入院はできないのですか。」

「保護入院した場合は都の条例で同じ病院に三か月以上入院できないのです。」

 そんなことは知りもしない、、。

 国立医療センターに電話をして


「こういう事情だが、そちらへ入院してもらえないだろうか。」

「無理だよ、こっちも空きがないから。」

 正直、医者もめんどくさいケースはどんどん追い出したいような気がしてしまう。

 10月10日を迎えてしまった。学校祭体育の部、、例のうるさい女性教師が休んでしまった。
 もともと前の学校で酒を飲みすぎで体を壊したとか、、それで

「私は病気だから部活を持たない」

と堂々と言いながら宴会では率先して大酒を飲み

「飲まない生活って考えられないんじゃないですか?」

 職員室で言うべき言葉ではないでしょう、、、。その人の代わりに1週間、担任、、、。
 子供には精いっぱい接することに変わりはない、、、それだけどは私のポリシーだ。

 体育祭、めいっぱい応援して、みんなの前で踊りをおどったりして、勢いをつけた。代理で会ったがブロック優勝。

 親御さんからもお礼の書き込み、、、。

 翌日、代休の日、朝から電話作戦。軒並み老人保健施設に電話、

「認知症」と聞いただけで、「断られる」

「病気になった場合はいったん退所してもらいます、介護保険法の変更で、負担が全部施設にきてしまうので、、」

 老人保健施設は病院じゃないから治療を行わない。

 だから、病人は入所させない。

 病気をしない、老人なんていないじゃないか、、、!!!

 なんとか数か所、とりあえず家族が見学に来てくださいとの話を取り付けた。

 そんな中で福祉さセンターにも相談をした。そこで

「たいてい、数か所申し込んで空きが出てから、そこへ入れていくのが通常ですよ。」

 ショックだった。

「有料で地方ならあります。」

 電話をすると、ほとんどが群馬、福島、さいたま、、、何時間もかかる。

 安さだけで決めると、それこそ姥捨て山、、、、家族だって尋ねることが難しくなる。

 しかもおおかた

 入居費、2000万円、~3000万円、一番高いのは5000万円、、、これがキリスト教の老人ホームだったりする。

 月々の基本料、平均20万、、それにプラス、冬は光熱費が上がる、おむつ代、クリーニング代、、、、23万位はすぐ越える。

 そんななか

「民間無料相談所」がありますよと聞いた。

 ネットで検索すると、家の近く都立大学の駅そばだった。

 すぐに電話をして行ってみた。

 カタログを見て片っ端から電話した。

 その中で、

「緊急で必要な方のために1年間の入居費300万、月々17万、、諸経費で20万位」
 というのがあった。電話をして事情を話した。
 
「それだったら対応できるかもしれません。」
「決まり次第、退所して老健に移動することもできます。その場合は300万をつき割でお返しします。」

 1日はあっという間に過ぎた。

 夕方、その施設から電話があった。

「おひとり空きが出そうです。よろしければ7時からですからこちらへおいでくださいますか。」

 砧まで車を運転して行った。

 もうここしかない、ここで契約をすることにした。
 終わったのは8時をとうに過ぎていた。

 ただ困ったことが起きた。J病院を退所してから、湯量老人ホームに入所するまで2週間日が空く。


 翌日、医療センターに電話した


「有料老人ホーム○月○日入所が決まりました。それまでの間で良いのですが、医療センターに入院させてくれませんか。」

 
「確実に入所できるのですか?」

「はい、契約を済ませております。」

「それでは私の権限で、2週間だけ入院させます。」

 ありがたいのか、、、そうでないのか、、、。この際利用できるものはどんどん利用しなくてはいけない。

 すぐにJ病院へ電話した、医療センターへ次は移します。

 これから母の旅が始まる、あっちへ行き、こっちへ行き、そして申し込んだ老人保健施設はまず家族が行き(ほとんど私、兄など行くはずもない、母はもう頭がおかしいからそれで幸せだろう、、とか大したことがないみたいなことを言う)

 老人保健施設に出向き話を聞き、こちらの状況を説明し、診療情報提供書を書いてもらい送る。

 いくら所内会議で入所の判定をするとはいえ
 何か月もたってから断るところが多数ある、、、失礼な話だ。
 
「認知症はフラフラ出歩くし、暴力もあるとこまりますから。」

 要するに面倒なことは引き受けない、

「病人」「認知症」は老健では引き受けない、急病でない限り「病院へ連れて行かない」「通院する時は退所してもらう」ということなのだ。

 これをクリアーする老人などいない、そんな老人は施設など入らない。
最近はだいぶ変わったようだが、しかし

 これ以来、母は認知症の治療を受けてないのだ、、、、、。

 母はどんどん認知症が進んだのだ、これが制度の不備だとどうして言えないのだろうか、、、!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 弟のメール

 とにかくよかった。いつも兄上のおかげです。兄上がいなかったら今回のようなことはできませんでした。
 




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笑顔で歌う母

2008-11-16 12:06:39 | Weblog
 思い出すと苦しいことばかり、、、。
 最近の母のことも書いておきます。

 昨日土曜日は、母のいる特別養護老人ホームで、歌の会があったのです。

 最初はどういうものか想像できなかったのですが、外部から歌を指導してくれる人がやってきて、それを入居者と家族で歌うというものでした。

 とりあえず、この間テレビの取材に協力していただいたのでそれのお礼をしておきました。

「結構デイサービスの方も見ていて、好評でしたよ。」

とか話してくれました。

 実はここのデイサービスに来られている方をこの間、NPOの活動だったけど、家の片づけの手伝いをしたのです。

 前も書いたけど、母にしてやれないことを退職後したかった、だから活動の一つに高齢者への福祉を選んだのです。

 もしかしたらその方がテレビを見られたのかもしれませんが。

 母をはさんで私と弟が歌いました。
 弟はもともとミュージカル、デイレクター、私は小学校から合唱団、大学がグリークラブ(男声合唱)、卒業後は、聖歌隊とで歌ってきたのです。

 声質はTOPテノールでかなり高いですし、まともに歌うと目立ちすぎてしまいまうす
 それで母の耳元で歌うようにしました。母は声が聞こえると元気がでますから。

 後で職員さんから 
「天野さんのいい声が聞こえて来ました。」

 とか言われてしまった。

 ピアノの先生はまだ二十代前半で可愛い人だった。

 思わず名刺を出して、挨拶をしてしまった。

「どうしてここでやろうと思ったのですか?」
「なんか自分でできないことはないかと思って。」

 こういう人がいると実にうれしく思うのですよ。

 こういう芽をつぶしちゃあいけないのですよ。

 私は先生になる前、一か月に一度、身体障害者の施設で「詩」を教えていたのです。その活動は三度くらい新聞でも取り上げてもらいました。

 しかし、教師になると教頭から

「そんなことは教師なったらできないから、やめろ。」
同僚からは
「学校が荒れてるんだぞ、やめちゃえよ。」
「自己満足でやってるんだろ。」
「自分の詩が良いと思ってるんだろ。」

 詩を教えてすぐに学校に帰るのだけど、すごく嫌な顔をされる、

「学校はなあ、部活がボランティアなんだよ。」

 こういうことを言ってた人はあとで、管理職になって「福祉教育」とかの担当者になっている。
 実際にはそんな活動は一切していない人がですよ。

・・・・・・

 何はともあれ、今日の母は楽しそうだった。久しぶりに笑顔も見せた。写真を撮るといつも笑わないのだけど、今日は笑っていた。







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保護入院は三か月

2008-11-15 01:10:10 | Weblog
この頃から、年休が多くなる。後に

「介護で休みが多いと主任にできないから」

 と校長がこの年度の終わりに人事を通達してきた時言った。
 つくづくこの人間性のなさに怒髪天を抜くのだが、、。私は担任希望と書いておいたのに余計なことを言うやつだ、と言うより人の話など聞いてない奴だ。

 思うのだが自分より年上の世代は部下に対して偉そうに言う。歳下の世代は自信過剰なやつと、口のきき方がぞんざいなやつが多い。
 自分の職場だけなのかもしれないが、、。

 また話がそれてしまった。母の入院を書いた後、感情の起伏がまた高まってしまったようだ。
 でも書かないおれない、、、。書かない方が苦しいし、以前も書いたけど、介護に対する認識を広めたい思いが強いのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 検査入院は夏休みの終わりにした。
 毎週のように母のところへ弟と行った。
 行くたびに、老人精神病棟のすさまじさにたじろいでしまう。
 机をバンバン叩き続ける男の人、「来ちゃダメ!」と叫ぶ人、、、、
 実は、見まいに行くと見まいに来てくれないお年寄りが焼きもちを焼くのである。

 毎週のように見舞う家族は実は少ないのが現実だ。

 この頃はまだ、母は言葉の力は落ちていない、言葉の使い方もはっきりしている。
 英語の手紙を読むと、ちゃんと理解できた。
「発音良くなったわねえ。」
 とほめられてしまった。たまたま、オーストラリアに行って帰って来たばかりだったからだろう。

 二学期になると、学校祭で休むどころじゃない、、、私が介護で苦労してることなど忘れている。

「こっちの方へ引っ越して母親を施設に入れればいいじゃないか。」
「家を売ればいいだろ。」

 いい加減にしろと言いたい。

 で、この頃になると、部活の顧問は、授業中、教室にやってきて生徒のいるところで
 ブスッとした顔で、
「この間日曜日に出た代休、、、午後もらうから。」

 要するに
「俺は日曜日部活に出た、だからお前が代わりに俺のクラスに行って総合学習の時間をやれ。」

 ということ。普通は管理職を通すだろうし、生徒の前では言わないことだ。管理職に言わずに私に言いに来ることは、私を軽んじている証拠だ。
 管理職などに休んでることは話してないだろう。

 そんなさなか、J病院から電話があった。

「もなく2か月が過ぎて、入所期間である三か月を終えようとしてますが、次の施設は決まってますか?」


 心臓が止まりそうだった。
 
「保護入院は三か月です。」

 そんな話聞いてない、、、、。




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自分の入院

2008-11-14 16:27:25 | Weblog
母を入所させた後、弟に母が入所させたことを牧師に伝えるように話した。
たいてい教会の会員で病気で入院したりすると、週報に載せ、会員に伝えるのだ。

 しかし入所後最初の日曜日、教会の週報には母のことは載せておらず、牧師もそのことを皆に話さない。

 母は数少ない戦前からのクリスチャン、祖母の代から信者になり、教会のオルガ二ストとして活動したり、婦人会の会長として10年も役を勤めた。

 特に旧牧師の一族が新牧師に逆らい、教会を混乱させた時なども、派閥など関係ない母にみなから「天野さんしかいませんから。」と引き受けさせられ、夜も寝られないような苦労をさせられた。

 なのに強制入院と話せば意味が分かるだろうと思っていた牧師が一切それに触れない。

 礼拝後、私が立ち上り母のことを話した。

 牧師の顔が不機嫌になる。

 教会のお年寄りたちは、「どこの病院ですか。」と聞いてきた。
 兄は私や弟の姿を見て、ニヤニヤしている。兄弟が苦労してても何なら声の一つもかけるようなことはなかった。 それは今に至るまでそうである。、

 自分が親に大事にされなかったとか、、、その恨みを持っている。
だけど、父親が定年後の生活のために建てたアパートに結婚後住んで、しかも世田谷の土地50坪まで相続している。

 父の葬儀の時も一切手伝わない、彼の会社からは一人も手伝いを出さない。そんなことを頼むことすらしていない。

 牧師も以前の母を知らない、口を開けば「私の母親に似ているから話を聞くと苦しいよ。」

 それじゃあ、牧師の役割など無くても良い。
 私が病気で退職した時も一言も紹介するわけでもない。
「教会は個人的な話をしてはいけない。」

 だのに、誰それは結婚する、会社が決まった、就職した、、、、いったい何を基準としているのか。

 この頃から「不信感」が増してきた。

 先々週、、とうとう牧師と怒鳴り合い、、、

「よしそれならもういい、やるか、かかってこい、いくじなしめ、」

 これが牧師の言うことか。なんかテレビドラマの見過ぎじゃないのか。

「同情を買おうとしてるんだろう。教えてやろうか、そういうのを若い人の言葉で”ひがも”というのだ、被害妄想だ。」

「いい歳をして、杖などついてかっこつけやがって。」

 この牧師は頭がおかしいのかと思った。


 私が杖をかったのは4年前、、、その場で杖をたたき折った。

 私には救いの場所がない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 時間が前後してしまった。

 母を入所後、何度か夜私の家に電話があった。
 福祉センターの言われた通り、三か所特養を申し込んだ。

 そうこうするうち、そろそろ私の体自身に異変が起きていた。

 とりあえず、職場の近くのS病院へ検査入院した。

 二日間、病院へ宿泊しながら、通勤していた。

 数日後
 
「睡眠時無呼吸ですね。」

 たいてい医者の言うことは
「太りすぎ」「たばこを吸いすぎ」

 なんだが、私の場合は「安定剤」「睡眠導入剤」で筋力が弱ることもあるだろう。

 それにストレスが加わった、、、寝られるわけがないし、怒りを抑えきれる訳でない、、、。

 矛盾を体に抱えてしまった。







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お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。