お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

むかしむかしの今

2010-01-26 21:15:28 | Weblog
「おかあちゃま、家はまたお客さんがたくさん来るようになったよ。」

「そうよかったわ。」

「みんなおかあちゃまや、おとうちゃまのおかげだよ。」

急に涙が出てきて止まらない

でも母にそれを悟られたくはない

マスクをしてるから

表情は分からないでしょう

「今度お嫁さんを連れてくるよ。」

「そう連れてきたらうれしういけどね。」

「どんなお嫁さんがいい?」

「さあ、、、どんな人でも良いけどね、、」

暖かく日差しいっぱい、母と二人きりで特養の部屋にいた

誰もみていないし

誰か見てても、意味は分かりはしないでしょう


介護11年目

この11年は早すぎて、幼いころの何十倍も時間が速い


この頃の緊張感が一気にほどけて

幼い私に戻った


むかしむかしの今だった


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この日記を最初から読めば理由が分かるでしょう、、、

強制入院させることが家族にも本人にもものすごい

トラウマだということを

世の中、それほど介護にはやさしくない

私は夢とか希望を持って、転職した

その職場が一番無理解だった

父が亡くなり今年で30年


母の元気なころを知る人も少なくなった


誰も母が、ピアノを弾き

三ヶ国語を話し


一度聞いた曲をその場で採譜できることも

知らない

まして、父親が戦前アメリカにわたり、戦後通訳をして

GHQの試験問題を作成したことも

母がその試験を満点取ったことも

父親の会社が、外貨獲得日本一だったこと

それに貢献するため世界中一人で飛びまわったこと

家に毎年200人の外国人が宿泊したことも知らない



私は両親の失敗作

二人の才能の100分の1もない




今は両親の残した家をスタジオにしている

その後ろめたさもある




あからさまに

蔑視する人もいる

楽でいいでしょ、、とか

親の財産があるからな、、、だから仕事しないんだよな

とか

早く喫茶店とか居酒屋にしろ、、、とか


あの家じゃあ500円だなあ、、、、とか


父親が退職金数千万で建てた家だ

日本文化を大切にするというのは

現実はほとんど、有名無実でしかない

ワインの良さは語れても

和の良さは語れない


家には

いつ何時、母を連れ帰るかもしれない


最後はここで看取るんだ


だから家は残す

その条件で、仕事をするしかない

療休を1年半した者は

ハローワークも組合も何もしない

そんなことは理解もされない



両親の話をしても

昔の人の英語じゃたいしたことないね、、、とか


母はおごり、たかぶり、いかり、そしり、ねたみ、

から一切無縁だった


私しには出来過ぎな母だ

会ったこともない親の悪口を言われる筋合いはない


最近の日本人は

少々の才能とか語学力とか文芸の才を

自慢しすぎる、、、、


私は

偉そうな人が大嫌いだ


何とかスタジオにして

毎日緊張し続けて


近所に気を遣い


もう限界だったのだろう


小学校1年のころ

学校から帰ると

すぐに母の背におぶさった


今は逃げる場所もなかった

もちろん

還暦になるのに

子供を産める相手などさがすなど

とうにありえない


ただ、母がずっと私のことを心配して

それも病気に追い込んだ原因かもしれない

という、思いは

私のような立場なら

誰だってあり得ることだ





思いっきり

一人で泣いた













 






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言葉と音と母と

2010-01-01 20:16:13 | Weblog
母を特別用語老人ホームへ迎えに行った。

正月に一時帰宅させるためです。

用意は弟が全てしてくれている。

「これからおせち料理を食べに行きますよ。」

 普段はホームから出るのも帰るのも怖がります。

 食べものの話をすると、案外ついて来てくれます。


 母を家に入れると

「本当に、前の家とよく似ていること!
 ほら、衝立も、机も、、」

 スタジオにしてから、家は極力昔の調度品で揃えてますから、祖父の品々など目につくのでしょう。

 母は、どなたかの家に御呼ばれに来て、そこでおせちを食べるような気持ちのようです。

「ねえ、お祈りして。」

と頼みました。

「そんなこと嫌よ。」
「でも簡単でいいから、ね。」

そこで母は祈り始めました。

言葉も、意味のつながりも明確に、、、。

弟が号泣してました。

久しぶりに正気な母の姿ですから。

 長谷川式認知症検査で、15以下(30が限界)になりすでに久しいです。


 でも、母が元に戻ることが時々ある。


 音楽を聞いた時、外国語が目に触れた時、祈る時、、。

 それこそ、Die SONATEN をソナタと読み、CHOPINをショパンと発音し、TEMPESTを「嵐」と訳します。

 それがいきなりです。


 クリスマスで、五皿もお代わりした母ですが、今日は穏やかに落ち着いて食べてました。

 食べ終わりお菓子も食べました。

鼻歌も出てきます。何の歌か分かりません。

 やがて、階名で歌ってるのです。階名自体はメロデイーとあってます。


いろんな曲が混じっているのでしょう。

それが賛美歌の何曲かが混ざっているようなのです。



母は以前は、簡単な曲ならすぐに採譜できました。


恥ずかしながら、大学時代、、コンコーネもコールユーブンゲンも母に手伝ってもらったりしてました。


指がピアノを弾く動作をしていました。

音楽や音声、そこから発音学、言語学、民俗学を好きになったのです。

私の子供の時の家庭教師は、母でしたから。

 病気で学校に行けなかった私にいろんなことを教えてくれたのは母でした。

 貝塚茂樹の「殷帝国」三笠宮殿下の「古代エジプト」、「定本、柳田國男全集」それらを、幼い私はつま見みしてました。

 それで私は歴史好き、旅好き、言葉好きになったのでしょう。

 ただし私は、体系なく頭にイメージが入り込んでいるので、物事に大雑把で、とりとめがありません。

 今更直そうたって無理です。

 字は読めても書けません。

 母に市松人形を抱かせました。

「ゆみちゃんだよ。」

と弟が言いました。

 「天野家」のHPで「ゆみちゃん」って勝手に名前を付けて紹介してますから、、、。

「この子はおとなしくて良い子よ」

まるで本当の娘見たいな感じで抱いてました。

三人と、ゆみちゃん、父の写真で写真を撮りました。

 父が生きているときに、母が正気な時に、本物の娘と撮りたかったのですが、、。




 食事が終わると私も睡魔が襲ってきました。

 昨夜の新年会で帰宅したのが、2時過ぎてましたから。

 その頃になると母も落ち着かなくなりました。

 いったんそうなると、収拾がつきません。

 「おじいちゃま」
 「かずこちゃん」・・・おばです
 「ゆきちゃん」・・・・私のことです
 「まさみちちゃん」・・・弟のことです

 突然つぶやくのです

 家族のこと、特に亡くなった祖父のことを良く思い出してます。
 尊敬する父親だったのです。

 天野家の古い品々は、ほとんど祖父のものです。
 風流な人でしたから。



「三人でドライブに行くよ」

と話して連れ出しました。


だますようですが、そうしないと激しい拒否が出ます。



介護は果てなく続くでしょう。


 自分を責めなくなったのは、、、まだ最近ですから。


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お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。