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お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

言葉と音と母と

2010-01-01 20:16:13 | Weblog
母を特別用語老人ホームへ迎えに行った。

正月に一時帰宅させるためです。

用意は弟が全てしてくれている。

「これからおせち料理を食べに行きますよ。」

 普段はホームから出るのも帰るのも怖がります。

 食べものの話をすると、案外ついて来てくれます。


 母を家に入れると

「本当に、前の家とよく似ていること!
 ほら、衝立も、机も、、」

 スタジオにしてから、家は極力昔の調度品で揃えてますから、祖父の品々など目につくのでしょう。

 母は、どなたかの家に御呼ばれに来て、そこでおせちを食べるような気持ちのようです。

「ねえ、お祈りして。」

と頼みました。

「そんなこと嫌よ。」
「でも簡単でいいから、ね。」

そこで母は祈り始めました。

言葉も、意味のつながりも明確に、、、。

弟が号泣してました。

久しぶりに正気な母の姿ですから。

 長谷川式認知症検査で、15以下(30が限界)になりすでに久しいです。


 でも、母が元に戻ることが時々ある。


 音楽を聞いた時、外国語が目に触れた時、祈る時、、。

 それこそ、Die SONATEN をソナタと読み、CHOPINをショパンと発音し、TEMPESTを「嵐」と訳します。

 それがいきなりです。


 クリスマスで、五皿もお代わりした母ですが、今日は穏やかに落ち着いて食べてました。

 食べ終わりお菓子も食べました。

鼻歌も出てきます。何の歌か分かりません。

 やがて、階名で歌ってるのです。階名自体はメロデイーとあってます。


いろんな曲が混じっているのでしょう。

それが賛美歌の何曲かが混ざっているようなのです。



母は以前は、簡単な曲ならすぐに採譜できました。


恥ずかしながら、大学時代、、コンコーネもコールユーブンゲンも母に手伝ってもらったりしてました。


指がピアノを弾く動作をしていました。

音楽や音声、そこから発音学、言語学、民俗学を好きになったのです。

私の子供の時の家庭教師は、母でしたから。

 病気で学校に行けなかった私にいろんなことを教えてくれたのは母でした。

 貝塚茂樹の「殷帝国」三笠宮殿下の「古代エジプト」、「定本、柳田國男全集」それらを、幼い私はつま見みしてました。

 それで私は歴史好き、旅好き、言葉好きになったのでしょう。

 ただし私は、体系なく頭にイメージが入り込んでいるので、物事に大雑把で、とりとめがありません。

 今更直そうたって無理です。

 字は読めても書けません。

 母に市松人形を抱かせました。

「ゆみちゃんだよ。」

と弟が言いました。

 「天野家」のHPで「ゆみちゃん」って勝手に名前を付けて紹介してますから、、、。

「この子はおとなしくて良い子よ」

まるで本当の娘見たいな感じで抱いてました。

三人と、ゆみちゃん、父の写真で写真を撮りました。

 父が生きているときに、母が正気な時に、本物の娘と撮りたかったのですが、、。




 食事が終わると私も睡魔が襲ってきました。

 昨夜の新年会で帰宅したのが、2時過ぎてましたから。

 その頃になると母も落ち着かなくなりました。

 いったんそうなると、収拾がつきません。

 「おじいちゃま」
 「かずこちゃん」・・・おばです
 「ゆきちゃん」・・・・私のことです
 「まさみちちゃん」・・・弟のことです

 突然つぶやくのです

 家族のこと、特に亡くなった祖父のことを良く思い出してます。
 尊敬する父親だったのです。

 天野家の古い品々は、ほとんど祖父のものです。
 風流な人でしたから。



「三人でドライブに行くよ」

と話して連れ出しました。


だますようですが、そうしないと激しい拒否が出ます。



介護は果てなく続くでしょう。


 自分を責めなくなったのは、、、まだ最近ですから。


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