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お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

明日は母を連れ帰る

2009-12-31 18:44:42 | Weblog
とうとう大晦日。

母が発症して、10年もあっという間だった。


その間の、天野家の苦しさは、、、、、

世の中の不人情さは

いまだに・・・・・続く

ボランティアで、行く途中バイクで転倒して

犯罪者呼ばわりされて、、

やってきた警官は

被害者である私を逮捕しかねなかった、、、

なんたる、不手際、誤解。

 道路でどなりつけた


 若い警官、後で、めちゃしょげてたけど。




いまだに、手のしびれや頭痛は厳しいのに

医者の診断は異常なし。


医療費は、、、、これ一つとっても問題いっぱい。





8月末にはなんとか天野家を「和室すたじお 天野家(あまのや)」

として、サイトを揚げた。
http://amanoya.dousetsu.com/

偶然の成り行きだったけど おかげでテレビや雑誌で使われ始めた。

毎日、母のことを思い家を掃除している。


お客様には正座して、最敬礼。

母の伝えた、お礼法。


明日は、母を家に一時帰宅させ、おせちを食べさせる。

弟がおせちを買ったのだ。


母はこの頃は、帰宅願望や妄想が激しい。

明日無事に家に来て、またホームに帰れるだろうか。


そんなことでも、悩んでしまうのだ。



弟は、音楽屋なのに耳をやられてしまった。

夜中でもギターを弾いては近所から、言われてしまう。

やるせない思い。










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人形を抱く母

2009-11-08 21:14:45 | Weblog
母のところへ行った。
市松人形を持って行った。

この人形には謎がある。
祖母の形見の着物を母が人形師に寄付したのです。
以来、母のところへ人形師の個展の案内が来るのです。
なぞは、この人形を買ったものか、もらったものかなのです。
もしかしたら、人形の着物は祖母のものかもしれない。
弟の話では、母が買って来たその夜、この人形を布団に入れて一緒に寝たそうです。
今となっては詳細の確認のしょうがない。

母に見せたら

「本当にこのお人形の顔は可愛いわ。」

と言いました。

「これはおばあちゃまの着物ですか?」

と聞いたらそうだというのです。

「女の子がほしかったですか?」

とも聞きました。

「そんなことはないわよ。」

「ご飯をお食べなさいとか、独り言を言ったりしたけど。」

とも、、、。

 できの悪い息子たちばかり、女の子もほしかっただろうし、言うことを聞かなくなった子供たちでは、人形か猫が話相手だったのでしょう。

 今この人形は、「天野家」の利用があるとき、座布団を玄関に敷き、座らせてます。

「これは我が家の受付嬢です。ゆみちゃんといいます。」

と紹介してます。

 みなさん、ふきだされます、、、、

「かわいい。」  

とか言ってくれると嬉しいです。

中にはホームページを見て覚えてくださった方もいて

「ゆみちゃんだ。」

とか言ってくれます。
http://amanoya.dousetsu.com/page002.html#label1

 今は茶の間に、両親の写真と猫の写真と一緒に並んでます。

時々私も抱っこしてます。
 
・・・・・・・・・

 家の柿を母のいる特養に持って行きました。
 職員さんが皮をむいてくださったので母にあげました

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歩く母

2009-10-08 23:31:30 | Weblog
 母のいる特別養護老人ホームから写真が送られてきました。

 ホームの近くの公園に散歩に行った時の写真です。

 母が花の中を歩いてる姿が映ってました。

 ホームページにも掲載されています。

 http://www.setagayaj.or.jp/2009/10/000812.html

 なんか母が花園で無心になってる、、、。

 冷たい水を井戸水と言ったり、公園にいた犬をなでていたそうです。

 たぶん、昔飲んだ井戸の水や飼っていた犬を思い出したのでしょう。

 私が大阪にいたころ、我が家には目の見えない犬がいました。

 パピーという歳とった犬です。

 家庭の水は、井戸水でした。

 風呂もそれで沸かしてました


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敬老会の日、、、

2009-09-20 21:06:54 | Weblog
私のじゃないですよ、、、まだ、まだ、、、でも近い将来絶対なるでしょうが、、、いや、避けられぬ。

 死の瞬間が今でも怖いけど、、、。


 母のいる、特別養護老人ホームで敬老会があった。

 弟と参加した。

 母は前の方にいたので、ほとんど話せなかった。

 母は何かお祝いしてもらってるのは理解してるのでしょう。

 
 この頃、子供時代のみならず30代、40代のころが遠い昔に思えてしまう。

 三日月と競争した夜が、もう戻ってこない。


・・・・・・・・・・・・・・

 お隣に座っていた、お爺さん

「大勢いますね。」
「奥様が入っておられるのですか?」

 というような会話になって
最初は良かったのだが、、、会が始まり若い職員さんが司会を始めると


「まじめにやれ!」とか
「しっかりしろよ!」

とか苛立ちをあらわにしてた、、。

 なんでだろう、、、、。

 瞬間想像した、、、

 もしかしたら、入所するまですごい大変だったのかもしれない
 置かれた状況が悲しいのかもしれない。

 初めて家族を介護することになると、何もかもが分からない、、、、

 その不安がある、、、。

 CMで流れるような個のケアなんて、本当はつきっきりでできない。
 
 車いすで寝た切りの人を優先さざるを得ない、

 私も最初の老人保健施設で、

「リハビリだってやらないじゃないか、毎日食わせてテレビ見させてるだけじゃないか!」

 と怒ったことがある、、、、

 自分自身が療休中の身だった苛立ちもあった。

 背景には、ちょうど、介護保険が急激に変更された時だったことがある。

 いきなり、介護施設(建物がね、、、、)が増えて、職員の給料だけは低く抑えてね、、、。

 日本の行政は、箱もの行政ですから。不況で余計にこうした状況を生んだのだ。
 

 あれでどれほど家族や本人が苦しみを得たことか。

 職員だってやるせなかったでしょう。


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プレリュード

2009-07-15 19:57:41 | Weblog
母のところへ行きました。

母は体は元気です。でも、話す言葉はずいぶん変わってきました。
ただもともと穏やかで健康な時も決してどなり声一つ上げたことがありません。
それが今でも、幸いしてるのでしょう。
ただ、食事の時間になると、自分のところに配膳されないのが不安になるようで、しきりに「ここを忘れないで」とスタッフの人に言いに行きます。

ショパンのプレリュードCDを持っていきました。


母は

CHOPINをショパンと読みます。

「プレリュードのPreは、前の、という意味ね」

と言ったりします。

 長谷川式認知症で15でも、突然英語を理解してしまいます。

それも長年の英語とのかかわりでしょう。

 私は思うのだけど、母の耳と視力を回復する医療があれば母も含め多くの人が認知症を少しでも回復できるように思うのです。

 母は決して、何もできなく荒唐無稽なことを話しているのではありませんもの。




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母の言葉

2009-06-28 22:22:02 | Weblog
 最近別のボランティアをやり始めました。でも交通費はいただいてます。
 
 これからは有償ボランティアでないと、人は集まらないと思います。

 パソコンの補助などしています。

 お年寄りには"パソコンを教える”でも今のところはいいのでしょうが、やがて"パソコンで教える”時がくるでしょう。

 学校ではとっくにそういう時代になっているので、時期にそういう時代が来るはずです。

 そんなときに、どのような利用方法があるか、改めて学校で”どのように学んでいるか”を知る必要が出てくるでしょう。

 母は、ますます、話すことが分かりずらくなりました、でも自分でもうまく表現できないということは、理解してると思います。

 それを理解しないと、本当の介護はできないでしょう。

 言いたいことは自分でも分かっているけど、表現できない、、、そんなもどかしさを母自身に感じています。




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母の日

2009-05-17 15:24:14 | Weblog
最近母のこのブログを更新していない。

自分自身がトラウマでショックを受けてしまう限界に来たことも事実です。

また、私が逆恨みをしてると、言われてしまってることを知ったのも事実です。

 私のリフレッシュ休暇を妨害し、療休のハンコを取り上げ一年間押し続けたのも事実、部活を断ったのに、聞き入れず介護に帰らせなかったのも事実、、すべてこのブログで書いたことは事実です。

 弟とのメールを見てください。

 病院で聞いてください。

 医者の診断書を見てください。

 職場の人に聞いてください

 ずっと時間休などとってませんから、、、取らせなかったのはその同僚ですから



「天野の被害妄想」と宣伝してるようですね。


    それが教育者なのでしょうか

 誤りを認めると、賠償金を払うことになる、それを恐れているのでしょう。
悪いことをしたら謝ると学校では教えているのではないのですか。

 そうした態度は私のみならず、母や弟への侮辱です。




 母の日に弟と訪ねました、花を持って。

 母は汗びっしょりでした。苦しさを訴えてました。

 歩き疲れたとのことです。


 最近、分かったこと。

 NPOで知り合った方が、ホームの近所の方で老老介護で毎朝朝食のヘルパーの補助に来ているのです。

 母のことをよく知っていたのです。

 ひょんなことから知己を得て安心しました。




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母を訪ねて

2009-04-10 00:05:06 | Weblog
火曜日母のいる特別養護ホームへ歩いて行った。
一度やろうと思っていたが、なかなか勇気が出なかった。片道7.9km、往復約16km、よく歩けたと思う。
 体を少しずつ戻さないと、余計に弱る。

 でも今日はその疲れでばててた。

 母は顔色とか元気だ、でも話すことはますます意味が通じない。でも時々元に戻る、、、そう感じる。




 



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療休

2009-03-25 20:19:06 | Weblog
 新しい学年は、ばらばらだった、、、、。
 体はすっかりボロボロだったでしょう。この後の学校のことは書きたくない。

 10月にうつ病を理由に療休に入る、しかし原因がうつでなく肺呼吸機能の方が問題だったのが翌年一月に分かる。
 血中酸素濃度が85だった。ピークフロー値は年齢測定不能。

 療休に入ったのに、管理職は仕事をしに休日に来させたり、期末試験を作り評価を出してくれとか、、、めちゃめちゃなことをいう。

 悪いことが重なるとはこういうことかもしれない。

 いじめを助長している生徒やその親は私が生徒との軋轢で休んだと思ったようだ。

 許せないのはこの時の学校の対応だし、休んだ理由を生徒にうつ病で休んだとか話した教師がいることだ。

 しかも療休中、一度も管理職は自宅まで来たことがない、溝の口の喫茶店に呼び出し客がいるのにでかい声で、病気はどうだの話す、最低のことをした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私が休んだことで、困ったことも起きた。弟も同じような症状を言い始めたのだ。

 最近はテレビでも、介護やうつについて理解を示すような報道がされるが実際には泣き寝入りがほとんだろうと思う。

 相変わらず、母は三カ月おきに老人保健施設を転々とした。そのたびに私が書類とか手続きをした。

 自分が療養してても自分がやるしかなかった。2005年1月から在宅酸素療法を私は始めていた。 


 



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同郷のよしみ?

2009-02-24 23:52:12 | Weblog
2004年、心臓が止まりそうだった、、、、、。

学年の職員3人が辞めた、、、。

二人が介護でだ、、、。

主任も降りた、担任の中の一人が主任になった。

部活オンリーで主任としての仕事を全然意識してないのだ、正直頭にきた。

担任で残ったのは私だけだった。

仕方ないとはいえ、、、、私自身が担任さえやれない状況だったのに、、、、。

人生を恨むことになる、、、。

部活が運動部から、美術部になった、、、

遅すぎる、、、、管理職のバカ野郎!!!

家の近い若い女性教師は相変わらず、、、というか5年間全く部活をやらなかったが、、、、。

この教師と校長が同じ北海道出身だというこを知り不信感がますますつのった。

同郷のものを大事にするということか。


ほとんど睡眠できない日が続いた、、。


[
今、ホームで母のベッドにいます
このまま母と


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お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。