ゴールデンウイークも終盤。
皆様如何お過ごしでしょうか?
本日は、友達の話をします。
授業もありませんし、制作の模様はもう少し煮詰めてからにしたいので。
しかし、これは決して谷間の記事という訳でも、しばらく間隔があいたことに対する、焦りの穴埋め記事でもなく「俺のこと書いてよ」という友達のリクエストから、一生懸命以下書いてみようかということで、こうなりました(笑)
やや散文詩的に書いていくことになりますから、その通りイメージで読んでいただければ幸いです。
先日、久しぶりにその友達と並んで飲んだので、エールを送りたいと思うのです。
彼。O澤は親友です。
親友。
どんな友人を親友と言い、どこまでを言うのかはわかりませんが、彼はその一人です間違いなく。
多分私の父親は、私と一緒に彼に教えたんだと思います。
仕事の厳しさ、お酒、歌…たくさんの事を。
私と彼は当時、一生懸命背伸びをしていました。
浅い知識が全ての若僧は、一緒に大人の匂いを嗅いでいたんだと思います。
当時の私の親は、彼の事を息子以上に可愛がっていたと、息子である私は思います。
彼は、その父親が営んだ小さな印刷会社が潰れて、家族+犬で夜逃げするまで、アルバイトをしてくれていました。
口には出しませんが、これには感謝です。
その後私たちが社会人になったころ、清志郎に「昼間のパパは男だぜ♪」と歌われた大手ゼネコンに入社し、地球に穴を開け橋を架け続けてきた中で、彼は凄い高さから落下して、生死をさまよう大怪我もしましたし、右耳の聴力も失いました。
だから彼と二人で飲む時だけは、普段焦点が合わせづらいという理由で、必ず右に座る私が、左に座ります。
もちろん先日もそう。
繰り返しになりますが、話は様々な時代を行ったり来たりしますので、時系列に捕らわれず、イメージを膨らませて読んでくださいね。
少なくとも自分にとって、全く無意味だった学習塾の帰り道、毎度近くのコンビニの前に座り込み、ラムレーズンのアイスクリームを食べた時間は、とても有意義でした。
ラムレーズンは今でも大好きですが、それは高校時代の話。
有意義だった時間に繰り返したのは、つまらない会話です。
あの子が好きとか、明日告白するとか、昨日ふられたとか、そろそろ学校来いよ、とか(笑)
同じ星座に同じ血液型。
見た目も趣向も全く違う彼とは、不思議とウマが合いました。
ウマが合う理由はわかりませんが、それはラムレーズン同様、車山林間学習から始まり、今も変わりません。
彼は、高校から付き合っていた彼女と結婚しました。
私は数え切れないことはありませんが、その時期から色んな恋をしたような気がします。
彼はしていません。多分。
当時からの一途な想いで結婚した奥様は、彼の事を君づけし、私の事は呼び捨てにします。
めんくいなのは彼ですが、30年後を見抜く力はなかったようです(・◇・)?
ごめんなさい。冗談です。
彼の奥様は、元高○寺高校のマドンナで、元私の妹の家庭教師です。
だから何?って話ですが、この夫婦の事を、大切に思っています。
めったに会いませんが心から。
彼はいつも、私より少し上なんだと思います。
冷静沈着で、常に正しい選択をしていた気がしますし、私の操り方を心得ていましたから、私はいつもちょっと下から話をしていたような気がします。
それは力の差ではなく、立ち位置の問題で、そのくらいが絶妙に気持ちよかったから、今もそうです。
私168センチ。彼は178センチ。これくらいの差です。
地面から数えて10センチ差のベストポジション。
親友とは「互いに一番気持ちよい立ち位置でいられる関係の友達」を言うのではないか?と今思いました。
それは、昨日飲んだ二日酔い中の酒のみ夫婦、エグいカーデザイナー、東京からきた幼なじみにも言えます。
(昨日午後からのカーデザイナー宅でのバーベキュー。50絡みのそれは肉無し)
彼は今、日本の大動脈のバイパス的道を作っています。
日本地図を広げたら、あそこの高速道路もこっちのトンネルも作っているかもしれないですが、そろそろこの現場が終わるそうなんです。
「明日の仕事は南か北か。ここまでおいでと誰かの声が。どこまで行くのか貧しい足で」と、名曲「自己嫌悪」を歌うのは陽水ですが、その陽水の「新しいラプソディ」は彼とよく並んで歌ったものです。
彼の足は決して貧しくありません。
行け!と言われればどこまでも強い足取りだったはずですし、今でも幸せな家族を支える大黒柱の足は踏ん張りがきく。
でも何故でしょう?
少しだけ…
彼が疲れていました。
これは他の人にはわからないと思いますが、私の立ち位置からだけわかる感覚なのです。
相変わらず、往年のカープのエース北別府学にそっくりでも、彼は疲れていると私には映ったのです。
白髪が増えました。
肥りましたし、艶もなくなりました。
しかしそれは、渋さには感じますが、疲れて見えた理由ではありません。
彼には全盲の弟と、足の悪いお母さんがいます。
弟は、全盲を補うだけの知能と、ギターのテクニックを持っていました。
おばさんは昔から、絵で食べていく私を心配してくれていました。
この年になると、誰でも先を見ます。
特に旧友と飲みながら見る前途は、明るいことが少ない。
それはそうでしょう。
キラキラしていた昔話をし、その頃と変わらない気持ちのまま、衰えていく体の話をし、少なくなった髪の毛を残りの人生に、蓄えた脂肪を取り戻せない過去になぞらえて話をしたりするのが普通ですから。
親が年をとるのも普通ですから。
それでも僕らは前を向き、踏ん張っていかなきゃいけない。
それでも僕らは弱音を飲み込み、進んでいかなきゃなるまい。
わかっています。
彼も僕もわかっているんです。
だからエールを送ろう。お互いに。
だから弱音を吐こう。お互いに。
そんな存在でいよう。お互いに。
「頑張ろうぜ」の代わりに酔って肩を組もう。
私は、官と癒着をするゼネコンは好きじゃありませんが、人のためにいいものをたくさん作ってきた君は自慢です。
年はとったけど、昼間のパパはいい汗かいてて、昼間のパパはまだまだ光っていなきゃいけないはず。
あの歌に励まされた君は、廃炉の現場に東北に行っても立派に立っていくはず。
だから、たまに疲れた顔で飲もうか。
グッタリへべれけになろうか。
また帰ってきたら一杯やろう。
付き合います。
(^_^)
さて。
明日でゴールデンウイークもおしまいですね。
一足先に本日が最後の私は、ブログを上げたら制作です。
※写真はこの話とほとんど関係ないイタリアンな独身カーデザイナーの下駄箱。
こいつも親友です。
皆様如何お過ごしでしょうか?
本日は、友達の話をします。
授業もありませんし、制作の模様はもう少し煮詰めてからにしたいので。
しかし、これは決して谷間の記事という訳でも、しばらく間隔があいたことに対する、焦りの穴埋め記事でもなく「俺のこと書いてよ」という友達のリクエストから、一生懸命以下書いてみようかということで、こうなりました(笑)
やや散文詩的に書いていくことになりますから、その通りイメージで読んでいただければ幸いです。
先日、久しぶりにその友達と並んで飲んだので、エールを送りたいと思うのです。
彼。O澤は親友です。
親友。
どんな友人を親友と言い、どこまでを言うのかはわかりませんが、彼はその一人です間違いなく。
多分私の父親は、私と一緒に彼に教えたんだと思います。
仕事の厳しさ、お酒、歌…たくさんの事を。
私と彼は当時、一生懸命背伸びをしていました。
浅い知識が全ての若僧は、一緒に大人の匂いを嗅いでいたんだと思います。
当時の私の親は、彼の事を息子以上に可愛がっていたと、息子である私は思います。
彼は、その父親が営んだ小さな印刷会社が潰れて、家族+犬で夜逃げするまで、アルバイトをしてくれていました。
口には出しませんが、これには感謝です。
その後私たちが社会人になったころ、清志郎に「昼間のパパは男だぜ♪」と歌われた大手ゼネコンに入社し、地球に穴を開け橋を架け続けてきた中で、彼は凄い高さから落下して、生死をさまよう大怪我もしましたし、右耳の聴力も失いました。
だから彼と二人で飲む時だけは、普段焦点が合わせづらいという理由で、必ず右に座る私が、左に座ります。
もちろん先日もそう。
繰り返しになりますが、話は様々な時代を行ったり来たりしますので、時系列に捕らわれず、イメージを膨らませて読んでくださいね。
少なくとも自分にとって、全く無意味だった学習塾の帰り道、毎度近くのコンビニの前に座り込み、ラムレーズンのアイスクリームを食べた時間は、とても有意義でした。
ラムレーズンは今でも大好きですが、それは高校時代の話。
有意義だった時間に繰り返したのは、つまらない会話です。
あの子が好きとか、明日告白するとか、昨日ふられたとか、そろそろ学校来いよ、とか(笑)
同じ星座に同じ血液型。
見た目も趣向も全く違う彼とは、不思議とウマが合いました。
ウマが合う理由はわかりませんが、それはラムレーズン同様、車山林間学習から始まり、今も変わりません。
彼は、高校から付き合っていた彼女と結婚しました。
私は数え切れないことはありませんが、その時期から色んな恋をしたような気がします。
彼はしていません。多分。
当時からの一途な想いで結婚した奥様は、彼の事を君づけし、私の事は呼び捨てにします。
めんくいなのは彼ですが、30年後を見抜く力はなかったようです(・◇・)?
ごめんなさい。冗談です。
彼の奥様は、元高○寺高校のマドンナで、元私の妹の家庭教師です。
だから何?って話ですが、この夫婦の事を、大切に思っています。
めったに会いませんが心から。
彼はいつも、私より少し上なんだと思います。
冷静沈着で、常に正しい選択をしていた気がしますし、私の操り方を心得ていましたから、私はいつもちょっと下から話をしていたような気がします。
それは力の差ではなく、立ち位置の問題で、そのくらいが絶妙に気持ちよかったから、今もそうです。
私168センチ。彼は178センチ。これくらいの差です。
地面から数えて10センチ差のベストポジション。
親友とは「互いに一番気持ちよい立ち位置でいられる関係の友達」を言うのではないか?と今思いました。
それは、昨日飲んだ二日酔い中の酒のみ夫婦、エグいカーデザイナー、東京からきた幼なじみにも言えます。
(昨日午後からのカーデザイナー宅でのバーベキュー。50絡みのそれは肉無し)
彼は今、日本の大動脈のバイパス的道を作っています。
日本地図を広げたら、あそこの高速道路もこっちのトンネルも作っているかもしれないですが、そろそろこの現場が終わるそうなんです。
「明日の仕事は南か北か。ここまでおいでと誰かの声が。どこまで行くのか貧しい足で」と、名曲「自己嫌悪」を歌うのは陽水ですが、その陽水の「新しいラプソディ」は彼とよく並んで歌ったものです。
彼の足は決して貧しくありません。
行け!と言われればどこまでも強い足取りだったはずですし、今でも幸せな家族を支える大黒柱の足は踏ん張りがきく。
でも何故でしょう?
少しだけ…
彼が疲れていました。
これは他の人にはわからないと思いますが、私の立ち位置からだけわかる感覚なのです。
相変わらず、往年のカープのエース北別府学にそっくりでも、彼は疲れていると私には映ったのです。
白髪が増えました。
肥りましたし、艶もなくなりました。
しかしそれは、渋さには感じますが、疲れて見えた理由ではありません。
彼には全盲の弟と、足の悪いお母さんがいます。
弟は、全盲を補うだけの知能と、ギターのテクニックを持っていました。
おばさんは昔から、絵で食べていく私を心配してくれていました。
この年になると、誰でも先を見ます。
特に旧友と飲みながら見る前途は、明るいことが少ない。
それはそうでしょう。
キラキラしていた昔話をし、その頃と変わらない気持ちのまま、衰えていく体の話をし、少なくなった髪の毛を残りの人生に、蓄えた脂肪を取り戻せない過去になぞらえて話をしたりするのが普通ですから。
親が年をとるのも普通ですから。
それでも僕らは前を向き、踏ん張っていかなきゃいけない。
それでも僕らは弱音を飲み込み、進んでいかなきゃなるまい。
わかっています。
彼も僕もわかっているんです。
だからエールを送ろう。お互いに。
だから弱音を吐こう。お互いに。
そんな存在でいよう。お互いに。
「頑張ろうぜ」の代わりに酔って肩を組もう。
私は、官と癒着をするゼネコンは好きじゃありませんが、人のためにいいものをたくさん作ってきた君は自慢です。
年はとったけど、昼間のパパはいい汗かいてて、昼間のパパはまだまだ光っていなきゃいけないはず。
あの歌に励まされた君は、廃炉の現場に東北に行っても立派に立っていくはず。
だから、たまに疲れた顔で飲もうか。
グッタリへべれけになろうか。
また帰ってきたら一杯やろう。
付き合います。
(^_^)
さて。
明日でゴールデンウイークもおしまいですね。
一足先に本日が最後の私は、ブログを上げたら制作です。
※写真はこの話とほとんど関係ないイタリアンな独身カーデザイナーの下駄箱。
こいつも親友です。