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POP LIFEwww.wb.commufa.jp/atl-pop

春日井市の絵画教室、あとりえPOPアートスクールの教室風景や内容を中心に、アートについて広く記事にします。

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2014-02-11 18:46:57 | 日記




勝手に落としてきて言うのもなんですが「おかえりなさい。ようこそ私の元へ」

昨日は長々と書いてしまった放浪記。
本日は、長くならないように、その後記を書きたいと思います。
あ、もうハードボイルドはやめやめ。


作品+そろばんが、自由が丘駅から送られた先は、私が昨日「忘れ物センター」と書いた場所で、正確には「お忘れ物取扱所」(写真1)
地下鉄栄駅の南西改札近くです。

書類に記入した後、にこやかに手渡して下さった紙袋。
心なしかボロボロですが、戻ってまいりました長旅お疲れ様っ!m(_ _)m
(写真2)


私はその足で一路ブランカへ。
今年も個展を開かせて頂く挨拶と、正式な日程の取り決めや、DMのスケジュール等諸々事務的話はあったのですが、テツコフさんの作品を、ギャラリー担当の美名ちゃんに自慢するのが一番の目的。

ここまでの経緯をかいつまんで話たら「ミオさん最低ですね」と一蹴。
はい面目ないf^_^;

しかし、作品を観るや否や「わぁ素敵ですね☆」と誉めてくれました。
うんうん。
満足満足。(^_^)

この作品「金色の球体に向かって」は、F3号の油絵です。(写真5。3、4はその部分)

カンバス裏には柳と印され、作品サインにはTETSUYA YAMAGIとあります。
ウラジミール テツコフ180さんの本名でしょう。
さすがに「裏地見徹子怖180才」ではあるまい。「裏地見徹子腐180年」でもあるまいな。


アートスタジオのKさんは「ウィーンの画家の作品を思い出す」といわれます。
それはきっとクリムトやシーレなどのウィーン分離派やその周りの画家の雰囲気ということでしょうか?
どこか退廃的であり、作品の表情に艶やかさがあるからかかもしれません。

私はプリミティブな絵画を思い出しました。
タッチや線が子どものそれのようで、計算されていない感覚的な柔らかさを感じます。

しかし、何よりも色使いが面白い。
原色と混色のバランス、またその組み合わせの妙。
非常に「ガツン」と心に響きます。

東エツは「陶器チックだ」と、常滑出身らしいコメント。
確かにその艶と重色調の重さは、古い陶板のイメージです。


ここまで、気に入った作品との出会いは大切にしてきました。
決して裕福ではありませんが、私と作品の波長が合ったときは、できるだけ買うようにしてきました。
また1点仲間入りです。

私が作品を買う理由は3つ。
1つは、部屋に飾りインテリアとして「色んな時間をともに過ごす」ため。
そして次に、波長があった作品に「刺激をもらう」ため。
3つ目の理由は、これだけのものを作り、提供してくれた作家とギャラリーに「感謝としての代価を払う」ためです。

自分が作家だからかもしれませんが、もっとたくさんの方に「作家の作品を買う」という文化が根付いて欲しいと思います。
もちろん買わなければいけないわけじゃありませんし、作家の立場からは、観てもらえることが一番にあります。

しかし、価値観は人それぞれですが、1冊の本、1回のディナー、1枚の洋服と同じような値段で買える作品はたくさんあります。
その値段で、ほんのわずかかもしれませんが、部屋が明るくなったり、新しい雰囲気ができたりするのも、素敵だと思いませんか?

そういう文化を広めることができたらといつも思っています。

5年前に買った絵は、今の私には合いません。
でも、5年後の私とはまた合うかもしれない。
3年前に買った絵と、テツコフさんの絵を付け替えるつもりです。

そんなものだと思うのです。
長い人生、その時その時、身近で好きなものがあるのは当たり前ですから。

まずギャラリーに観に行くことから始まり、話をし、作品を手に取る。
もし本当に気になって、飾ってみたくなったら、一度買ってみませんか?

その時大切なことは…


作品をどこかに忘れてこないことです。


おあとがよろしいようで。
m(_ _)m



※二日に渡りお付き合いくださり有り難うございます。
よろしければ、写真の作品のご感想をください。
それも楽しみのひとつです。

ミッドナイト ランブラー

2014-02-10 17:31:35 | 日記

『年に一度くらいはこんな夜がある…』


目覚めたのはメトロの駅。正確にいえば駅の床だ。
床から見上げ微かに「自由が丘」の文字が目に入り、次の記憶は砂田橋のマックスバリューに飛ぶ。

東エツが本山で降りたのが10時前、俺はまだ、そこまではテツコフの絵を持っていたことが判明。
そのときの俺は、まさか5分後に自由が丘に降りるとは、夢にも思っていないはずだ。
夢をみたのはそのあとだ。
もっとも、夢をみようがみまいが、何にも覚えちゃいないんだが。

同時刻、東エツの妻、えいごのせ○せーは、レセプションで意気投合した、マリリン・マンソンと、ヤン・シュバンクマイエル好きの画家とカラオケに行ったことも判明したが、これはこの話に直接関係はない。


俺が最後にワインを口にしたのはいつだったか。
確か去年のゴールデンウイークだったと思うが、自分で作った「ビール以外のアルコールは飲まない」というルールは、9ヵ月で破られた。
そして昨日から「チャンポンはしない」に掟は都合よく書き替えられた。


久しぶりに飲んだワイン。
恐らく血液と入れ替わるくらい飲んだ赤ワインのせいで、また危うく即身仏になりかけたわけだが、まだ辛うじて生きている。
それにしても、この胃もたれと胸焼けは、俺が「生きている」と実感するには十分すぎる苦痛だ。


何度もいうが、レセプション会場に妻を残してきた東エツと、歩いた夜道を俺は全く覚えていない。
だが、確実に俺たちは妙音通駅にたどり着き、メトロで街の腹を北に走り、奴は本山で、俺は自由が丘で降りた。

何故だ?
俺は、ハイソな響きをもつ「自由が丘」の駅にも街にも特に馴染みはない。

なのにそこで降り、たっぷり2時間は床にひれ伏し、手の平を真っ黒に汚した。
そして、こいつは推測だが、俺を起こした駅員か誰かに「もう電車はない」と言われ、歩き始めたのだろう。

そうだ。
俺は極寒の中を歩きはじめた。

タクシーくらいすぐ捕まると高をくくっていたが、深夜1時を過ぎた街には、流しはいない。

仕方なく個人的タクシーを呼ぼうとしたが、運転手がインフルエンザだと思い出したと同時に、携帯がないことに気がついた。

ほんの少し酔いが覚めたのが、マックスバリューの公衆電話の前だったってわけだ。

俺はランブリングを決め込んだ。

砂田橋からゆとりーとラインの下をひたすら歩いた。
永遠とはこの時間を言う。

振り返るのも面倒で、背後から車の音が聞こえるたびに手を上げた。
それに反応したのは田舎のヤンキーだ。

「ジジイ、ふらふら歩いてんじゃねぇぞ」

今更ジジイと言われることには腹はたたないが、ふらふらとはどういうことだ?
俺はシャキッとしていたはずだ。

「乗せてくれるのか?」
「金払えばな」
どうやら二人組みのタクシーだったようだ。
「助かる。でも吐くぞ?」
「あん?」
「あんじゃない。ゲロだ。絶対とはいわないが十中八九、吐く」
「…」
「シャレじゃない」

冴えていた。まだ少し酔っている証拠だった。

3人目がいた。
黒いガラスの後部座席で「頭おかしいしょぼくれはほっとけ。酔っ払いはくせーぞ」と声がした。

何?
俺は頭はおかしいが、お前が言うほど酔ってはいないはずだ。
だがくせーのは間違いない。

ヤンキーを見送りながら、近頃のワカゾーの礼儀知らずを嘆くと同時に、自分がワカゾーだった頃、やっぱり酔って、ヤンキーの逆鱗に触れた時、東エツに丸く収めてもらったことを思い出した。

確かにあの頃に比べたら、俺たちはしょぼくれた。


もういい。
手を上げるのにも疲れた俺は、多分残り1時間くらいの距離を、シャキッとふらふら家まで歩くことにした。

時間は3時を過ぎていた。
テツコフの絵を持っていないことに、気づかなかったとが幸いした。
わき目もふらずにザクザク音を立てながら、リズミカルに歩く。
迷わず歩く。
気分は悪い。
でも体力はある。
むちゃくちゃ寒い。
でも足は動く。


家に着いたのは4時を回ったころだったか。
途中から、見馴染みのジョギングコースを行くことになったが、さすがに走ることはできなかった。


留守電には「今日は有り難うございました。携帯預かっておきます。紙袋の中に領収書がはいっています」とKさんの声。

おー、携帯あったか。うむ。
で、紙…袋?
領収…

「あヾ~!!!!!!!!!!!!!!!」
心の中で叫ぶ。
心の中の住人が飛び起きるような声で叫んだ。

きっとアートスタジオにあるはず。
Kさんは見えていないんだ。
そう決めてから倒れた。


明日と呼べない朝。
「もしもしKさん?テツコフ作品はそこにありますか?」
「ミオさん持って帰られましたよ」

やばい。
まだ対面していない。梱包すら解いていないん絵を…

『どっかやっちまった!』


「あんた地下鉄ではもっとったよ」東エツ。
「5時にならないとわかりません」交通局忘れ物センター。
「あいにくお客様がお尋ねのものはありませんが、見つかり次第ご連絡差し上げます」マックスバリュー砂田橋の誰か。
「いっぺん死んでこい」ミオの心。
「あんたの荷物にそろばん入っとるで」再び東エツ。
「なんでそろばん?」再びミオの心。
「ありませんでしたよ」サンクス松河橋南店の誰か。


飲んでない酒を落として割ったことはある。
昨日買ったダウンジャケットの腕に、今日タバコで穴をあけたこともある。
付き合ってくれると確かに言った女に、翌朝振られたこともあるが、開きもしていない絵を落としたのは初めてだった。


「ダイショック」
die。 shock。

とりあえず携帯を取りに向かうことにした。
昨日歩いた道を車で走る。

Kさんは、ギャラリーがお休みにも関わらず開けて待っていてくれた。

「ミオさん、やっぱりないですね」
携帯を受け取りながら肩が落ちる音がした。。

「有り難うございました。お世話かけました」
足を引きずる。
肩が落ち足を引きずるなんてもはや人間の姿ではない。

アートスタジオを後にして、俺ができることはもうなかった。
あまりに痛い代償だ。
ツケは払ってきたはずだったが、まだまだあった人生を恨みかけたそのとき、立て続けにメールがきた。

「7千万円振り込みました」

嘘つけ。

「昨日はカラオケにいったよー楽しかったよー」

俺も楽しかったと言いたいもんだ。

何か忘れていないか?

初めから整理した。
自由が丘で寝てしまった。そこでの記憶は文字の映像しかない…

ん?
待てよ。
電車に忘れたんじゃなくて、自由が丘の駅に置いてきたと何故考えなかったんだ?
慌てて電話番号を調べて、自由が丘駅に電話をかけた。

名を名乗るまでの決まり文句がやたらと長い。
しかも伴君は、渡辺陽一よりゆっくりしゃべる。
「お調べします」というまで指を巻ながら聞いた。

そして長い時間またされた。
伴君は動きも遅いのか?
仕事も遅いのか伴?
電話の向こうの知らない人間に悪態をつく。

「お待たせしました」
結論を言うまでぐるぐる巻いた。
早くしゃべりやがれ!
指の回転はマックス!
虎がバターになるくらいのスピードで巻いた。


「○○○○○ありました」


あ・り・ま・し・た・?

持ち手が麻紐の茶色い紙袋の中にプチプチとブラバンで梱包されたキャンパスのウラジミールテツコフ180の絵画作品と何故かそろばんが本当にあったのか!?伴君?

伴君は忘れ物センターに取りにいく手順を益々ゆっくり話したが、俺は指を巻かずに聞いた。

妙にこのスローテンポが心地よい。

有り難う伴君。
慌てる乞食はもらいが少ない。だよな。

Kさんと東エツ、えいごのせ○せーにメールした。
ついでにインフルエンザでレセプションを休んだ鳥居ちゃんにも電話だ。


二日酔いだ。
足の痛みは尋常じゃない。
クラークスは長く歩くには向いていないことを証明した。
でもなんとも爽やかな気分になった。

携帯も絵も出てきた。
とりあえずこんな嬉しいことはないとさえ思う。

「結果オーライ」
えいごのせ○せーの言葉を頭で反芻した。



※本日はハードボイルドタッチな演出のため、汚い表現や、不愉快な描写もあったかもしれませんが 、多目に見てくださいませ。
またテツコフさん。呼び捨てにしてごめんなさい。作品大切にします。
m(_ _)m

写真はパーティーの部屋AとB
Aの部屋は松雄先生が大学のように講義。Bの部屋はえいごのせ○せーが腐った世の中に抗議。

一年

2014-02-04 23:21:17 | 日記
やっと一年。

もう一年。

まだ一年。

たかが一年。

でも一年。

これで一年。

いつのまにか一年。



されど…一年。


長くて短い一年でした。

これを区切りに、金輪際記事にはしません。

胸のうちにしまうことにしましょう。

そして。


前に進もう。

奇談

2014-01-27 22:25:18 | 日記
確か年長さんだった坊やとの会話。


「せんせー。おんなたらしってみたことある?」

「は…?」

あまりにも突然&突拍子もない振りに、私は展開が読めませんでした。

「なにそれ?みたらしかよっ!」

小学生が、年相応のすこぶる真っ当なツッコミを入れますが、私は、まだ読めぬ展開に、笑う余裕がない始末。

「ちげーよ。よーかいだよ」

よーかい?
妖怪?

「ふーん。しらなーい」

自信満々妖怪説を説く坊やに対して、小学生からナイスなツッコミはもう出ません。

「ねぇせんせーしってる?ってばぁ」

「あ、い、いや。せんせーも知らないけど、そんな妖怪がいるんだ?」

「うん。ままがいってた」

「へ、へぇ…」

ママが…か…

「でね、ぱぱはよーかいおんなたらしがからだにはいっちゃったのかもしれないんだって」

読めないどころか、意外すぎる展開に言葉を失った私。

「おまえのとーちゃん大変じゃん!どーすんの?」

小学生の悪意ない真顔の質問が、言葉を忘れた私の助け舟となって、会話を持っていきました。
私はしばらく見守ることに。

「だいじょうぶ。ぱぱはよーかいをからだからだして、やっつけてもらうためににゅういんしてるもん。」

「にゅういん~?とうちゃんお仕事は?」

「やすんでる」

「お金どーすんだよ?」

「だいじょうぶ。いっぱいあるから」

「いっぱいって一億万円あるのかよ」

「あるよ」

「うそつけっ」

「うそじゃないもん!」


見守る限界です。

「はいはい(パンパン!)そのくらいにしておわりおわり。絵は描けたの?まだじゃんか。頑張って描かなきゃ」

「…はぁ~い」

素直な子どもたち。

ですが、何が終わりなんでしょうか?
言っておいて何ですが、気になって仕方なかったんですけど。
(・_・;)

お父さん帰ってきたのでしょうか?
妖怪は抜け出したんでしょうか?
ママは?

『いったい何だったんだっ!』


これは、昨年夏休み1日体験にのみやってきた坊やとの一幕で、実は今、名前も顔もほとんど出てこないのです。
しかし、たった2時間弱の授業での交わりでしたが、強い印象だけが残ったこの出来事を、突然思い出したのは、大好きなラジオ番組のおかげ。

「新・日曜名作座」
かつては森繁久弥さんと、加藤道子さんが「日曜名作座」としてやっていましたが、今は、西田敏行さんと竹下景子さんが、完璧に聴かせてくれます。

この名作座は、短編小説朗読番組です。
日曜日夜。
聴けるタイミングがあれば、必ず聴いています。
そして、昨日の番組の中で読まれた話が「女たらし」というタイルだったのです。

顔も名前も出てこない坊やが残した鮮烈な印象の奇談。
もしかしたら、その坊やこそが妖…

真冬に真夏の夢のようなお話しでした。



私は、女たらしに何度かお目にかかったことがありますが、ある意味「拐かしの術」をうまく使う妖怪なのかもしれません。


女性の皆さん。
ご注意ください。

昨年の今日

2014-01-20 17:52:49 | 日記
昨年の今日。
1月20日に、煙草をやめました。

昨年の明日。
1月21日に、再び吸わないための、禁煙外来が始まりました。

昨年の今頃、親友は元気に生きていて、
昨年の2週間後に、親友は突然死にました。


遠い昔のことのようです。
まるで昨日の出来事のようです。


昨年の今頃は、マンションエントランスの、作品制作の打ち合わせを、親友と繰り返していました。

昨年の今頃は、春からの新講座のために、新しい先生たちと親友と、打ち合わせを繰り返していました。

結局、マンションエントランスは、一人で全部決めて、一人でプレゼンテーションし、一人でお金を頂きました。

結局、新講座の話はなくなり、それどころか教室の規模を縮小し、夏の終わりには、大好きな場所を出ていくことになりました。


遠い昔のことのようです。
まるで昨日のことのようです。


昨年の今日は日曜日で、特別講習をやっていました。

昨年の今日、特別講習をやっていた生徒たちは、もうすぐ大学2年生になれそうです。

昨年の今頃は、打ち合わせすらしていなかった、秋のグループ展もとっくに終わり、そろそろ二回目のことを考え始めねばなりません。

昨年の今日描いていた作品は、梅雨時の個展で発表し、Aさんに買われ、Aさんのお宅に飾られ、Aさんは、その後海外転勤になり、日本に残された作品を、Aさんはきっと忘れています。

昨年の今頃、私はパニック障害を患っていませんでした。

昨年の今頃は、ウォーキングもジョギングもしていませんでした。


遠い昔のことのようです。
まるで昨日の出来事のようです。


昨年の今頃、毎週会っていた生徒も、今はいません。

昨年の今頃、見ず知らずだったあの子も、あの人も、絵が上手になりました。

昨年の今日、私はロン毛でちょんまげでした。

昨年の今日より、確実に脂が抜け、新聞がめくり辛くなりました。

昨年の今頃より、老眼が進みました。


遠い昔のことのようです。
まるで昨日の出来事のようです。


まだ煙草を吸う夢を見ますし、まだ親友の夢もみます。

夢のいくつかは諦め、新しい夢ができました。

昨年より大きくなった夢を叶えるために、MちゃんやCちゃんが受けて終わったセンター試験はどうだったんだろう?

昨年の今頃は知らなかったことを、今はたくさん知っています。

その変わり、忘れたいこともたくさん増えました。

昨年の今頃親友は、春の初個展のために、苦しみながら制作していました。

昨年の今頃、鳥居さんは、まだグラースで個展を開いていません。


遠い昔のことのようです。
まるで昨日の出来事のようです。


昨年の今頃は、45才としばらくでしたが、今は47才になる想像がつきます。

昨年の今日は、そこに猫がいましたが、今はただのひだまりです。


遠い昔のことのようです。
まるで昨日の出来事のようです。


本当に一年はあっと言う間でも、いろんなものがなくなり、いろんなものを生み出すのです。

なくなったもののために空気は変わり、生み出したものが空気を変えているとは思うのですが、毎日空を見ていると、何も変わらないと思えます。

人類の誕生が、大晦日の23時だということもうなづけます。
もちろん地球の誕生を一年になぞらえて。

今日を具に覚えておくことは難しいでしょうが、来年の今頃、昨年の今日を振り返り、私は何を思うのでしょう。

そんなことを思ったら、絵を描きたくなりました。


『昨年の今日、私はあの絵を描きました』


そんな風に来年の今日、私が私を振り返るのです。

私は私を覚えておくのです。



※このカリン酒は、一年後の私の風邪を緩和するために、じっくり眠っています。