「お父さんの呂律が回っていない、つまずいた」と母親から電話があり、脳梗塞を疑って、父親を病院に担ぎ込んだのが、先週金曜日の朝8時でしたから、今朝でちょうど一週間になります。
高血圧+糖尿病+酒好き+煙草好き+夜更かし大好き+運動嫌い…。
父はそんな誇らしい立派な脳梗塞予備軍代表キャプテンだったわけですから、私にはこの事態が意外でもなんでもないわけですが、足し算の正解が嬉しい息子はきっとこの世の中、どこを探してもいません。
しかし、それなりに激変した生活を受け入れながら、今は気楽なサポートに徹しています。
気楽という言葉に「?」と思われるかもしれませんが、たまたま5日の休みが手に入ったこともあり、毎朝同じ時間にリハビリを見学し、お決まりのスポーツ新聞を渡し、病室に戻ってつまらない話をするのが役目になっていた訳ですから、やっぱりこれは、お気楽な話です。
今後もそれに近い役割は続き、今朝は松坂大輔のソフトバンク移籍や、可愛らしい言語リハビリの先生、楽しみにしていた動物園遠足の引率ができなくなった、なんて話から、様々な「言葉」を、適当に引き出しました。
これも大切なリハビリとのこと。
(^_^)v
この一週間の間に、障害の底とリハビリの希望が見えました。
ゆっくり降り着いた深海、暗闇の底は、左半身麻痺と言語障害でしたが、見上げた海面、薄青い希望の光は、左足の回復による自力杖歩行と、聞き返されないくらいの会話の成立。これでした。
71才が若いのか若くないかはわかりませんが、いくつになっても、目標ができた人間には生命力が宿り、生きて命がある前では、障害は大きな問題ではない。
決して強がりではなく、私はそう思いました。
これで不良親父が真面目になって、きっと寿命も延びるんだろうな。
そんな父親にとって、私は看護師さんに自慢の息子。
いかにこれまでの人生、自慢できるものを残してこなかったのかがよくわかるエピソードですね(笑)
f^_^;
「こいつはね、今は売れてないけどいい絵を描くんだよ」
「長いこと子供をたくさん教えていて…」
はい。
確かに売れてません。
それに、いい絵を描いているつもりですし、リハビリの担当者が教え子でした。
公募展の、運送会社代理直接搬入担当が、教え子だった以来の偶然です。
今朝は言語リハビリの先生と初めてお会いしました。
確かに可愛い。
(*^^*)
「お話はかねがね聞かせてもらっています」
そんな息子に自慢の先生が、律儀に挨拶してくれる仕草を、でれっと眺めるジジイは、もう2、3本詰まってもきっと大丈夫。
この記事は、このブログを読んでくれている、父をよく知る人たちのために書きました。
特に私の友人たちに。
我が家は昔から友人が集う家でした。
それは私がいなくても。
「おかえり」やら「お客さんきたよ」と私を迎える友人。
「おばさんご馳走さん。俺帰るからお前ここ座れ」とすれ違う友人。
母の手料理を父が振る舞うような家でした。
僕より先に彼女を紹介し、生まれた子を連れていきます。
年賀状も僕より両親に。
そうそう、親父同士を対面させようと飲みにいって、並んでシャンソン歌う親父と友人の親父、なんてのもありました。
そんな家、そんな親父でしたから記事にしました。
もう書きません。
連絡した人。
ざっとこんな感じです。
初めて知った人。
大丈夫です。
あとは落ち着いたらまた、遊びにきてやってください。
酒抜きですが、君たちの笑顔がきっと最高の薬です。
いつものように、私に連絡はいりませんから。
m(_ _)m
高血圧+糖尿病+酒好き+煙草好き+夜更かし大好き+運動嫌い…。
父はそんな誇らしい立派な脳梗塞予備軍代表キャプテンだったわけですから、私にはこの事態が意外でもなんでもないわけですが、足し算の正解が嬉しい息子はきっとこの世の中、どこを探してもいません。
しかし、それなりに激変した生活を受け入れながら、今は気楽なサポートに徹しています。
気楽という言葉に「?」と思われるかもしれませんが、たまたま5日の休みが手に入ったこともあり、毎朝同じ時間にリハビリを見学し、お決まりのスポーツ新聞を渡し、病室に戻ってつまらない話をするのが役目になっていた訳ですから、やっぱりこれは、お気楽な話です。
今後もそれに近い役割は続き、今朝は松坂大輔のソフトバンク移籍や、可愛らしい言語リハビリの先生、楽しみにしていた動物園遠足の引率ができなくなった、なんて話から、様々な「言葉」を、適当に引き出しました。
これも大切なリハビリとのこと。
(^_^)v
この一週間の間に、障害の底とリハビリの希望が見えました。
ゆっくり降り着いた深海、暗闇の底は、左半身麻痺と言語障害でしたが、見上げた海面、薄青い希望の光は、左足の回復による自力杖歩行と、聞き返されないくらいの会話の成立。これでした。
71才が若いのか若くないかはわかりませんが、いくつになっても、目標ができた人間には生命力が宿り、生きて命がある前では、障害は大きな問題ではない。
決して強がりではなく、私はそう思いました。
これで不良親父が真面目になって、きっと寿命も延びるんだろうな。
そんな父親にとって、私は看護師さんに自慢の息子。
いかにこれまでの人生、自慢できるものを残してこなかったのかがよくわかるエピソードですね(笑)
f^_^;
「こいつはね、今は売れてないけどいい絵を描くんだよ」
「長いこと子供をたくさん教えていて…」
はい。
確かに売れてません。
それに、いい絵を描いているつもりですし、リハビリの担当者が教え子でした。
公募展の、運送会社代理直接搬入担当が、教え子だった以来の偶然です。
今朝は言語リハビリの先生と初めてお会いしました。
確かに可愛い。
(*^^*)
「お話はかねがね聞かせてもらっています」
そんな息子に自慢の先生が、律儀に挨拶してくれる仕草を、でれっと眺めるジジイは、もう2、3本詰まってもきっと大丈夫。
この記事は、このブログを読んでくれている、父をよく知る人たちのために書きました。
特に私の友人たちに。
我が家は昔から友人が集う家でした。
それは私がいなくても。
「おかえり」やら「お客さんきたよ」と私を迎える友人。
「おばさんご馳走さん。俺帰るからお前ここ座れ」とすれ違う友人。
母の手料理を父が振る舞うような家でした。
僕より先に彼女を紹介し、生まれた子を連れていきます。
年賀状も僕より両親に。
そうそう、親父同士を対面させようと飲みにいって、並んでシャンソン歌う親父と友人の親父、なんてのもありました。
そんな家、そんな親父でしたから記事にしました。
もう書きません。
連絡した人。
ざっとこんな感じです。
初めて知った人。
大丈夫です。
あとは落ち着いたらまた、遊びにきてやってください。
酒抜きですが、君たちの笑顔がきっと最高の薬です。
いつものように、私に連絡はいりませんから。
m(_ _)m