『for beautiful human life』
ニュアンスとしては『日常生活における美意識を問う』という感じでしょうか。
『美しき日常を装うにはアートを。あなたにこれが飾れますか?』が正解ですが。
一般家庭にあり、アートは身近な存在ではありません。
しかし、これからアートは茶の間やリビングに近づかねばなるまい。
ただしそれは間違っても迎合することではなく。
所望する方の美意識を育てずして敷居は外せない。
傲慢ですが、そのプライドは捨てるべきではないのです。
そこから始まるこの企画。
そしてこれは電波の中や、雲の上のアートの話しではなく、その世界の根元にはびこるものたちの話。
作り続ける者たちの話です。
本来彼らは力があるのです。
純粋であり、どこまでも悩み、深く潜り込んでその在処を探し、みつけたものを持っている。
しかしそれは、己の心の奥底の、無限という名の闇に似た箱の中に、諸々の現実や葛藤、妥協とともに綯い交ぜにされて、しまわれているのかもしれません。
それを小出しにしている者がいて、それを封印するものがいて、それを無かったことにする者が、消化し納得しようとするものが、彼らの中には埋もれるほどいるのです。
それぞれが言い訳を携えて。
そんな美しき輩たち。
ひとくせとプライドを隠し持った、臆病な皮肉屋たちが、私は大好きです。
彼らは若かりしころの勇気やわがまま、無謀を知っています。
紆余曲折した経験と、それによる知恵を持っています。
技と誇りを持っています。
生きる意味も知っていて、アートを誰より達観する目を持っている。
そんな技と知恵と経験がある臆病な強者が、ちょっと集まったらどうなるでしょう?
アートと日常の距離を縮めながら、きちんと敷居を作ってくれるはず。
リビングに近づきながら『飾れるものなら飾ってみたらいい』とニヤリとしながら作品で問うでしょう。
意識しすぎたわがままな空間を、軽く排除してくれるでしょう。
「つまらない」と「面白い」のぎりぎりの境目にモノを置けるのは、彼らしかいない。
「おうちに帰って考えて」と作品で語れるのは彼らしかいないのです。
私は彼らが今、一番面白いと思う。
彼らは真ん中にいます。
中心ではなく真ん中に。
年齢も存在も。
私は彼らの面白味に気づいたと同時に、自分も彼らの仲間であることに気がつきました。
やってみるしかないでしょう。
「ミオさんが思うならきっと面白いでしょ。好きにやっちゃってください」
こんな私のわがままを聞く度量があるギャラリーは、一つしかありません。
ハートフィールドギャラリーです。
上述の言葉はオーナー園部さんによるもの。
はっきり言って、現代アートを中心に展示が行われるギャラリーには、タブーでしかないものが活路であり看板となる展覧会です。
観に来て下さる方に、最も説明できない展覧会になるに違いない。
でも、これをわかって下さるのは園部さんだけ。
その園部さんのゴーが出た時に…
「for beautiful human life」は動きはじめました。
時期は来年11月。
見てろよ若僧。
本物の間抜けを見せてやる。
間が抜けた場所にこそ美があることを教えてあげよう。
ここでメンバーの簡単な条件を。
◆ナカムラミオが認める
◆35才以上
◆ハートフィールド作家ではない
◆頑固
◆技
◆経験
◆知性
本日は東濃へ行ってきました。
この企画が降って湧いた時、一番始めに思い浮かんだ男に会いに。
彼はこの話をした途端…
「埋もれ人ですね」と笑いました。
言い難いですが、その側面は大いにある。
今考えているメンバーの中で、勘と頭の良さ、口の巧さはTadasceneと双璧であろう彼の名は小平健一。41才。まであと4日。
某有名六大学分の1を卒業後、陶器商社に勤務するも作り手を目指し退社。
その後、今をときめく陶芸家を多数排出する「多治見市陶磁器意匠研究所」を優秀な成績で卒業するが、己の生き方を模索しながら「そちら」ではない方に生き甲斐をみつけ「人を前に土で作るものは同じだ」と言ってのける男。
でも私は彼の「キセル」を知っています。
陶芸の世界ではわかりませんが、アートの世界では間違いなく評価される作品を知っているのです。
まさにこの企画にうってつけの彼が「面白いね」と続けた言葉が返事でした。
また一つパズルのピースが埋まったことに感動したのではなく、量が多すぎて、生まれて初めてパックに詰めて、唐揚げを持ち帰る泣きながらの車中、膨満感とは少し違う満足がこみ上げてきました。
こうやって「実はすごくおもしろい!」やつらを今、一人ずつ口説いています。
心辺りがある方。
次はあなたにメールが届くかもしれません。
「久しぶり。僕と一緒に銀行襲ってみませんか?」
なんて前振りで。
※写真は小平健一君。一見坂口憲二並みのナイスなガイですが、ただのイケメンはこんな車には乗りません。
私は彼も車も大好きです。
また本日の記事も偉そうな記述満載ですが、毎度お馴染み~と冠せずをお許しください。
ニュアンスとしては『日常生活における美意識を問う』という感じでしょうか。
『美しき日常を装うにはアートを。あなたにこれが飾れますか?』が正解ですが。
一般家庭にあり、アートは身近な存在ではありません。
しかし、これからアートは茶の間やリビングに近づかねばなるまい。
ただしそれは間違っても迎合することではなく。
所望する方の美意識を育てずして敷居は外せない。
傲慢ですが、そのプライドは捨てるべきではないのです。
そこから始まるこの企画。
そしてこれは電波の中や、雲の上のアートの話しではなく、その世界の根元にはびこるものたちの話。
作り続ける者たちの話です。
本来彼らは力があるのです。
純粋であり、どこまでも悩み、深く潜り込んでその在処を探し、みつけたものを持っている。
しかしそれは、己の心の奥底の、無限という名の闇に似た箱の中に、諸々の現実や葛藤、妥協とともに綯い交ぜにされて、しまわれているのかもしれません。
それを小出しにしている者がいて、それを封印するものがいて、それを無かったことにする者が、消化し納得しようとするものが、彼らの中には埋もれるほどいるのです。
それぞれが言い訳を携えて。
そんな美しき輩たち。
ひとくせとプライドを隠し持った、臆病な皮肉屋たちが、私は大好きです。
彼らは若かりしころの勇気やわがまま、無謀を知っています。
紆余曲折した経験と、それによる知恵を持っています。
技と誇りを持っています。
生きる意味も知っていて、アートを誰より達観する目を持っている。
そんな技と知恵と経験がある臆病な強者が、ちょっと集まったらどうなるでしょう?
アートと日常の距離を縮めながら、きちんと敷居を作ってくれるはず。
リビングに近づきながら『飾れるものなら飾ってみたらいい』とニヤリとしながら作品で問うでしょう。
意識しすぎたわがままな空間を、軽く排除してくれるでしょう。
「つまらない」と「面白い」のぎりぎりの境目にモノを置けるのは、彼らしかいない。
「おうちに帰って考えて」と作品で語れるのは彼らしかいないのです。
私は彼らが今、一番面白いと思う。
彼らは真ん中にいます。
中心ではなく真ん中に。
年齢も存在も。
私は彼らの面白味に気づいたと同時に、自分も彼らの仲間であることに気がつきました。
やってみるしかないでしょう。
「ミオさんが思うならきっと面白いでしょ。好きにやっちゃってください」
こんな私のわがままを聞く度量があるギャラリーは、一つしかありません。
ハートフィールドギャラリーです。
上述の言葉はオーナー園部さんによるもの。
はっきり言って、現代アートを中心に展示が行われるギャラリーには、タブーでしかないものが活路であり看板となる展覧会です。
観に来て下さる方に、最も説明できない展覧会になるに違いない。
でも、これをわかって下さるのは園部さんだけ。
その園部さんのゴーが出た時に…
「for beautiful human life」は動きはじめました。
時期は来年11月。
見てろよ若僧。
本物の間抜けを見せてやる。
間が抜けた場所にこそ美があることを教えてあげよう。
ここでメンバーの簡単な条件を。
◆ナカムラミオが認める
◆35才以上
◆ハートフィールド作家ではない
◆頑固
◆技
◆経験
◆知性
本日は東濃へ行ってきました。
この企画が降って湧いた時、一番始めに思い浮かんだ男に会いに。
彼はこの話をした途端…
「埋もれ人ですね」と笑いました。
言い難いですが、その側面は大いにある。
今考えているメンバーの中で、勘と頭の良さ、口の巧さはTadasceneと双璧であろう彼の名は小平健一。41才。まであと4日。
某有名六大学分の1を卒業後、陶器商社に勤務するも作り手を目指し退社。
その後、今をときめく陶芸家を多数排出する「多治見市陶磁器意匠研究所」を優秀な成績で卒業するが、己の生き方を模索しながら「そちら」ではない方に生き甲斐をみつけ「人を前に土で作るものは同じだ」と言ってのける男。
でも私は彼の「キセル」を知っています。
陶芸の世界ではわかりませんが、アートの世界では間違いなく評価される作品を知っているのです。
まさにこの企画にうってつけの彼が「面白いね」と続けた言葉が返事でした。
また一つパズルのピースが埋まったことに感動したのではなく、量が多すぎて、生まれて初めてパックに詰めて、唐揚げを持ち帰る泣きながらの車中、膨満感とは少し違う満足がこみ上げてきました。
こうやって「実はすごくおもしろい!」やつらを今、一人ずつ口説いています。
心辺りがある方。
次はあなたにメールが届くかもしれません。
「久しぶり。僕と一緒に銀行襲ってみませんか?」
なんて前振りで。
※写真は小平健一君。一見坂口憲二並みのナイスなガイですが、ただのイケメンはこんな車には乗りません。
私は彼も車も大好きです。
また本日の記事も偉そうな記述満載ですが、毎度お馴染み~と冠せずをお許しください。