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春日井市の絵画教室、あとりえPOPアートスクールの教室風景や内容を中心に、アートについて広く記事にします。

千切り&貼り

2012-05-31 07:57:09 | 教室のこと(子供造形絵画)




「たまには腰据えてじっくり作ろうか!」

ひょんな会話からこの授業が始まりました。

犬山中日文化センター子供造形美術高学年コース

これまでの経験上、このようなカリキュラムはまず、あり得ません。
いかに楽しい授業を目白押すかが勝負であり、売りの民間カルチャースクール講座。

「でもなぁ。そればっかりじゃなぁ…」

と、常日頃思っていたのですが、郷にいれば郷に従わずを得ない雇われの身。
わだかまりは沸々としていたのです。

しかし、偶然も必然も重なったこの講座にチャンス到来。

◆話し合いで授業を決める雰囲気ができた。
◆高学年がかたまり、集中力が増してきた。
◆みんな挑戦に植えていた。
◆お母さん方が信頼し、後押ししてくれている。

などの条件が重なりました。

「やってしまおう!」
みんなもノリノリです!

毎月第3週に、翌月の予定表を渡すのですが、5月の予定表は―

『千切り&貼り絵~できるまで』
これ1行。

書きながら迷いましたが「えいっ!」と、これを提出。

………………………

(事務所と私の会話)

事:「…大丈夫ですか?」

私:「はい!」

事「途中入会どうします?」

私「な、なんとかします…」

事「入会希望者がきたら、これ見て(予定表)引きません?」

私「な、な、なんとか…するってば!です」

ここで引き下がったらいけない!

私頭:「つべこべ口挟むんじゃない」
風に―

私頭「お・ま・か・せ・あ・れ!」
っぽく―

私「責任とりますよ」
と言い切って通しましたよ。

時は流れて………………………………

5月の4回の授業が終わり…これです…(写真)


5月終わってまだ半分かい!
(大丈夫ですか?ですか?ですか♪…ですか♪♪…事務の言葉がチラつきます)

腰据えてじっくり作ろうか~。
とは言ったものの、みんな…やれやれ。
一週伸ばしてもらった6月の予定表提出に、頭を悩ます私をよそに、

ゆうた:「夏休み終わりまでには完成するわ」

はぁ…

もう好きにしな。

一応6月の予定は作ったからさ。
貼り絵終わった子から通常授業な。
好きなだけやり切りたまえ!


50㎝×40㎝のダンボールに、考えた下絵を描いて、細かく千切り絵。根気よく貼り絵。
たったそれだけ。

でもね。
これも必要なんですよ。

完成したら絶対記念になると思います。
単純ですが、なかなか学校や家ではできませんよ。

そんな事をやらせてあげられたことが嬉しい(自己・満・足)
みんなも嬉しい(はず)
お母さんも喜んでいる(はず)

単調な授業でも、飽きずに投げずに頑張る君たちの姿が眩しい。
みんなすごいな!

いつかブログで結果報告します!

って、いったいいつだ?



※写真は途中経過な作品たち。
感性だけじゃない。 これも大切な授業です!
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絵手紙ではないんです

2012-05-30 18:45:40 | 教室のこと(一般絵画)



オールラウンド絵画教室高蔵寺の授業がありました。

本日は「葉書に絵を描く」

水彩紙葉書を、粗目、中目、細目と取り揃えました。

皆様には、それら葉書に「玉ねぎ、ピーマン、ミニトマト」を、好きなように描いていただきます。
しかし、ここに条件をひとつ与えました。

「絵手紙にはしない」

これはどういう意味でしょうか?

はい。お答えします。

◆文字に頼らないこと(文字を入れるなら文字もモチーフと捉える)
◆間を考えること(モチーフのみを大きく描かないこと)
◆輪郭ありきにしないこと(青墨等、黒のラインで勢いを出さないこと)
◆色にこだわること(瞬間芸術にはしないこと)
などがあげられます。

オールラウンド絵画教室は、文字通り絵画の教室ですから、例え葉書に描いても、しっかりと絵でみせる。

とはいえ、出来あがった作品を、どなたかに送って頂くのは自由です。

今や文化として確立された絵手紙とは一線を画し、あえて皆様が普段訓練されてきたことを葉書に表現する。


さて。その結果…

やっぱりオールラウンド絵画教室高蔵寺らしい作品が続々誕生。

吸い込みの良し悪しを試し、小さいならではの表現を探し、現れた作品は、オリジナリティ満載。

また発見。また進歩。

この経験が、これからの制作のヒントになってくれたら嬉しいです。


授業は生き物です。 今回の授業をやるまでは、次回の予定がありましたが変更します。

まだまだ実験的には消化不良な様子。
ならば次回も葉書。 但し。
野菜や果物はやめましょう。

「え?こんなものを絵にするんですか?」

なんて言わせてみましょうか(笑)

皆様の挑戦意欲を逆手にとって、モチーフを選んできます。 これは最後に告知した通りです。

帰り際、Kさんがひとこと耳打ちしてくださいました。

「そのほうが、面白いものが出てくるかもね。ここの教室は」

さすが。
わかっていらっしゃる。
私もそう思います。

皆様乞うご期待!


※写真は制作風景と講評。
油絵制作の四名は、継続中の紫陽花でした。
熱気ムンムンです(笑)
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Bolero

2012-05-29 10:13:17 | 作家活動の記録




写真はある作品の極一部。展覧会のイメージではありません。
………………………

例えば、ラヴェルのボレロが終わる瞬間に、指揮者が「ジャン!」でシメる様子をイメージして頂けますでしょうか。

♪ダン・タダダダン・ ダダダダン・ダダダダン・ダン…
人生楽ありゃ苦もありますが、これは水戸黄門のテーマではありません。

終始単調なリズムが繰り返されるボレロ。
しかし、その中で少しずつ熱を帯び、ジワジワ聴く側のテンションが上がります。
そして最後は溢れんばかりの高揚感に包まれて終わる―
「ジャン!」

昨年末のジルベスタコンサート。
金聖響指揮によるボレロで年を越してからというもの、今年はボレロがよく頭を回ります。


作品が前に並んでいます。

これを早朝から眺めて3時間。

「ボレロが流れます」

1点ずつと対話をします。
一見集団面接の様相。
頭の中で静かにボレロが回ります…



色、カタチ、色、色…
カンバスの中の景色、空気、匂い…

「匂い」

色、カタチ、匂い、木、木、人、人…

「足りない色は?」
「この人は何を語る?」

蝋燭、聖書、鳥、鳥…
木、鳥、川、水、水…
泉、水、方舟、匂い、空気…
アシッドな色、ピンク、家、家、鍵…
ボレロ、ボレロ、水、ペールライム、パステル…

「黙示録」

ヨハネ、いのちの木、いのちの泉、筆…
色、色、蛇、道、雨…

「ここは何処だ?」

ボレロ 、正しい匂い、音…
空気、流れる、空気、ホッチキス…
飼い葉桶、階段、椅子…

描写、スクラッチ、テーブル、カンバス…
無、無、痛、残…

魚、食する魚、糧

「糧、祈り」

ボトル、カタチ、色、ボレロ…

「色」

「アルファでオメガである」

色、色、色、水、カタチ、パステル、鳥、鳥、鳥、色、木…
「Bolero」

ボレロ、光、光、音、光、光…

「すでに夜はない」

「光」

色、水、カタチ、木、光、光…
射す、満ちる、広がる、包む、潤う…



「Tree and Water」


「ジャン!」


…………………………


2012.5.29.AM

Mio.Nakamura
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搬入を前に 2

2012-05-28 14:50:55 | 作家活動の記録
搬入を早めました。
昨日まで、来週月曜日の予定でしたが、今週末土曜日に。

以前、ブランカのギャラリー担当の、伊藤美名さんから「搬入早くしてもいいですよ」と言って頂いたのを思い出し、私の希望でそうしたんです。

それに意図があるとすれば、その日の午後がたまたま休みになったことくらいでしょうか。

必然的にあと5日となった制作期間は、2日前に書いた記事の状態から、一変しました。

あと5日の間に、どうしても制作できない時間が3日あります。

すると…
個展に関して私がどうこうできるのは、実働あと2日と言うことになりますね。
単純な引き算です。
結局それは、天地がひっくり返ることも、あれこれ考えることもない時間と言っていいでしょう。

「何も起こりませんように」
そう願った通り、今現在も、精神的には何も変わっていません。
あと2日も、きっとそうでしょう。

それは逆に
「何か起きますように」
と、期待したことにも言えます。
何も起きないでしょう。

何か起きたら困る時間になった。
というのもありますが、どうやらそれだけではないようです。

朝から作品の前に座り、あれこれイメージしています。

展覧会に飾られた作品のことや、今回のテーマ「Tree and Water」について、どれだけ作品は、それをきちんと物語っているか、等。

そのように俯瞰した目を持ちながら、作品個から発せられる言葉を聞く。


作品は、自分の納得レベルに仕上がっています。

ですから「搬入を前に 1」で書いた、無のカンバスをしまいました。

これらの作品以上のものを生み出す必要も、力もないからです。


今回のテーマである「Tree and Water」について、少し触れたいと思います。

これはいわゆる「終末論」を私なりに限定的にイメージする場合のモチーフです。
限定的というのは、終末思想云々を深読みする前に、私の頭に広がる、ある特定の場所を指します。
新約聖書最後の項、ヨハネの黙示録。

そこには来るべき神の国について、また、終末について、我々クリスチャンのあり方等が啓示され書かれていますが、私はまだまだそれを紐解き、各個たる信念をもって、地上の生活を営むには至っていません 。

しかし、黙示を深く知る以前に「ある景色」が広がり続けるのです。

ある景色―

その景色を思い浮かばせる聖書の箇所はたくさんありますが、中でも特に、私のイメージを具現化させる箇所、ヨハネの黙示録22章1節2節をご紹介します。

「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座からでて、都の中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は、諸国の民をいやした。」


この箇所を読むとき、私は「いのちの木」と「いのちの水の川」を思い浮かべます。

枯れない木の木陰で休む人がいて、常に生る果実を待ち望む人がいます。

渇れない川のほとりを歩く人がいて、常に流れる水で潤う人がいます。

永遠の木は両手を広げるように生い茂り、永遠の川は、いのちの水の泉から湧きいで、いのちの水の泉へと続く―

人が育まれる最も必要で簡素なものを、私はどこまでも豊かに表したい。

宗教画ではありません。
宗教を伝える目的は、私の作品には存在しない。

ただ私は、人を育む最もシンプルな風景を描きたいと思っているのです。

黙示録によって私に与えられた「ある景色」を描ききりたいのです。


私の焦燥感をよそに、陳列された作品は、アトリエの中、私の目の前に静かに在ります。

そこに描かれたいのちの木、いのちの水、人は在るべくしてあり、在りたいように在りました。


何も起きないであろう理由は、時間がなくなったから、ばかりではなく―
「作品が私の手を離れた」
ことを意味します。

心持ちが変われば、この時間は至福の時になるのです。


※写真は、あとしばらくはこのままにされる画材。
混沌とした状態とは逆に、この前に作品があります。
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2012-05-27 21:09:22 | アート紹介
写真の作品に初めて出会ったのは、かれこれ二十数年前でしょうか―

そして、それ以来目にすることがなかった作品に、再び出会ったのは今日。

過去においても、今日においても、私が作品と何処でどのように出会ったのかを、ここで述べるつもりはありません。
ご了承ください。


突然目の前に現れた作品は、私を戸惑わせるには、十分な力を持っていました―


過去へ急ぐ、記憶をさかのぼる速さは光のごとし。

一枚の絵は、私自身が作品の前に佇んだ過去へ誘いました。

この絵を描いた作者は今、絵を描いていません。
作者は今、絵を描かなくなった理由を把握しています。


私の記憶が正しければ、作者は溢れる才能を持っていました。
私の記憶が歪んでいなければ、作者は才能を活かすことを自ら絶ったのです―


想像するに、作者は自惚れることを嫌った。

誰よりも強い力が欲しかった。

強い力が欲しかったにも関わらず、顕示欲は持ちあわせていなかった。

そして人より劣るかもしれない自分を想像したくなかった。

自分を信じ続けることにも、想いをはせられなかった。

自分を信じ続けることに関してだけは、想像力に欠けていた。

そして、やめたのではなく「封印」した。


「封印が解かれること」

そんな時が来るとは思ってもみなかった―



鮮明な記憶。
それがより鮮明になる。

より鮮明になって、私の思考は意味へと急ぐ。


「何故今現れた?」

作者も作品も。


私は偶然が好きなくせに、偶然を必然と思いたがる癖があります。

曖昧なものが好きなくせに、意味を持たせる癖があります。

作者と作品が私の前に現れたのは…

それは「偶然ではなく必然である」
「必ず意味がある」

そう思うのが私であり、私の癖です。


互いの空白の時間を、私は飽きるほど絵と対峙し、地位以外の確固たるものを得るために過ごし、作者は小さな箱を胸にしまい込み、その中に記憶と夢を詰めた。

私は、作者と再び出会いその箱を見つけ、作品と出会い、鍵のありかを知った。

鍵は私が持っていました。


この高慢な物言いに嫌悪されても構いません。

本日の記事は作者のみに語りかけています。

しかし、この作品については、作者以外の方に問いかけてみても面白いですね。

現在44才になる作者が、二十歳と少しで描いたこの作品について。

私は当時、敬愛するゴヤを思い出し、未完の大器の感覚の鋭さに、嫉妬心を燃やしたものです。


冒頭に描いた戸惑い。
それは、この鍵を作者に渡すべきかどうかではありません。
この鍵を使い、何時どのように封印されたものを解き放つかに戸惑うのです。

罠はいくつか仕掛けてみました。

ひとつ言えるのは、私は急がずこの鍵で箱を開きます。

そして、頑固は変わらずとも大人になった作者を、巧妙に仕掛けた罠にはめ込みます。

あの頃の作者が知らなかった「表現することの意義」に甘い蜜をかけて。

偶然が必然であることを証すために。



※写真の作品は、今でも新鮮にうつります。
魅力ある作品には、新しい古い、上手い下手を議論する机上は似合いません。
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