
四人目に紹介されたのはオランダのマキシマ王妃。
モナコのシャルレーヌ公妃同様、他国から嫁いできた。(日本はあと20年もしたら、外国籍の皇太子妃が誕生するかな?いや、まだずっと先かも?)生まれはアルゼンチンのブエノスアイレス。20代半ば、ニューヨークの銀行に勤務していたころ、友人主催のパーティでオランダのアレクサンダー王子と出会い、交際を始める。しかしマキシマを快く思わない人が少なからずいた。以下Wikiから一部引用する。
マキシマの父ホルヘが、軍事独裁政権であったビデラ政権の閣僚であったことが問題視されたのである。無実の市民の大量虐殺を引き起こした政権の実力者の娘と、次期王位継承者との結婚を許していいものか、もし結婚を選ぶなら王位継承権を放棄すべきだ、との世論が巻き起こった。結局、ホルヘは大量虐殺には一切関与していなかったとの結論が出された。
晴れて二人は、国民の祝福を受けて結婚できることになった。マキシマは一生懸命、オランダ語の習得に努めた。その矢先、アレクサンダー王子がビデラ政権を擁護する失言をしてしまう。オランダ国民は複雑な感情を持った。2001年、婚約記者会見を開いた二人。会場に入場しても、誰一人二人に対し敬意を表して起立しない。そんな冷ややかな雰囲気の中、会見が始まる。手を握りしめ、マスコミの厳しい質問に応じる二人。マキシマは、流暢なオランダ語で答える。アレクサンダー王子の失言について問われると「彼はちょっとおバカちゃん」と切り返し、場内の空気が一気に和んだ。それからは温かいムードの中で会見が進んでいく。
↓ 2002年2月、二人は結婚。式を執り行うにあたりオランダ国民の感情を考慮し、マキシマの父は参列しないことになった。式の途中、バンドネオンがピアソラの「さよなら、お父さん」を演奏。マキシマ自身が選曲したが、「さよならお父さん、そして祖国アルゼンチン」の想いがあっただろうか?この曲が教会に流れると、マキシマは大粒の涙を流した。
↓ 3人の娘に恵まれ、幸せな生活を送るマキシマ。
これまで見てきたどの王妃も、すんなりと現在の地位を築いたわけでない。積極的に国民の中に入っていき、喜びと苦労を分かち合い、社会的弱者には優しい手を差し伸べる。自分が国民からどういう役割を期待されているかよくわかっている、非常に頭の良い女性たちばかりである。アントワネットが今生きていたら、彼女らと交流して刺激を受けていたら、どんな王妃になっただろう?
読んでくださり、本当にありがとうございます。
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