Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

皇妃エリザベートの孫娘 (2)

2016-04-10 15:21:12 | つぶやき

 エリザベート・マリーの後半生は、名門ハプスブルク家の娘としての誇りを保ちつつ、20世紀の新しい時代に自分の生きる道を求め、10代20代とは別人のように逞しく力強いものとなっていく。

 エリザベート・マリーは、時代の流れが変わりつつあることに気づいていた。娘時代から社会民主党の機関紙を取り寄せて読んだり、党幹部と会ってその思想に触れていた。1918年、ハプスブルク帝国が崩壊。翌年、オットーが離婚訴訟を開始する。一番の焦点は4人の子どもたちの親権をどうするか。双方とも、4人全員を引き取ると言って譲らない。裁判所は最初、上の二人の子はエリザベートが、下の二人の子はオットーが親権を持てばよいと判断した。だがこれには二人とも不服を申し立てる。エリザベートは「4人全員の親権を認めないのなら、自分は自殺する。」と言い、子どもたちも皆「たとえ父の家に連れられて行っても、母のもとに戻ってくる。」と主張。だが当時はまだ父権社会の名残が強かったので、裁判所は最終的に4人の子どもの親権をオットーに与えた。

 エリザベートは、社民党の集会に出かけ、党を支持するようになる。次第に党員の一人レオポルド・ペツネックと親しくなり、政治思想のみならず、互いの境遇についても打ち明け深い仲になる。労働者階級の出身で、孤児院で育った彼は成績優秀で、師範学校卒業後は小学校教師となる。その後社民党に入党。ベツネックには妻がいた。だが結婚生活はうまくいっていなかった。こちらがベツネック。

 1921年3月21日、子どもたちがオットーに引き渡される日。エリザベートの館にオットー、警官隊、裁判所の執行吏がやってきて、子どもたちを連れて行こうとしたその時、屈強な男たちと大群衆が現れ、オットーらを取り囲む。その中には社会民主党員たちの姿もあった。彼らは「オットーの目当てはエリザベートの莫大な財産であり、子どもをまともに育てる気なんて毛頭ない。そんなやつに、子どもたちは絶対に渡せない。エリザベートさまは戦時中、われわれ恵まれない者たちに食糧やお金をくださった。今こそ恩返しする時だ。」と言い切り、エリザベートと子どもを守り抜いた。オットーらはあまりの剣幕に驚き、子どもたちを館から連れ出すことを断念。エリザベートは4人の子供全員を手元に置くことに成功した。しかしここから、エリザベートの波乱の人生第2幕が始まる。 

 1925年7月1日エリザベート、社民党に入党。マスコ ミは一斉に「赤い皇女」と書き立てる。

 1933年 ベツネックの妻、死亡  

 1944年 ベツネックはナチスによって逮捕され、ダッハウ収容所に送られる。エリザベートも検事局から取り調べを受けるが、その際「父はルドルフ皇太子、祖父はフランツ皇帝」と答えると、ゲシュタポたちが全員、起立不動の姿勢を取った。

 1945年4月 ウィーンが陥落。シェパード犬数頭と、女1人で館を守る62歳のエリザベートのもとに、ソビエト兵たちが銃剣を構えて乱入し強制退去を命じる。彼らを前に威厳をもってエリザベートは「さあ、私を撃ちなさい。」と言いながら一歩一歩進んでいく。エリザベートの様子に圧倒され、兵士たちは後ずさりする。結局彼女は殺されずに済んだが、その後ソビエト兵たちは館に居座り、上等なテーブルクロスで軍靴を拭いたり、じゅうたんを庭に出したり、傍若無人の振る舞いを続ける。じっと耐えるエリザベート。

 1945年6月 ベツネックがダッハウ収容所から戻ってくる。

 1948年   エリザベートとオットーが正式に離婚。ペツネックとエリザベート、ウィーンで入籍。 ようやく二人で幸せに暮らせるようになるが、エリザベートはリューマチに苦しむ。 

 1956年 ベツネック、心臓発作で死亡。エリザベート、車いすで生活するようになる。

 1963年 エリザベート死亡。亨年79歳。遺言で三頭のシェパードを道連れとする。そして…もう1つサプライズを残す。それはハプスブルク家伝来の家宝はすべてオーストリアに寄贈すること。美術品は美術館、蔵書は図書館、日用品は宝物館へ。邸宅はウィーン市へ。「ハプスブルク家のものはすべて、国に返す。」のが彼女の強い願いだった。もちろん身内、教会、お世話になった召使たちにも多少の遺産を分け与えた。そして今、彼女は愛するベツネックと共に、墓碑銘のない無名人墓地に眠っている。

 人生の前半と後半で、これほどまで生き方が変わる女性がいたなんて!マリー・アントワネットがもしギロチンにかけられなかったら、エリザベート・マリーのような生き方ができたかもしれない。池田先生は高校時代、ツヴァイク著「マリー・アントワネット」を読んで感動し漫画家になった時、彼女の生涯を描こうとした。現代の漫画家さんの中で、歴史ものを描きたいと考えている人はいるだろうか?歴史漫画を描ける人を育てようとする編集者はいるだろうか?時々買う「マーガレット」を読んでいると、何だかどれも似たような画風で、日常風景を描いているような気がして寂しい。あ~ぁ、年を取ってしまったなぁ。

 読んでくださり、ありがとうございます。



5 コメント

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Unknown (マイエルリンク)
2016-04-10 21:44:13
りら様。

なんという人生なのでしょう。
父親ルドルフが生きていたら、祖母エリザベートが孫娘の生き様を知ったら、きっと誇らしく、そして羨ましく思ったのではないでしょうか?
歴史の余りにも激しいうねりに翻弄されながらも、古びた重い鎧を捨て自らの意志に忠実に生きる。
ハプスブルグにこんな女性が居たなんて・・

本当に素晴らしいお話を聞かせて頂きました。
ありがとうございます。
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マイエルリンクさま (りら)
2016-04-10 23:30:03
 コメントをありがとうございます。

 夫の愛人に向けて、ピストルを発砲した女性が、こんなにも誇り高く堂々とした人生を歩んでいくなんて!そして地位や身分に関係なく、本当に尊敬できる相手と結ばれる。(オスカルとアンドレに、ちょっと似ていますね。)美貌の皇妃エリザベートに隠れてしまい、マリーのほうは知名度がそれほどでもありませんが、どうしてどうして彼女も祖母と同じくらいか、それ以上にドラマチックな人生を歩みました。彼女の存在を、もっと多くの方に知っていただきたい。ハプスブルク家には、実にいろんな人がいて、興味が尽きません。記事を読んでくださり、本当にありがとうございました。
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Unknown (みちよ)
2016-08-26 01:02:30
リラさま

もう20年以上も前の話ですが高校生の頃、このエリザベートについての本
「エリザベート ハプスブルク家最後の皇女」を読んで非常に感銘を受けました。
激動すぎる人生を生き抜いたとてもバイタリティのある女性だなぁ、と思った記憶があります。今読んだらまた感想が違うかもしれませんが。また再読したくなりました!
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みちよさま (りら)
2016-08-26 09:40:43
 コメントをありがとうございます。

 みちよさま、高校時代にエリザベートの伝記本をお読みになったのですね。ハードカバーの表紙に、細いウエストのエリザベートの写真が写っているものだったでしょうか?

 ハプスブルク家にはさまざまな女性がいます。一番有名なのはやはりマリー・アントワネット、次いでマリア・テレジアでしょうか?しかしこのエリザベートもなかなかどうして、ジェットコースターのような波瀾万丈の人生を送っています。特に後半生は芯のある生き方を貫いていて共感できます。

 10代の時、出会った本を今読み返すと、新たな発見がありますよね。昔は見えていなかったことが見えてくる。それも読書の醍醐味かもしれませんね。

 みちよさま、外国での子育ては何かと大変なことも多いかと思います。どうかお体を大切にして、素晴らしい時間をお過ごしくださいね。
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Unknown (きゃさりん)
2020-08-21 18:17:02
水野ひで子先生が、このエリザベートの生涯を漫画にしてますね。
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