
ショーメに行く日の朝、アンドレは手持ちの外出着から一番上質のものを選び丁寧にブラシをかけた。
靴は前日から磨いておき、オスカルの婚約者として恥ずかしくないよう身なりを整えた。使用人のフィリップが
「パリまで御者を務めましょうか?」と申し出てくれたが、アンドレは丁重に断った。オスカルの夫になるからといって急に尊大になったと思われたくない。世間の人はいろいろ言うだろう。でも俺はいちいちそんなことは気にしない。これまで以上に腰を低くして誰に対しても媚びへつらうことなく、そして使用人仲間に対してはこれまで以上に温かく接していきたい。自分でできることは可能な限り自分でする。だから今日のパリ行きだって、俺が御者を務めればいいのだ。そんなこと、全然苦ではない。
自分がこれまで貯めてきたお金、アランやばあやから頂いたありがたい祝い金を大切に内ポケットに収めると、オスカルの部屋に向かった。
オスカルは白ブラウスに紺のキュロットと普段と変わらぬいでたちで、窓辺でアンドレを待っていた。今朝ジャルジェ夫人からは
「指輪選び、楽しんでいらっしゃい。今日はいい天気ね。たまにはパリでゆっくりアンドレとデートでもしてらっしゃい。セーヌ川沿いを歩くのもいいわよ。疲れたらカフェに寄って、ひと休みしてくるといいわ。あなたたちのパリでのお話、聞くのを楽しみに待っていますからね。」と優しく背中を押されていた。
トントントン---ノックの音。アンドレだ。
「オスカル、俺だ。入るぞ。」言い終えるか終らぬうちにアンドレが入ってきた。いつもよりめかしこみ、堂々としたアンドレが少し別人のようだった。正式に婚約を発表してから、アンドレはオスカルへの愛情が一層深まるとともに、ジャルジェ家をオスカルと共に継いでいく自覚が芽生えた。オスカルをそしてジャルジェ家をしっかりと守ろうとする気持ちが表情や動作に現れ、これまで以上にあらゆることに目配りし、花嫁となるオスカルが戸惑わなくてもいいように気を配ってくれた。
「窓の外に、何か素敵なものでも見えるのかい?」
オスカルに近づくと、自然に彼女の腰に両腕を廻しそっと自分に引き寄せた。なされるがままアンドレに身を預け、彼の胸に頬を当てるオスカル。温かくて懐かしくて広い胸。まぶたを閉じると、アンドレがブロンドの髪を優しく掻きわけ、おでこに軽くキスをする。もっとこうしていてくれ---アンドレ。彼のくちびるはおでこからまぶた、ほお、そしてオスカルの顎を優しく持ち上げくちびるへと下りてくる。最初はすーっとしっとりと忍び込むように包み込み、やがて何度も激しいくちづけを交わす二人。オスカルはアンドレのウェーブがかった黒髪を掻き上げる。たった一つの黒い瞳が自分を見つめた。今度はオスカルからアンドレのまぶたにそっとくちづけをする。アンドレは愛しさが一層こみあげ、彼女の背中を何度も優しく愛撫する。オスカルもまた不器用にアンドレの広い背中のどこをに触れたらいいのかわからないけれど、一生懸命捉えようとする。最近はオスカルからもぎこちないけれど、アンドレを愛撫しようとするようになり、その健気な姿がアンドレにはたまらなかった。気がつけばオスカルのブラウスの前合わせがややはだけ、形の良い白い胸元が目に入った。アンドレは我慢できなくなり喉もとから次第に下へくちびるを移動し、柔らかくて弾力のある胸にキスすると、白い肌を吸ってみた。
「あっ----」オスカルがのけぞり、かすかな叫び声を上げる。
「すまない。つい---」
「----------------」
「本当にすまなかった。」
恥ずかしそうに下を向いて黙ってしまったオスカル。
「いいんだ。」まだどうしていいかわからない。だけど---だけど,体は疼いている。こうされるのは嫌ではない。でも---。
「-------------」
「アンドレ、約束の時間に遅れてはいけない。行こう。」
「そうだな。」
オスカルはアンドレから離れ、鏡を見て着衣そして髪を整えた。
ショーメに着くと、オーナーのマダム、マリ・エティエンヌ自ら入り口でにこやかに出迎えてくれた。大きいダイヤモンドの周りを細かいビーズでぐるりと一回りさせたしゃれたペンダント、小さめの真珠のイヤリングをつけた上品なマリは、今多くの貴族を顧客に抱え、パリで最も人気のある宝石店の1つを開いていた。
なるほど、そういえばこれとよく似たデザインのネックレスを、F嬢が身に着けていたなとオスカルは思い出した。店内はすっきりとした内装で、紅色の厚いカーテンがかかっており、ロココ調の楕円形のテーブルと、椅子が数脚、置かれていた。
「さあ、こちらへどうぞ。お掛けになってください。ジャルジェ将軍と奥さまから、お二人の事情は伺っています。今日はじっくりと指輪選びをできるよう貸切にしました。ご不明の点があれば何なりと、遠慮なくお尋ねくださいね。」
「ありがとうございます。お恥ずかしいのですが、宝石について私もアンドレも何も知らないのです。」
「無理もありませんわ。軍人としてお育ちになったんですから当然です。ですからオスカルさまとアンドレさまのお手伝いができるよう、心をこめてつとめさせていただきます。どうかなんなりとお申し付けくださいませ。」
このような場所に来たことがないアンドレは緊張した。結婚式準備とは大変なことだな。こんなこと、生涯一度で十分だ。
「まずお二人がお選びになる結婚指輪ですが、毎日着けるものですから指になじむかどうか、お二人の生活スタイル、素材そして個性やデザインが重要になってきます。」
「私は軍人だから、日に何度も手袋をはめたり脱いだりします。また軍務のため銃や剣に触れたり、人と取っ組み合いもします。」
「そうですよね。ですからキズがつきやすかったり、重すぎる指輪はいけません。アンドレさまもオスカルさまと同じですよね。」
「はい。」
「手袋を着けたり脱いだりする時、指輪に引っ掛かってはいけないですし、あちこちにぶつけたり衝撃を受けることもありうるので、シンプルなデザインをお薦めします。」
「そうですね。しかしあまりシンプルすぎても---。」
「オスカルさま、指輪にもいろいろあるのですよ。これからご説明いたしますね。まず素材ですが、一番多いのがプラチナです。錆びずに変質・変色しないため、多くの方が選んでおられます。しかし難点は柔らかいことです。そのためリングが変形した時、宝石を埋め込んだ部分が欠落しやすくなるのです。」
「なるほど。せっかくの宝石がどっかへ行ってしまっては悔しいな、アンドレ。」
「そうだな。」
「プラチナのほかに18金を選ぶ方もいらっしゃいます。試しに両方着けてみましょうか?」
「お願いします。」
「ところでお二人は、ご自分の指輪のサイズはご存知ですか?」
「いいえ。」
「ではまず測ってみましょう。オスカルさま、左手をこちらに出していただけますか?」
オスカルは、マリが用意した赤いベルベットの小さなピローの上に左手を差し出した。マリはポケットからメジャーを取り出した。
「まぁ、なんて細くて長い指なのでしょう!この指ならどんなデザインでも映えますわ。ええとサイズは、薬指周りが51mmですから、11号です。今11号のプラチナと18金の見本をお持ちいたしますね。」
マリは奥の部屋へ入っていった。
「アンドレ、指輪1つ選ぶにも、いろいろ考えねばならぬことがあるのだな。世の貴婦人たちはこういうのを毎回楽しんでいるのだろうが、私は疲れるだけだ。」
「ははは、無理もない。俺も同じさ。でも人生で一度くらい、俺たちだってこんなことを許されてもいいだろう。せっかくだから、とことん極めてやろうじゃないか。」
「アンドレ、お前なんでそんなに気合いが入っているのだ。」
オスカルは不思議そうにアンドレを見つめた。私はそれほど指輪選びに拘っていないのだが----。
「はい、お持ちいたしました。まずプラチナから着けてみましょうか?」
マリが差し出した見本の指輪は、何のデザインもないシンプルなものだった。
「オスカルさま、こちらに左手を、そうそのように伸ばしていただけますか?」
慣れた手つきでマリはオスカルの左薬指に、プラチナの指輪をはめた。
「きれいですわ。」
「そうか?」
オスカルは、左ひじを軽く自分のほうに曲げ、薬指を透かすようにして左手を見つめた。程よい長さで形の良い指にアンドレはしばし見とれてしまった。と同時に指輪をはめた自分の手をしみじみと眺めるオスカルの表情が、完全に女性のそれであることに気づいた。
「オスカルのやつ、さっきまで指輪にはそれほど興味ないと言っておきながら、やはり女だな。でもこんなオスカルを見るのも悪くない。」
アンドレはもうしばらく、オスカルを眺めていたかった。
「いかがでしょう?」
「う~ん、悪くないな。アンドレ、どう思う?」
「どうって?似合っているよ、オスカル。お前の白い指にプラチナが一層輝いている。」
「これもいいな。」
「18金もお着けになってみますか?」
オスカルはプラチナの指輪を外すと、今度はゴールドの18金をはめてみた。
「さすが、オスカルさまはどちらもお似合いですわ。」
「だがブロンドの髪にゴールドの指輪じゃ、ちょっと面白くないな。お前の指にはもっとダイナミックな色がふさわしい。」
「アンドレ、お前もそう思うか?実は私も最初にはめたプラチナのほうがいいなと思っていたのだ。ダイナミックではないが。」
「まぁ、さすがお二人、気持ちが通じていますね。では素材はプラチナにいたしましょう。次はデザインについてお伺いしますね。その前にちょっとお茶でもご用意します。」
(まだ、あるのか)と思いながらも、オスカルも次第に指輪選びを楽しんでいる自分に気づいた。そばでアンドレは
「オスカルの喜んでいる顔を見るのが、俺の幸せだ。」と心の中で呟いた。
続く
オスカル様の部屋のシーンは、愛し合う2人のとっても幸せな様子がひしひしと伝わってきて、おもわずこちらも笑顔になりました(*'▽'*)
それに指輪を選ぶなんともかわいい2人のやり取りを見て、もう私 ショーメの店員さんになりたいと思ってしまいました(笑)
ステキな指輪が仕上がるといいですね♪
う~ん、2人が指輪を選ぶ時って、どんな感じだろう---まだ結論が出ません。オスカルは悩む過程を少しずつ楽しみ始めている---そんな設定にしてみました。どうせなら2~3つ、指輪をオーダーしてあげたいです。
まりまりさま、まだ2016年手帳ブルー版の表紙絵の色合いを確認していなくてすみません。もう少しお時間をくださいね。
オスカルさまは長くて綺麗な指をしているので、正直、どんな指輪でも映えると思います。しかし、2人の愛を誓う一生ものですから、とことんこだわりぬきたいですよね。私もオスカルさまにはプラチナの方が彼女の白い肌に映えてよいと思います。
まだ先の展開が掴めていなくて…いったいこの二人には、どんな指輪が一番しっくり来るだろうと、あれこれ考えています。hitomiさまが仰るように、永久の愛を誓うものですから、じっくり見定めたいと思いますがどうなるか?オスカルなら何でも似合ってしまいそうですが、たった一つの指輪なのでよ~く考えてから決めますね。
読んでくださって本当にありがとうございます。