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遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

坂口安吾放浪記~その7 三千代と綱男

2023年07月16日 | 読書



安吾と三千代は、1947(昭和22)年に新宿のバーで出会う。
時に、安吾41歳、三千代24歳。三千代は安吾を一目見て店を飛び出した。
それがきっかけで、三千代は大田区の安吾宅の秘書として週一回通った。

が、程なくして三千代が腹膜炎を起こし、ひと月間入院。
安吾は入院期間中、付きっきりで看病したという・・・相当惚れていたんだね。
目出度く退院して、安吾宅で事実上の結婚生活へ。

1953(昭和28)年、桐生の自宅で三千代(30歳)は長子綱男出産。安吾47歳。
安吾が綱男の「命名書}を書いている。

最後の行は「綱たるはまた巨力を要す 父」

綱男氏(存命なので氏と書く)は、長じてフォトグラファーとなった。
1953(昭和28)年生まれだから現在70歳・・・。
左サイドの一番下「Profile」に写真と自身の紹介。(どちらも父譲り?)

(新潟あるいは新津のマップを選び下方スクロールすると説明文、写真が見られる)

1955(昭和30) 安吾は桐生の自宅で脳出血により急逝する(享年48歳)
同年 三千代は東京に出て、銀座にバー「クラクラ」を出店する。


銀座五丁目の文壇バー「クラクラ」の三千代未亡人

安吾が亡くなってすぐ?
と思うが、文壇バーを作ることは、かねてからの安吾の想いだったようだ。
だから、三千代未亡人は彼の遺志を一刻も早く実現したかったのだろう。

また、彼女が「クラクラ日記」を書いたのは?
本が出て再読すればその経緯や、綱男氏の子育てのこともわかるだろう。


二人でお酒を・・・

というわけで今日はここまで。
明日またお会いしましょう。

[Rosey]