昨日は2冊の本を掲げたが、本命は「花影の人」だった。


「矢田津世子」で電子ブックを検索したら、吉屋信子の本も出て来た。
サンプルの目次を見たら、
田村俊子、岡本かの子、林芙美子、宮本百合子、三宅やすこ、真杉静枝、
長谷川時雨、矢田津世子、ささき・ふさ、山田順子。
名を知る人、知らない人が半々だが、
「忘れ ぬ 眉目 矢 田 津 世子 と 私」という一章があったのだ。
それでは、この本も読まなくては・・・というわけだ。
それでは、この本も読まなくては・・・というわけだ。
最後の山田順子には、美人伝の一人、とタイトルがつけられている。
どんな美人? と興味が湧いてネットで画像を探した。(昨日掲載済)

山田 順子(やまだ ゆきこ)小説家
1901(明治34)ー1961年(昭和36)
これから彼女の話を書くが、その内容は殆ど吉屋信子の本に拠った。
吉屋は、自分がかって師事した文豪の追憶から、山田の章を始めている。
文豪が没後19年経った頃である。
その時、吉屋は山田順子の訃報を受け取った。
山田は肝癌により死亡、享年60歳だった。
吉屋は、文豪の名を書かかず、必要な時は「先生」とだけ書く。
訃報をきっかけに、吉屋は、30年ほど以前、信州の高原のホテルで、「先生」と山田の二人に会ったことを想い出す。
以下、吉屋の描写をほぼそのまま引用させてもらう。
<ボーイが導く食卓に私ひとりぽつねんと向かって待っ て いる と、
まもなく彼女が食堂の正面入口に現われ た。
縮緬浴衣おそらくそれに類したものだったろう、
浜縮緬のしっとりした白地に濃紺の大柄な模様を染め て、
その模様よりは白地の方が多くさわやかな感じのそれを背丈 の すらりとした長身に嫋やかに着つけてそれに白博多に朱の独鈷の帯、
そして髪は無造作に束ねてなんと黄楊の横櫛といういで たちは、
まったく浮世絵からぬけ出して来た日本国産美女のおもかげそのものだった。>
女性ならではの描写。私には要約すら不可能だ。
なので、句読点で改行して読み易くするだけにした。もう少し続ける。
<彼女は いち早く私を見つけるや婉然と微笑してゆらりゆらりと足を運ばせて 近づくと、
食堂に満ちていた外人客がみな手を止めて彼女を眺め 入っ た。
私と彼女の食卓の向かい側の卓には二人の若い外人の青年が居たが、
その彼等は両手にフォークとナイフを持っ たまま、
さながら呆然自失した形でいつまでもいつまでも彼女を倦かず眺めて恍惚状態 だった。
ところはあたかも外人客専門の観あるこのホテルの食堂での彼女のこの姿での 出現はまったく効果ある無意識の演出だった。>
吉屋は無意識の演出と書いているが、男の私から見ると意識的だと思うが。
もう少しだけ続ける。
<かねて彼女と先生との情事は時の新聞の好餌だった、
そのため訪問した記者に先生は(順子は芸術品だ)と放言されたのが、
評判になり人々はこの老大家が若い彼女にうつつを抜かすのを笑いぐさにしたけれども、
そのホテルの食堂での彼女と周囲の光景を知る と、まさに彼女は生ける芸術品の気がしても無理がなかった。>
この文豪、老大家、先生が誰かは、昨日すでにネタばらし済み。
もっともそれを知ったのは、吉屋の本ではなくほかの情報源から。

徳田秋声(とくだしゅうせい) 小説家
1872(明治4)ー1943(昭和18)
ただ、「順子は芸術品」と言い放った「先生」、
晩年の作品では彼女悪く描いた・・・という情報も見かけたが、
私はまだ読んでいない。男心も秋の空?
それから吉屋が描く順子のエピソードをもう一つ。
彼女は、訛りが強かった。
芸術という言葉をよく口にしたが、それがゲイズツ、ゲイズツと訛って聴こえるので閉口した・・・と。
ともかく、吉屋信子の本のお陰で、山田順子への私の関心はゼロとなった。
それでは明日また会いましょう
[Rosey]