海と空

天は高く、海は深し

冬の旅

2007年05月30日 | 日記・紀行

 

冬の旅

朝から雨、昼過ぎには時折激しく降り、ひと時収まったが、また夜になって再び降り始め、雷光さえ差し込んだ。

久しぶりに古いレコードで「冬の旅」を聴く。ハンス・ホッターの声。
詩人は冬に旅に出る。強い風、凍る涙。意識もかすんでゆくなかで詩人は故郷を思い出す。
詩人は故郷を離れた後悔を歌う。 
 
   菩提樹

村の門のそばに泉があり、
そこに一本の菩提樹が立っていた。                                  私はその木陰で、夢を見た。
多くの甘美な夢を。

私はその樹皮に刻んだ。
多くの愛の言葉を。
その言葉は、歓びにつけ悲しみにつけ、
私をいつもそこに連れて行く。

今日もまた、私は旅行かなければならない。
深い夜を通り過ぎて、
そこは闇の中で、
私はなお見つめなければならなかった。

そして、菩提樹の枝はざわめいていた。
私に呼びかけるように。
私のところにもどっておいで、若者よ。
ここにこそあなたは憩いを見出すのよ。

冷たい風は吹き付ける。
私の顔に真っ向から。
帽子は頭から吹き飛ばされたが、
私は振り返ろうともしなかった。

今や私には多くの時間が過ぎ、
あの場所からも遠く離れている。
そして、私の耳にはいつもあのざわめきが聞こえてくる。
あなたはあの場所にこそ憩いを見出せたのに。

 

Am Brunnen vor dem Tore
Da steht ein Lindenbaum:
Ich traeumt' in seinem Schatten
So manchen suessen Traum.

Ich schnitt' in seine Rinde
So manches liebe Wort,
Es zog in Freud' und Leide
Zu ihm mich immer fort.

Ich musst,auch heute wandern
Vorbei in tiefer Nacht,
Da hab' ich noch im Dunkel
Die Augen zugemacht.

Und seine Zweige rauschten,
Als riefen sie mir zu,
Komm' her zu mir Geselle,
Hier find'st du deine Ruh'!

Die kalten Winde bliesen
Mir grad' ins Angesicht,
Der Hut flog mir vom Kopfe,
Ich wendete mich nicht.

Nun bin ich manche Stunde
Entfernt von jenem Ort,
Und immer hoer ich's rauschen:
Du faendest Ruhe dort!


Der Lindenbaum

 

 

 

 

 

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日々の聖書(14)――人か神か

2007年05月23日 | 日々の聖書

日々の聖書(14)――人か神か

主は言われる。
呪われよ。人に信頼し、
肉にすぎないものに頼る者は。
彼の心は主から離れている。
だから、彼は荒地の枯れ木のように、
恵みの雨を見ることもなく、
誰も住まない荒野の干からびた塩の地に、
住まうことになるだろう。
幸せだ。主に信頼し、
主に望みをおく者は。
彼は小川のほとりに植えられた木、
流れに深く根を張り、
日照りに悩むこともなく、
その葉は青く繁っている。
旱魃の年を恐れることもなく、
果樹が実を結ばないこともない。

(エレミア書第十七章第五節~第八節)

ここでも人間の二つの類型が示されている。肉にすぎない人間に頼る者と神に頼る者である。人間不信もここに極まるというべきか。しかし、これが聖書の人間観であることは否定しようもない。エチオピア人がその黒い皮膚を、豹がその斑の毛皮を変えられないように、人間は罪深く、直く正しい人には変われない。(エレミア書13:23)

そんな人間であっても、人に頼らず、神に頼るものは幸せであるという。
なぜか。人に依頼するものは結局は、彼の心は神から離れるからである。
唯一の神、主を前にしては、常に選択を迫られる。お金か神か。人か神か。
人間は二人の主人には仕えることができないからである。(マタイ書6:24)

エレミアもつねに詩篇に慣れ親しんでいた。それは、ここでも明らかである。
エレミアの口には、詩篇冒頭の数節がおのずから口ずさまれて来る。
主の教えを愛し、日夜口ずさむ者は、小川のほとりに植えられた木のように、
その葉はつねにみずみずしく、いつも果実を実らせている。
ただ詩篇の第一篇では神の教えを愛する者と神に逆らう者とが対比させられていたが、
ここではエレミアは人間に頼る者に対し、神に頼る者とを比べている。

この人間類型は、現代においても基本的には変わらないのだろう。
科学や民主主義や自己に頼るものは、結局は人間に頼るものである。
エレミアの眼には、彼らの心はすべて主から遠く離れている。
だから彼らは、砂漠の枯れ木のように、恵みの雨を見ることもない。

それに対し、主に信頼し、主に望みをおく者は、
彼は小川のほとりに植えられた木のように、
葉は青く繁り、旱魃を恐れることもなく、
果樹は豊かに実を稔らせるという。
新約聖書ではイエスを信じる者には、聖き霊が生ける水となって流れてくるとも言われている。(ヨハネ書7:38)
エレミアにもイエスにも、詩篇冒頭の川のほとりに植えられた木のたとえが、つねにその心に湧き起こってくる。

 

主は言われる。
呪われよ。人に信頼し、
肉にすぎないものに頼る者は。
彼の心は主から離れている。
だから、彼は荒地の枯れ木のように、
恵みの雨を見ることもなく、
誰も住まない荒野の干からびた塩の地に、
住まうことになるだろう。
幸せだ。主に信頼し、
主に望みをおく者は。
彼は小川のほとりに植えられた木、
流れに深く根を張り、
日照りに悩むこともなく、
その葉は青く繁っている。
旱魃の年を恐れることもなく、
果樹が実を結ばないこともない。

(エレミア書第十七章第五節~第八節)

 

 

 

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教育の再生、国家の再生

2007年05月09日 | 時事評論

教育の再生、国家の再生

今の安倍内閣においても、教育改革は内閣の最重要課題に位置づけられている。それは現在の安倍内閣ばかりではなく、歴代の内閣においても教育の問題は最重施策として取り上げられてきた。前の小泉首相は、郵政改革で頭がいっぱいだったから、教育の問題はそれほど自覚されなかったかもしれないが、その前の森喜朗元首相の内閣でも、文部科学省に教育諮問委員会を作って教育改革を目指していた。森喜朗氏でさえそうだった。森喜朗氏は文教族の国会議員としても知られている。

確かに国家の再生には教育の再生が前提になるだろう。しかし、教育の再生には何が必要なのか。教育の再生には、国語教育の再生が必要であり、国語教育の再生には、なにより哲学の確立が必要であると思う。だから、少なくとも国家の再生といった問題に関心をもつ者は、まず哲学の確立によって国語教育の再生をめざし、国語教育の再生によって教育の改革を、そして教育の改革を通じて国家の再生を計るということになる。教育の再生は国語教育から、ということではないだろうか。


江戸時代から、日本には「読み書き、ソロバン」という教育上の標語があって、この標語の教育の核心をついた普遍的な真理は、今日においても意義があるだろうと思う。読み書く力を十分に育てることが教育の根本的な課題であることは今日でも同じだと思う。


読む能力は、知識や情報を外部から吸収するのに不可欠であるし、書くことによって、自らの意思を社会や他者に向って発信することができる。この二つの能力は、個人が充実した社会生活を営んでゆく上で不可欠のものであるし、また、どれだけ高いレベルでそれらの能力を育成できるかが、個人の生涯を意義のあるものにできるかどうかも左右するのではないだろうか。


確かに、現在の学校教育でも国語教育がおろそかにされているとは思わないし、生徒たちの国語能力の向上に向けて、それなりの努力は行われていると思う。朝の授業前の読書の時間は多くの学校で普及しているようであるし、作文の時間などで文章を書くトレーニングもそれなりに行われている。


ただ、それでもなお、日本の国語教育における「読書の訓練」は生徒たちの自然発生的な意欲や努力に任せられたままで、読書の技術などは、まだ学校の現場では洗練されも高められもせず、充実してはいないようだ。もちろん日本の教育の伝統としても確立されてはいない。それは、多くの人々から指摘されるように、今日の大学生がまともな論文を書けないということにもなっている。

だから日本で世界的に通用する学術論文を書くことができるのは、リテラシーという言葉で「言語による読み書きできる能力」が長年の伝統の中に確立されている欧米などの海外に留学して、そこで教授などから専門的な論文教育を受けて、論文の書き方に「開眼した」という留学体験のある、大学の修士か博士課程の卒業者に多いのではないだろうか。この点で今日なおわが国の普通一般教育や大学や大学院での論文教育は充実していないようにも思われる。


この事実は、かなり高名な日本の学者、教育者の文章が実際に拙劣であるという印象からも証明されるのではないだろうか。論文教育はいわば科学研究の方法論の一環として行われるべきものであり、その核心は、論理的思考力であり、哲学的な能力の問題である。自然科学系の有名な学者であっても、その文章に現われた認識や論理の展開で、正確さや論証力に劣っている場合も少なくないように思われる。


いずれにしても、これだけ学校教育の普及した国民であるのに、果たして、それにふさわしいだけの国語能力が確立されているだろうかという問題は残っていると思う。実際の問題として、一般的に国民における読み書きの力は、(自分を棚にあげて)まだまだ不十分だと思う。


それでも、今日のように、とくにインターネットが発達し、ブログなどで比較的に簡単に個人が情報を発信できるようになったので、なおいっそうそうした能力は求められると思うし、また、その能力育成のための機会も容易に得られるようになったと思う。多くの優れた学者の論説文もネット上で容易に読めるようになったし、また、語学力さえあれば、自室にいながらにして世界中の著名な科学者、学者の論文も読むことができるようになった。一昔に比べれば、翻訳ソフトなども充実して、語学能力の育成もやりやすくなったと思う。


蛇足ながら、私自身は文章を書くときに注意すべきこととしては、次のようなことを心がけるようにしている。それは、思考の三要素として、「概念」「判断」「推理」の三つの項目にできうるかぎり注意して書くことである。


「概念」とは、一つ一つの用語を正確にして、それぞれの言葉の意味をはっきりさせることであり、

「判断」とは、一文一文の「主語=述語」の対応が正確であるか「何が何だ」をはっきり自覚することであり、

「推理」とは要するに、文と文のつながりのことであり、接続詞や副詞などが正確に使われて、一文一文に示された判断が、論理的な飛躍や誤りがなく、必然的に展開されているか確認することである。

そんなことを検討し反省しながら書くようにしている。しかし、文章を書く上でこんな基本的なことも今の学校では教えられていないのではないだろうか。

なかなか、理想どおりにそれを十二分に実行できずに、現実にはご覧のような悪文、駄文になってしまっているのは残念であるにしても、これからも引き続き改善してゆくべき課題であると思っている。

今日の記事も、また、「教育の再生」や「国家の再生」といった大げさな標題を掲げてしまったけれども、多くの人がブログなどを書いてゆくなかで、「言語による読み書きできる能力」、、、いわゆるリテラシーを高めてゆくのに、こんなブログの記事でも、少しでも役に立てば幸いだと思っている。

 

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醜い日本人

2007年05月07日 | 時事評論

醜い日本人

私のような市井の片隅に生きる無名の者が「醜い日本人」などと語っても、おそらく世間の嘲笑を買うだけだろうが、しかし、曽野綾子氏のような高名な小説家なら、そうした言葉にも少しは耳を傾けられるのかもしれない。産経新聞のような全国紙に女史の『「醜い日本人」にならないために』という評論文が掲載されているのを読んだ。


確かに、とくに最近私も、曽野綾子氏と同じそんな印象を受けるように思う。自分を棚に上げて女史と同じような感想をもっている。それは近年流行のインターネットや携帯電話の悪い側面が出てきているためだといえるのかもしれないが、しかし、やはりネットや携帯電話が人間や国民の資質を決めるわけではないだろう。それは表面的な本質を見ない論議だと思う。


そうした状況の根本にある原因は、やはり先の太平洋戦争の敗北に、またそれを契機とした日本の「古き善き」文化的な伝統の崩壊にこそみるべきではないだろうか。太平洋戦争の敗北は何も、軍事力における敗北にとどまらないと思う。


現代の日本人がもし「醜い日本人」になりつつあるとするなら、それは太平洋戦争の軍事的な敗北が、何よりも現代日本人の倫理道徳心における敗北に連なり、また現代日本人の政治や教育における敗北となり、それがまた、現代日本人の学術文化における敗北を証明するものになっているということなのだろう。それは、民族をそのあるべき姿に正すことのできない現在の学校教育の敗北でもあり、さらには宗教や芸術や教育などに現われる日本民族の伝統文化の総合力の敗北の問題でもあるだろう。  


あくまで相対的であるとしても、太平洋戦争前の日本人に比較して戦後の日本人が「醜い」のだとすれば、それは結局、日本のかっての伝統的な宗教や倫理や学術や芸術文化が、太平洋戦争の敗北とその後の占領軍統治という日本史に未曾有の歴史的な困難を克服しうるものではなかっただけにすぎない。そうした困難に際して日本の伝統文化が自らの民族の倫理や文化の健全さを確保するだけの力あるものではなかったということを証明しているに過ぎないと思う。


そして、太平洋戦争後六十年を経過した今、一種の植民地文化的な状況に生育した戦後世代を両親に育てられた現在の若者たちの文化的状況が、少なくとも戦前の日本人の感覚をまだ失ってはいない曽野綾子氏のような世代の眼に、「醜い日本人」として映じているのだろう。


ただ問題が深刻であるのは、今の若者たちや、現代以降の日本人たちには、おそらく、戦前の伝統文化的な「美しい日本人」の感覚を概念として生まれつきまったく持たないことだろう。だから、昔の日本人の感覚による「醜い」という自覚すら彼らは持ちえない。自覚さえあればいつかあるべき姿を回復する可能性は失わない。しかし曽野綾子氏のような世代の眼に深刻に映るのは、現代の若者たちにはもはやそんな自覚すら失われている状況にあることだ。このまま更なる六十年を経過したとき、おそらく明治や大正の「美しい日本人」の伝統の姿は見る影もなくなるにちがいないと思う。

 

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エキスポランド

2007年05月06日 | 日記・紀行

エキスポランド社など家宅捜索 コースター脱線事故(朝日新聞) - goo ニュース

黄金週間も終わりを迎えつつあった昨日、痛ましい事故が起きてしまった。吹田市のエキスポランドで、「風神雷神2」と呼ばれたジェットコースターが脱輪事故を起して、乗っていた女性が死亡し、その友人が重傷を負うなど、多くのけが人が出た。子供の日ということもあって多くの人が春の休日を遊園地で楽しんでいる中での事故だった。

このニュースを聞いたとき、一昨年に起きたJR福知山線脱線事故のときに感じたのと同じような、なんともいえない虚しい思いがこみ上げてきた。あの時に感じたのと同じ思いがふたたび込み上げてくる。この事故で、多くの人々が深く傷ついたことだろうと思う。しばらくの間は、天真爛漫に、ジェットコースターをもう楽しむことができないだろう。

エキスポランドには私の青春時代の記憶も少しはかかわっている。大阪吹田市の千里丘陵を切り開いて大阪万国博覧会が開催されたのは一九七〇年のことだった。「人類の進歩と調和」をスローガンに掲げられたこの博覧会が開かれた当時の日本の社会には、現在のような閉塞感はなかったようにも思う。今よりももっと活気と夢に満ちていた。

博覧会の終了後に、その跡地に万国博記念公園が造られ、そこにエキスポランドもできた。そんな開園まもないこの遊園地に、その頃まだ学生だった私はアルバイトとして、さまざまな遊戯施設の補助の仕事についていたことがある。まだジェットコースターはなかったと思う。それ以来ふたたび訪れたことがないので、細かなことは今はほとんど記憶からも薄れてしまっているけれど、そこでのアルバイトが楽しい貴重な思い出として印象に残っていたことは確かである。


その頃は私もまだ二十歳前後だったし、ちょうど自分と同じようにバイトにきていた女の子二人と仲良くなって、回転シャワーなどに一緒に乗って遊んだ記憶が残っている。その一人はFさんと言って、今も古い手帳を捜しだせれば、彼女の住所と電話番号が残っているかもしれない。名前は忘れてしまったが苗字は今でも覚えている。一度二度電話をしたかもしれないが、地理的に少し遠かったせいか、結局は深い交友にはならなかった。今思い出しても、それは若い日の楽しいアルバイトだったが、昨日のニュースで、その記憶を少し傷つけられたような気もする。

 

 

 主よ、汝はいにしえより、世々我らの住処にてましませり

山いまだ成りいでず、汝いまだ地と世界とを造りたまはざりしとき

永遠よりとこしえまで、汝は神なり

なんじ人を塵に帰らしめてのたまはく

  人の子よ、汝ら帰れと

なんじの目の前には、千年もすでに過ぐる昨日のごとく

また夜の間のひと時に同じ

汝これらを大水のごとく、流れ去らしめたもう

彼らは一夜の眠りのごとく、朝に生えいずる青草のごとし

あしたに生え出でて栄え、夕べには刈られて枯るるなり

我らは汝の怒りによりて消え失せ、

なんじのいきどおりによりて怖じまどう

汝われらの不義を、御前におき

我らの隠れたる罪を、御顔の光の中におきたまえり

我らのもろもろの日は、汝の怒りによりて過ぎ去り、

我らがすべての年の尽くるは、一息の如し

われらが歳を経る日は、七十歳に過ぎず、

あるいは健やかにして八十歳にいたらん

されどその誇るところは、労苦と悲しみとのみ

その去りゆくこと速やかにして

我らもまた飛び去れり

誰か汝の怒りの力を知らんや.....

願わくは汝のしもべにかかわれる御心を変えたまえ

願わくは朝に我らを汝の憐れみに飽きたらしめ

世終わるまで歓び楽しませたまへ....

我らが苦しめる日と、災いにかかれるもろももろの年にくらべて

我らをたのしめさせたまへ.......

 

                                                      詩篇第九十篇

 

 

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詩篇注解一覧

2007年05月01日 | 詩篇註解

 

詩篇注解

  1.  第百二十八篇  2007/03/14
  2.  第百三十三篇  2007/01/10
  3.  第百十二篇   2006/12/19
  4.  第百三篇    2006/12/13
  5.  第八十四篇   2006/10/13
  6.  第九十篇    2006/08/20
  7.   第六十七篇   2006/07/21
  8.   第三十二篇   2006/07/19
  9.   第五十四篇   2006/07/15 
  10.   第八十七篇   2006/06/06
  11.   第九十二篇   2006/01/27 
  12.   第十篇     2006/01/20
  13.   第二十二篇   2005/11/10
  14.  第二十七篇   2005/11/05
  15.   第十六篇    2005/10/06
  16.   第二十五篇   2005/10/22
  17.  第二十四篇   2005/09/28
  18.  第二十三篇   2005/09/26     ダビデ  水際の安息
  19.  第二十篇    2005/09/18     戦場の祈り
  20.  第十五篇    2005/08/21       ダビデ  正しき人
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