海と空

天は高く、海は深し

日々の聖書(12)―――子供たちの泣き声

2007年01月14日 | 日々の聖書

日々の聖書(12)―――子供たちの泣き声

子供たちは母に言う。
パンはどこにあるの、
ぶどう酒はどこにあるの。
町の広場で
母の乳房に抱かれながら、
傷つき、衰え、
息絶えてゆく。

(哀歌第二章第十二節以下)

ユダヤ人は歴史上いくたびも過酷な境遇におかれてきた。先の第二次世界大戦のナチス・ドイツの手によるホロコーストも、歴史的には初めての体験ではない。すでに紀元前600年前後にも、腐敗し堕落したユダヤの指導者、宗教家、国民のために、その土地と神殿はバビロニア王によって破壊し尽くされ、その主だった住民は捕えられてバビロニアに連れて行かれた。

そのときの悲惨で過酷な光景が、預言者エレミアの手によって記録されている。上記の一節もその一つである。

神の裁きの厳しさは、そのもっとも天真爛漫で純粋無垢な乳幼児、児童に向けられる。

もちろん、こうした状況はユダヤ人にのみ臨むのではない。人類はすべての民族でこうした体験を重ねてきた。原爆投下などでは、日本の多くの幼児は、泣き声さえあげることができなかった。


現代のバビロニアであるイラクはさらに混迷と荒廃を深めている。現代のペルシアである隣国イランも現代のユダヤ国イスラエルとアメリカとの対立を深めている。エレミアの記録した状況が、二十一世紀の現代に繰り返されないと言えるだろうか。ブッシュ大統領が二万人余の兵士の増強を決めたばかりである。

北朝鮮では飢えと寒さに震えた幼児たちが、母の胸でパンとミルクをねだっているのではないか。今も世界中で子供たちの泣き声が絶えない。

子供たちは母に言う。
パンはどこにあるの、
ぶどう酒はどこにあるの。
町の広場で
母の乳房に抱かれながら、
傷つき、衰え、
息絶えてゆく。

(哀歌第二章第十二節以下) 

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詩篇第百三十三篇註解

2007年01月10日 | 詩篇註解

 

詩篇第百三十三篇

都のぼりの歌。ダビデの。

見よ、何と善く、何と楽しいことか。
兄弟たちが仲良く共に座っている。

頭に注がれるかぐわしき油が、
髭に流れ、アロンの髭に滴り、
彼の着物の袖口にまで流れ滴る。

ヘルモン山の露が、
シオンの山々に滴り流れるように。
まことに、そこで主は祝福を永遠の命さえも約束せられた。

 

詩篇第百三十三篇註解  兄弟姉妹たちの宴

すべての詩篇の中で、いや聖書全巻の中でも、もっとも貴重な一篇といえる。ここに人類の理想があり夢が尽きるといってもよいかもしれない。兄弟姉妹たちが仲良く食卓を囲んで語らっている。その楽しさは体験し記憶されているだろう。

人間がただ人間であるということだけで、楽しく食卓を共に囲み、歓談と談笑にふける。そこには宗教の差別も、人種の差別もない。

こうした姿がいつの日か地上に実現される日の来ることを私たちはどれほどに恋い願ったことだろう。しかし、そうした日の訪れはいつことになるか、果たして人類は、罪と涙と共にその日の到来を待ち焦がれることになるだけなのだろうか。それとも、主はそこで永遠の命と祝福を約束されたのだから、それを信じて待つべきか。

たとえ、私たちの幾世代においては地上での実現は難しくとも、天上においてはそうした楽しき食卓は叶えられるにちがいない。

アロンとはモーゼの兄で、主の命によって油注がれて初代の祭司職に任ぜられた。モーゼたちの兄弟に対する主の祝福と見ることもできるが、必ずしも限定的にではなく、一般的な象徴と解してよいと思う。

エルサレムへの巡礼の折などに歌われたらしい。

 

 

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西方の月

2007年01月04日 | 仏教

明けましておめでとうございます。

2006年が去り、新しく2007年を迎えました。

暖かい正月でした。温暖化がいよいよ体感されるようになってきたということなのでしょうか。昨日は小さいけれども真っ白な月が出ていました。

そんな月を見ても私には歌を詠む技量はありませんし、和歌を学ぶだけの余裕もないので、せいぜい、昔に西行などが詠んだ和歌をなぞって、その芸術的な感興を満足させることができるくらいです。もちろん、本格的に和歌を詠む練習などもできればいうことはないのでしょうが。しかし、これ以上恥の上塗りをしないことでしょう。

900年ほど前にこの同じ月を見て西行が詠んだ歌で代えます。

堀河の局 仁和寺に住みけるに、まゐるべき由申したりけれども、まぎるることありて程経にけり。月の頃、前を過ぎけるを聞きて言ひ送りける。

854 西へ行く しるべとたのむ 月影の そらだのめこそ かひなかりけれ                                                  

返し

855   さし入らで  雲路をよぎし 月影は  待たぬ心ぞ
    空に見えける


堀河の局という知り合いの女性が御室の仁和寺に住んでいたときに、いずれお訪ねしますと申し上げていましたけれど、忙しさにまぎれて時が過ぎてしまった。月の美しい頃、私が、その人の家の前を素通りしてしまったことをその人が聞いて、私に次のような歌を送ってよこしました。

浄土のある西方への旅路の道案内としてお頼み申し上げていたお月様(あなた)でしたが、空頼みでしかなかったのは、甲斐のないことでしたよ。

こんな歌をその人が送ってきましたので、私は次のような歌を詠んで送ってやりました。

お月様が空の雲路を素通りしたように、私があなたの家をお訪ねしなかったのは、私を待ってくれる心のないことが、月の光を待ち望む心がないように、空から見えたからですよ。


西行がこのようなつれない返歌を送った相手の堀河の局は、京都の西山あたりにも住んでいたことが記録されている。西行が上記の歌を詠んだときは、彼女は仁和寺あたりに住んでいたようだ。堀河の局が仕えていた待賢門院藤原璋子が鳥羽天皇の中宮であったことから西行と和歌を通じて面識ができたらしい。西行は北面の武士として鳥羽天皇に仕えていた。堀河の局も女房三十六歌仙の一人に数えられて百人一首に選歌されるほどの歌人だった。

しかし、西行は待賢門院藤原璋子に惹かれたが、この歌に見られるように堀河の局にはさほど魅力を感じなかったらしい。

ただそれでも、堀河の局が西山に住んでいたときには、気にかけて訪れていた。その様子が次のように書き残されている。
   
ある所の女房、世を遁れて西山に住むと聞きて、たずねければ、住み荒らしたる様して、人の影もせざりけり。あたりの人にかくと申し置きたりけるを聞きて、言ひ送れりける

744   潮なれし 苫屋も荒れて うき波に 寄る方もなき あまと知らずや                          

返し

745  苫の屋に 波立ち寄らぬ けしきにて あまり住み憂き
   ほどは見えにき
   

西行は堀河の局を訪ねていったが、このときは行き違いで会えなかったようだ。この頃にはすでに藤原璋子の落飾に従って、彼女も尼になっていたらしい。

西行と鳥羽天皇や藤原璋子らの交流に素材を取った辻邦生の小説に『西行花伝』がある。機会があれば読んでみたいと思う。

とはいえ、概念論などを中心的なテーマとしているかぎり、なかなかそんな暇も取れそうにはない。いつのことになるやら。


たぶん今年も特別のことはないと思います。ただ去年よりさらに充実した一年を過ごせることを祈るばかりです。

1254  今はただ  忍ぶ心ぞ  つつまれぬ 歎かば人や  
    思ひ知るとて

本年もよい年でありますように。

 

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