海と空

天は高く、海は深し

詩篇第二十三篇註解

2005年09月26日 | 詩篇註解

 

ダビデの歌

主は私の牧童。私には欠けるものが無い。
主は私を若草萌える野辺に憩わせ、清らかな水辺へと導き、
私の魂に新たな力を得させる。
主は御名のために私を正義の道へ導かれる。
死の闇の谷を歩むときも、私は災いを恐れない。
なぜなら、あなたが私と共におられるから。
あなたの棍棒と杖は、私には救いとなる。
あなたは、私の敵の眼前で私のために宴を開き、
私の頭に香油を注ぎ、私の杯をぶどう酒で溢れさせる。
生涯の日々、恵みと愛は私のもの。
私は命ある限り主の家に住む。



第二十三篇    主は羊飼い(旅する者の祈り)

「主は羊飼い」と題されるダビデの有名な詩である。ここでは、主なる神は、「羊飼い」にたとえられている。詩人は、自分と主なる神との関係を、牧童と羊との関係のようにみなしている。

日本の気候と風土は、牧畜にふさわしいとは言えず、人々も牧畜に決してなじみ深いとはいえない。羊や牛などを飼う牧畜は乾燥地帯に適した産業である。だから、牧童と羊たちとの関係の比喩も、日本人にはさほど実感として感じられないかもしれない。 

羊飼いの使命は、羊たちの生命を狼やハイエナから守り、草原で豊かに牧草を食ませ、涼しげな池や川のほとりで、水をふんだんに飲ませることである。この羊飼いと同じように、主なる神は、私たちの生命を慈しんでくださるという。主は私たちを草原に憩わせ、水辺で渇きを癒せて、魂を生き返らせ、力を蘇らせてくださる。ここでは神は懲らしめ罰する神ではなく、救い、癒し、慈しむ神である。

だから、暗い不安な谷間を過ぎるときも、死と災いを恐れない。主が共にいて正しく導かれることを確信しているから。
私たちの生涯には、平和な時も、戦いの時も、得意の時も、失意の時も、交々に訪れる。そのいずれの時も、牧童が羊の群れの安全に配慮するように、主は導いてくださる。

時には、厳しく杖で打ち、鞭で懲らしめられることがあっても、それは私たち自身の生命の安全を守るためである。牧童が羊たちの安全と健康を気遣うように、主もまた、私たちを食物と水で養われる。主の恵みと慈しみによるものである。
主はまた、敵の見える前で、楽しい満ち足りた宴を用意してくださるほど、私たちを愛してくださる。それゆえ、主の家は、生涯、私たちの家ともなる。

この詩は、旅に出かける時の祈りとしてもふさわしい。旅の平安を祈り、神に保護を求める歌である。そして、苦難を恐れることなく旅に出る。

日常そのものが、歓びと冒険と危険の織り成す旅であるとすれば、日々の祈りともなりうる。古来から多くの人々によって歌い継がれてきた、簡潔で美しい詩である。
芭蕉たちが東北に向かった「奥の細道」への旅路でも、もしこのような歌を知っていたなら、その旅の途上での俳句の詠唱も、よほど違ったものになっていたかも知れない。

 

 

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