研修所最後の週の講義が始まりました。
これまで書いた起案も,成績付きで次々と返却されました。
よくできたもの,失敗したもの,いろいろありましたが,全体の印象としては,検討する記録の方向性をしっかり押さえたときはいい評価で,それを押さえられず,理解不十分なままあれこれ書いたときは良い評価を得られなかったように感じます。
研修所で使う記録は,教育上の便宜のため,実際の事件の記録をアレンジしていることは以前書きましたが,成績評価の対象とする以上,記録から点数が取れるポイントを読み取れるように作られています。
ですので,記録の方向性をとらえ,それにのっかていくと,いい点が取れるという仕組みになっているように思います。
このことによって,裁判の真実というものは,あくまでも証拠に基づく真実であることを教えようとしているのかもしれません。
ところが,我々修習生は正しいものを追い求めようとするあまり,記録から離れて考えてしまうので,いざ記録に基づいて起案しようとするとうまくいかなくなって,ポイントをはずしてしまうのかもしれません。
加えて,時間が制限されているので,焦ったりして,ミスを重ねてしまうのでしょう
思い起こしてみれば,試験というものは,みんなこのような傾向を持つのであり,今に始まったことではありません。
それができないというのは,試験に対する取り組み方がまだまだだということなのかもしれません。
ただ,みんなで一斉に同じことをやらされ,評価されるというのは,そろそろ終わりにしたいな,と思えてきているのも事実です。
2回試験(研修所の卒業試験)まで,あと一週間。がんばろっと
これまで書いた起案も,成績付きで次々と返却されました。
よくできたもの,失敗したもの,いろいろありましたが,全体の印象としては,検討する記録の方向性をしっかり押さえたときはいい評価で,それを押さえられず,理解不十分なままあれこれ書いたときは良い評価を得られなかったように感じます。
研修所で使う記録は,教育上の便宜のため,実際の事件の記録をアレンジしていることは以前書きましたが,成績評価の対象とする以上,記録から点数が取れるポイントを読み取れるように作られています。
ですので,記録の方向性をとらえ,それにのっかていくと,いい点が取れるという仕組みになっているように思います。
このことによって,裁判の真実というものは,あくまでも証拠に基づく真実であることを教えようとしているのかもしれません。
ところが,我々修習生は正しいものを追い求めようとするあまり,記録から離れて考えてしまうので,いざ記録に基づいて起案しようとするとうまくいかなくなって,ポイントをはずしてしまうのかもしれません。
加えて,時間が制限されているので,焦ったりして,ミスを重ねてしまうのでしょう
思い起こしてみれば,試験というものは,みんなこのような傾向を持つのであり,今に始まったことではありません。
それができないというのは,試験に対する取り組み方がまだまだだということなのかもしれません。
ただ,みんなで一斉に同じことをやらされ,評価されるというのは,そろそろ終わりにしたいな,と思えてきているのも事実です。
2回試験(研修所の卒業試験)まで,あと一週間。がんばろっと