観戦レポが長くなってしまったので、別の記事にして八木選手の思い出について書こうと思います。
八木さんで一番に思い出すのが、やはり1992年9月11日の幻のホームランです。この年は最後までヤクルトと優勝争いを繰り広げた年で、この日も直接対決とあってテレビにかじり付いて見ていたのを思い出します。
9回表を終わって3-3の同点という白熱した試合展開。そして、運命の9回裏。2死1塁で迎えるバッターは八木。ピッチャー岡林から放った打球はレフトスタンドへ一直線!審判の平光がホームランのコールをした瞬間に湧き上がるスタンドとベンチから飛び出した選手たち。ゆっくりとダイヤモンドを回って、サードコーチャーの島野さんと手をつないでホームベースに笑顔で帰ってきた八木さんの姿は今でも忘れることができません。
しかし喜びも束の間、ヤクルトの飯田選手が、違う違うと手を横に振りながらなにやら抗議を始めました。この光景も忘れられないんですよね・・・。そしてあろうことか判定は覆り、ホームランからエンタイトルツーベースに変わってしまいました。もちろんランナーは1塁だったので、テイクツーベースでは得点にはなりません。この判定に阪神ベンチが黙っているはずもなく、中村監督の抗議は延々と続きました。その間に、古田とトラッキーが暇を持て余すかのように何か雑談している様子がとてもおかしかったことを覚えています。
結局、この回に得点できず試合は延長戦へ。その後も両チームとも得点できないまま15回裏を迎え、最後のバッター山脇が三振に倒れて試合は引き分けに終わりました。そのとき時計の時刻は0時半を指しており、試合時間は今でもプロ野球記録となる6時間半という長い長い試合となりました。
八木さんは当時のことを運が悪かったとおっしゃってました。今思えば、レギュラーで活躍していたこの時に優勝させてあげたかったです。まあ、去年の優勝にも十分貢献してくれたんですけどね。
このような伝説を残した八木さんは、やはり記録に残る選手ではなく記憶に残る選手だったと言えますね。
八木さんが現役最後に放ったホームラン。それは2002年7月30日の対横浜戦。0-2の2点ビハインドで迎えた6回裏。満塁の場面でピッチャーの井川に打順が回る。そこで代打八木のコール。八木さんは見事に期待に応えてなんと代打逆転満塁ホームランを放ち、そのまま4-2で阪神は勝利をおさめました。
この試合もテレビで見ていたのですが、当時から井川ファンだった私は、神様八木様、ホントにありがとう!!!という感じでしたね。でも、まさかこれが最後のホームランになるとは思いもしませんでした。去年もホームランがないことはわかっていたので、今年はなんとかホームランを打ってもらいたかったのですが・・・。
昭和40年生まれの選手で結成された『40年会』。今も現役でがんばっている古田さんや山本昌さんを見ていると、八木さんももう少しできたんじゃないかなぁと未練がましく思ったりもするのですが、ここまでやってこれただけでもすごいことなんですよね。40年会って現役で他に誰が残ってるんだろう?去年、池山も引退しちゃったし、もう数少ないのでしょうね。八木さんの引退には、きっと古田さんも昌さんも残念がっていることと思います。
岡山の高校時代からのライバルで今は広報の横谷さんがおっしゃってました。自分が現役時代は八木がバッターボックスに立つと打つな!と思った。でも自分が引退してからは、同い年の八木にいつまでも頑張ってもらいたいと応援するようになった、と。
観戦レポで書き忘れたことを1つ。試合が終わって、球場の外に出るとなにやら人だかりが。なんだろうと思って近づくと、八木さんの故郷の友人(玉野同球生と書いてあったので野球部の同級生だと思う)が応援に来ていたらしく、八木さんの横断幕を持っているところを、道行くファンが記念撮影をしていたのでした。きっとこの同級生のお友達も、横谷さんに似た思いを抱いてこれまで八木さんを応援してきたのでしょう。
八木さんって本当にたくさんの人に愛されてたんだなと改めて思いました。通算打率が.250にも満たないのに、神様だなんておかしいと言う人もいるでしょう。そりゃ4割打ってりゃ誰でも神様だと言われます。でも、2割5分でも神様と呼ばれた八木さんは逆にすごいと思う。現に、八木さんが代打で出てきたときは誰よりも期待して胸躍らせてましたから。何故か、絶対に打ってくれると信じることができました。
八木さんが引退した今、誰に代打の期待を込めたらいいのかまだわかりません。早く八木さんのような存在の選手が現れたらいいなぁ。
八木さんで一番に思い出すのが、やはり1992年9月11日の幻のホームランです。この年は最後までヤクルトと優勝争いを繰り広げた年で、この日も直接対決とあってテレビにかじり付いて見ていたのを思い出します。
9回表を終わって3-3の同点という白熱した試合展開。そして、運命の9回裏。2死1塁で迎えるバッターは八木。ピッチャー岡林から放った打球はレフトスタンドへ一直線!審判の平光がホームランのコールをした瞬間に湧き上がるスタンドとベンチから飛び出した選手たち。ゆっくりとダイヤモンドを回って、サードコーチャーの島野さんと手をつないでホームベースに笑顔で帰ってきた八木さんの姿は今でも忘れることができません。
しかし喜びも束の間、ヤクルトの飯田選手が、違う違うと手を横に振りながらなにやら抗議を始めました。この光景も忘れられないんですよね・・・。そしてあろうことか判定は覆り、ホームランからエンタイトルツーベースに変わってしまいました。もちろんランナーは1塁だったので、テイクツーベースでは得点にはなりません。この判定に阪神ベンチが黙っているはずもなく、中村監督の抗議は延々と続きました。その間に、古田とトラッキーが暇を持て余すかのように何か雑談している様子がとてもおかしかったことを覚えています。
結局、この回に得点できず試合は延長戦へ。その後も両チームとも得点できないまま15回裏を迎え、最後のバッター山脇が三振に倒れて試合は引き分けに終わりました。そのとき時計の時刻は0時半を指しており、試合時間は今でもプロ野球記録となる6時間半という長い長い試合となりました。
八木さんは当時のことを運が悪かったとおっしゃってました。今思えば、レギュラーで活躍していたこの時に優勝させてあげたかったです。まあ、去年の優勝にも十分貢献してくれたんですけどね。
このような伝説を残した八木さんは、やはり記録に残る選手ではなく記憶に残る選手だったと言えますね。
八木さんが現役最後に放ったホームラン。それは2002年7月30日の対横浜戦。0-2の2点ビハインドで迎えた6回裏。満塁の場面でピッチャーの井川に打順が回る。そこで代打八木のコール。八木さんは見事に期待に応えてなんと代打逆転満塁ホームランを放ち、そのまま4-2で阪神は勝利をおさめました。
この試合もテレビで見ていたのですが、当時から井川ファンだった私は、神様八木様、ホントにありがとう!!!という感じでしたね。でも、まさかこれが最後のホームランになるとは思いもしませんでした。去年もホームランがないことはわかっていたので、今年はなんとかホームランを打ってもらいたかったのですが・・・。
昭和40年生まれの選手で結成された『40年会』。今も現役でがんばっている古田さんや山本昌さんを見ていると、八木さんももう少しできたんじゃないかなぁと未練がましく思ったりもするのですが、ここまでやってこれただけでもすごいことなんですよね。40年会って現役で他に誰が残ってるんだろう?去年、池山も引退しちゃったし、もう数少ないのでしょうね。八木さんの引退には、きっと古田さんも昌さんも残念がっていることと思います。
岡山の高校時代からのライバルで今は広報の横谷さんがおっしゃってました。自分が現役時代は八木がバッターボックスに立つと打つな!と思った。でも自分が引退してからは、同い年の八木にいつまでも頑張ってもらいたいと応援するようになった、と。
観戦レポで書き忘れたことを1つ。試合が終わって、球場の外に出るとなにやら人だかりが。なんだろうと思って近づくと、八木さんの故郷の友人(玉野同球生と書いてあったので野球部の同級生だと思う)が応援に来ていたらしく、八木さんの横断幕を持っているところを、道行くファンが記念撮影をしていたのでした。きっとこの同級生のお友達も、横谷さんに似た思いを抱いてこれまで八木さんを応援してきたのでしょう。
八木さんって本当にたくさんの人に愛されてたんだなと改めて思いました。通算打率が.250にも満たないのに、神様だなんておかしいと言う人もいるでしょう。そりゃ4割打ってりゃ誰でも神様だと言われます。でも、2割5分でも神様と呼ばれた八木さんは逆にすごいと思う。現に、八木さんが代打で出てきたときは誰よりも期待して胸躍らせてましたから。何故か、絶対に打ってくれると信じることができました。
八木さんが引退した今、誰に代打の期待を込めたらいいのかまだわかりません。早く八木さんのような存在の選手が現れたらいいなぁ。
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