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バレンタインデー

2015-02-12 15:48:12 | 日記
バレンタイン
われに一つバレンタインのチョコレート 行方克巳
バレンタインの日は老人でありにけり 多田薙石
バレンタインホワイトデーの影纏ふ    拙


 1971年当時発行の歳時記には載っていないので、それ以後の季語である。でも五十年近くにもなり、季語は勿論社会の習慣としても定着している。 そのバレンタインデーだが、どうも日本では女性が男性に「チョコレートを贈る日」という印象だけが色濃い。
児童・生徒が学校の休業日になるとがっかりしたり、若いアスリートや歌手・俳優などはファンより軽トラ一台ほどの戴きものものが有るとか話題になった。老人既婚者が戴く者は義理チョコと言う代物で、翌月はお返しものを上げなければならないとか、厄介な習慣になった。


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4 コメント

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有難うございました (阿部)
2015-02-15 09:26:33
紫苑さん 嬉しいコメントを有難うございました。
心のこもっているものならどんなものでも嬉しいですよ。
義理はさほどでもありませんが、義務となると遠慮したいですね。目論みの見え隠れするものはお断りです。

誰もが相手によって喜びの度合いは異なるのではないでしょうか。
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バレンタイン (紫苑)
2015-02-14 23:04:12
お二人のコメントを拝見して、「へぇ~そうなんだぁ、男の人はチョコレートなんて貰っても本当のところ嬉しくないだろうな」と思っていましたから意外でした。
やはり義理チョコでも配るべきですね。
上等なワインがお返しにくるなんて、エビでタイを釣る様なものですわ(笑)。やはりホワイトデーの影を纏っているようです。
明日でもまだ間に合いますよね!
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有難うございました (阿部)
2015-02-13 10:12:23
願船さん嬉しいコメントを有難うございました。
自然の変化・状況等に客観的に見る観察眼が足りなく見逃すことが多いので、自然科学的なことには疎いと自分を見ています。それで、句の中身も社会的なものになるのだと思います。どちらかというと俳句よりも川柳の方が似合うかもしれませんが、俳句の省略的な叙述に魅せられています。
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バレンタイン (願船)
2015-02-13 07:17:40
  われに一つバレンタインのチョコレート 行方克巳

 若者が賑やかにバレンタインのチョコレートをやり取りしている日に、自分も一つチョコレートを貰ったという中年男性の淡い喜びを詠っているように感じる。

  バレンタインの日は老人でありにけり 多田薙石

 この俳句も初めて見るものであるが、前句よりも心理的に老けた心境を詠っているように感じる。バレンタインのチョコレートで賑わっている若い人々から離れた心理的地点に自分を置いて、老人の自分には関係ないと言い聞かしているものの、ちょっと僻み根性も見え見えのようだ。前句からは素直に喜んでいる気持ちが伝わるが、この句からは、いつもはまだ若いといっているくせに、とか自尊心が強すぎて自分の現状が分らんのではないか、とか作者をおちょくるような気持ちが起こってくる。

  バレンタインホワイトデーの影纏ふ  阿部

 前二句がバレンタインと自分との関係だけを詠っているいるのに対して、阿部句においては、バレンタインの日に貰ったいわゆるギリ・チョコに対してホワイトデーの時にお返しをしなければならないという、時事性、社会性が含まれているという特性を感じるのである。

 バレンタインの日だけでなく、毎日老人である自分にチョコレートをくれる奇特な人はいないのであるが、近所に住む姪(と云っても50何歳)がリボンのついた一箱のチョコレートをくれる。ぼくはホワイトデーに割合上等なワインを一本贈ることにしている。バレンタインの感じよりも敬老の日の感じが強いような気がするが、それでも今年もくれるかなと思ったりして老人のバレンタインを楽しんでいる。

 いつも感じていることですが、阿部さんが俳句を作る場合に意識的に社会性や時事性の要素を入れるのでしょうか。今日も阿部さんらしい句を読ませていただき元気が出ました。有難うございます。  願船
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