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:建国記念の日

2015-02-11 17:03:16 | 日記
建国記念の日
海を見をり建国記念の日の雪に  篠田悌二郎
谷川の閃々と旧紀元節      飯田龍太
右傾化に慣れて建国記念の日     拙


きょうは建国記念の日。「記念」と「日」の間に助詞の「の」が挟まっているのが気になった。
 1966年、建国記念の祝日化をめぐって国会がもめた。2月11日は、神武天皇の即位日を記念したとされる紀元節に当たる。国粋主義と結びつく記念日の復活ではないか。反対論が噴出し、議事は進まない。結局、日付の印象を薄め、建国した事実だけを記念したと読めるよう「の」を入れたという。
 制定に際し、政府のご意見番だった作家の故舟橋聖一さんも懸念していた。「国家主義に悪用されてはならない」として、政府行事にしないようクギを刺したほどだ。北海道新聞コラム抜粋

ODAで、戦争の後押しでなければ他国の軍隊へも援助が可能へと閣議決定されたと聞いた。援助したものが戦争に使われないという保証はない。窮すれは使用されることも有りうる。だんだんとこの国が右傾化していることが気になった。

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2 コメント

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建国記念の日 (願船)
2015-02-12 16:01:51
   海を見をり建国記念の日の雪に  篠田悌二郎
   
 建国記念の日の雪に海を見ている、という一読平明な句。ただそれだけを詠ったものとも思えるし、作者の重いが隠されているとも考えられる。作者の視点は岡の上のようなすこし高いところにあるような感じ。作者と海の間の空間には降りしきる雪がある。雪を通して海は遠くに見える。その遠い海と建国記念の日(昔の紀元節)の遠い思い出が重なっているような気がするのだ。

   谷川の閃々と旧紀元節      飯田龍太

 飯田龍太の句を一読して、郷里山梨県旧境川村の川を読んだと言われる「一月の川一月の谷の中」が浮んでくる。郷里の村に住みついて俳句を作った竜太の句には、郷里の自然、風土、歴史、生活がなどが表現されていると思う。この句では、閃々と流れる谷川と旧紀元節を取り合わせている。現在季語となっている「建国記念の日」をとらず、「旧紀元節」と表現したには、神武天皇神話を紀元とする日本の歴史を意識してのことであろう。その歴史の中に飯田龍太の郷里はあり、その谷川の流域に住んできた人々の歴史があるのである。旧紀元節という表現には、飯田龍太一族の歴史や子ども時代の思い出も含まれているような気もするのである。きらきらと輝いて流れる谷川を見て、郷土、そして日本の弥栄を念願している気持ちも感じられる。

   右傾化に慣れて建国記念の日   阿部

 作者が『だんだんとこの国が右傾化していることが気になった。」と述べているように、近頃国の内外のニュスを視聴していると、去年よりも右傾化現象が目立つようになったと思う。その理由には国際情勢の影響によるものが多いと思われるが、こういう状況が続くと我々もそれに慣れてしまう恐れがある。この句の「右傾化に慣れて」の表現には、そのような社会的、時事的意味が含まれていると思った。そのあたりに、雪の降る海や郷里の谷川を取り合わせた前二句と異なり、 阿部句が「右傾化に慣れて」という表現によって社会性を取り入れたところに、「建国記念の日」を新しい視点で見ようとする意欲を感じることができるのである。

今日も阿部さんらしい特徴のある俳句を読ませていただき有難うございました。  願船
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有難うございました (阿部)
2015-02-12 22:52:41
願船さん嬉しいコメントを有難うございました。
昨日 建国記念の日にあたり国家主催の式典を開催を願う 国家神道の系譜ほもつグループと歴史を学問的に考える左派系の人々のグループでした。日本の祝日でいがみ合いのふるのはは建国記念の日だけではないでしょうか。復古を唱えず、国の誕生日ならみんなで祝い合えばよいのではないだろうかと単純に考えています。 
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