独白

全くの独白

生き方と生き様(ざま)

2016-09-28 15:18:55 | 日記
人というのは、明るい夢を持った方が生き易い。生きて行く上での方針、目標、目的なども持っていた方がいないよりも生き易い。神仏への信仰もそうである。これらは皆生きる為の方便たる一面を持っている。ただ夢や信仰が能動的であるのに対して生き方ー人生上の方針、目標、目的等をここではこう総称して置くーは受動的である。前者は押し付けられても定着し難く、当人の身中から湧き上がるもの、後者はその概念そのものからして、習慣的教育的に語られ続ける事に因っていつしか吾人の心中に定着するものといって良さそうである。人間等というものはそもそも天とか神とか自然等と呼ばれる得体の知れぬものに依りそれぞれの両親を通じて、ぽんとこの世に放り出された後は時が来れば枯れてしまって土に帰るだけの路傍の草と変りの無いものである。ただ他のものと違って魂などというものを持たされてしまっているばかりに簡単な事物をわざわざ難しく考えて鹿爪らしい顔をして暮らしているに過ぎない。
私は「生き方」などに就いてあまり考えた事が無い。善し悪しではなくそういう気質に生まれ付いてしまったので、自身では如何ともし難い。中学生などの語る将来像実現の為のあまりに具体的な方針などを聞けば只感心するばかりである。
私は内田裕也のような髪形をしている。がロッカーを気取っている訳ではない。音楽の中で特段ロックが好きという訳でもない。気質や魂にああいう人達と共通するものがあるのかもしれない。それで髪型も偶然同じようなものになってしまうのかもしれない。兵士に丸刈りが多く中東の人たちに鬚面が多いようなものであろう。私に「生き方」と呼べるようなものは無い。顧みた時にそれ迄の「生き様」が見えているばかりである。これ迄もこれからも、坂を転がる石ころのように、谷を辷る沢水のように、また風に吹かれる雲のように生きるばかりである。