アプリコット プリンセス

チューリップ城には
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赤穂事件  拝領妻

2023-01-18 12:05:01 | 漫画

       赤穂事件  拝領妻

 柳沢吉保の生母・了本院の侍女で側室となった染子は綱吉からの拝領妻であるという俗説があり、彼女の出産した柳沢吉里は綱吉の落胤であるとの噂が当時からあった。綱吉は柳沢家に、松平姓を与えて特に連枝の待遇としたが、これがその事情を雄弁に物語っているという指摘もあるが、現在ではこの説は否定されている。


   保科正信(松平 正容)保科正之の六男
 元禄9年(1696年)、松平姓と三つ葉葵の紋の永代使用を許され、名実ともに徳川一門(御家門)として遇されることになる。

   拝領妻始末冒頭
 物頭の笹原伊三郎の家に側用人・高橋外記が訪ねてくる。藩主・正容(まさかた)の寵愛を一身に受け男子をもうけていた側室のお市の方に暇が出されることになり、笹原家嫡男・与五郎に妻として下賜するという。10年ほど前に、側室・お紋の方を拝領したものの、妻は藩主に愛されたかつての栄華を忘れられないばかりか夫を罵倒し、耐えかねた夫が返上を願い出て、お紋の方は呪詛の果てに悶死したという前例があり、息子に同じ轍を踏ませたくない伊三郎は、拝領妻の一件をひたすら平伏して辞退を願う。だが、そんな父親の様子を見ていた与五郎はこれ以上難儀をかけまいと申し出を受ける旨を伝える。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 松平正容は保科正之の六男ではあるが、兄弟はことごとく亡くなり残されたのは松平正容だけになる。兄弟は全て病弱であったとされている。
 
 保科正之の子、媛姫、摩須、も変な死に方をしている。

 
   また、吉良義央との関係からは、
 長姉にあたる媛姫の婿である米沢藩主上杉綱勝が一時危篤になり、井伊直孝らが正之に上杉家後継者として正純(保科正之の息子 享年20)を据える案を打診したが、正之は断ったとしている。その後、寛文4年閏5月7日(1664年6月30日)に綱勝が死去すると、吉良義央の長男・三之助(上杉綱憲)が上杉家を相続した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

 家を引き継いだ松平正容であるが、拝領妻での顛末が当時の御家事情を物語っている。
将軍綱吉は、松平正容が自らと同じ性分であることを見抜いて、殺さずに許したのではないか。

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