アプリコット プリンセス

チューリップ城には
とてもチャーミングなアプリコット姫がおりました

赤穂事件 大石一族 富田直貞

2023-01-24 08:44:59 | 漫画

      赤穂事件 大石一族 富田直貞

大石良勝
  │
奥村具知 ー 良欽
  │     |   
富田直貞   良昭  
        |
       良雄
 


 前田 正甫(越中富山藩の第2代藩主)
天和元年(1681年)には越後騒動による越後高田藩主・松平光長改易の際の高田城受け取り役を務めている。奥村家に対して、討ち入り話を記録させる。

 奥村具知(大石良勝の三男)
富山藩前田家の重臣家奥村家の養子に入る。富山藩では800石を支給され、家老職をつとめた。

 富田直貞(奥村具知の三男)
富山藩の家老職の富田家の養子になる。富田家(6500石)

 大石一族は 東北から 越中 讃岐にかけて広く仕官している。また、富田直貞には、公家近衛家の諸大夫として近衛家に仕えた進藤長定(公家近衛家の諸大夫)の室(姉)と妹に進藤俊順(赤穂藩士。進藤俊式の父)の室がいる。

 大石内蔵助は、備中松山藩の水谷家が改易になったのを受けて、その居城である松山城の城請取の際して松山城に在番している。そして、前田 正甫(越中富山藩の第2代藩主)は越後騒動による越後高田藩主・松平光長改易の際の高田城受け取り役を務めている。

 短い間に大名家の改易が重なっているが、どれも皆、些細な事に因縁を付けて許される事なく裁断されている。改易は将軍家光の頃に多く見られた。その頃は、まだ権力基盤が確立されたばかりで不安定要素があったが、今は盤石な統治が為されており、あえて改易をする意味はないと思われる。ただ、改易の理由が大名家の資産没収が目的であれば幕府にとっては意味があったと言える訳で、豊かな大名は資産を刈り取られる運命となる。

 前田 正甫(越中富山藩の第2代藩主)も又、幕府の脅威を身近に感じていた。

正甫は新田開発や治水工事を行って生産力を向上させることはもちろん、自領の低い農業生産力に頼るだけではない、その他の殖産興業に努めることで、藩財政を豊かにしようとした。但馬からタタラ技術を導入して製鉄業を創始し、産業奨励などにも積極的に行なった。また、正甫は病弱であったとされ、ゆえに薬学に興味を持ち、(史料的な裏付けは無いが)江戸城腹痛事件で名をあげたとされる富山の反魂丹などの製薬業を奨励して諸国に広め、越中売薬の基礎を作った。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 しかし、散財により財政は豊かではなかったのだ。

城下の神通川沿いの一帯地域を御用屋敷地として、ここに東海道五十三次や琵琶湖および近江八景を写した大庭園を造った。庭園には人口の築山を作りこれを「富士山」(富士塚)とし、庭園からつながる神通川での舟遊び用の船を建造した。現在この屋敷の痕跡は残らない。富士山築山は、現在の磯部町、鹿島町、鉄砲町、七軒町にかかる大型のもので、富山県護国神社境内に組み入れられて長らく存続したが、1957年に除去されている

大規模な造園はただの贅沢ではなく、幕府を油断させるための散財だったとする説もある。
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