アプリコット プリンセス

チューリップ城には
とてもチャーミングなアプリコット姫がおりました

馬のもの言い事件  堺町馬のかほみせ

2022-03-19 10:50:08 | 番外
当時、
堺町馬のかほみせという町芝居があった。
この芝居を題材にした噺が馬のもの言い事件に発展していくこととなる。


鹿野 武左衛門(しかの ぶざえもん、1649年(慶安2年) - 1699年9月6日(元禄12年8月13日))は、江戸時代前期の落語家。江戸落語の祖、大坂難波の出身とも京の出身とも、本名は安次郎?、江戸に出て堺町や長谷川町で塗師をしていたが、芝居小屋や風呂屋で身振り手振りでおもしろおかしく聴かせる「座敷仕方咄」を始めた。

当時1693年(元禄6年)コレラが流行し1万数千人以上が死亡した、南天と梅干の実が良く効くという風評が広がり、めぐりめぐって鹿野はこの事件に連座して召し捕られ大島に流罪(島流し)になる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

当時、
通説ではコレラの流行があったと考えられているが
これには根拠がある。
それは、その症状である。

コレラの症状
潜伏期間は5日以内。普通は2~3日だが、早ければ数時間である。症状が非常に軽く、1日数回の下痢で数日で回復する場合もあるが、通常、突然腹がごろごろ鳴り、水のような下痢が1日20~30回も起こる。下痢便には塩分が混じる。また、「米のとぎ汁」のような白い便を排泄することもある。腹痛・発熱はなく、むしろ低体温となり、34度台にも下がる。急速に脱水症状が進み、血行障害、血圧低下、頻脈、筋肉の痙攣、虚脱を起こし、死亡する。極度の脱水によって皮膚は乾燥、しわが寄り「洗濯婦の手(指先のしわ)」、「コレラ顔貌」と呼ばれる特有の老人様の顔になる。また、乾燥舌(Dry Tongue)の症状もみられる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

しかし、まさにこの時、
生類憐みの令が発令され、厳しく取り締まりを受けていた事を忘れてはならない。
全ての町民は、新鮮な蛋白源を動物から得る事は出来なくなっていた。
今まで、鳥や魚、貝等、を食していた町民は
生きた食材としても、絞めた食材としても、売る事を禁止されたため
新鮮な食材を手に入れる事は出来なくなったのだ。

    では、何を食していたのか?

御触れは、死んだ動物には及んでいない。
今までは、生きのよい魚を食していた町民であるが、
これからは、病気で死んだ魚を食べることになる。
病気で死んだ魚であれば食してもお咎めはないのだ。
これは、魚に限った事では無いので、馬や牛、鳥も同様に
病気で死んだものを食べる以外ない。
病気で死ぬ原因は、当時知られていなかったのであるから
生きのよい動物を殺して食べるよりも
病気で死んだ動物を食べる方が良いと思ったのであろう。
きっと、コレラと思われる病状は
集団食中毒であったと推測される。

さて、馬のもの言い事件であるが
この事件は江戸町民35万3588人を巻き込む大事件に発展する。
この事件の原因は、筑紫団右衛門と八百屋惣右衛門の虚言にあるとされている。

ただ、隠語が隠されているのだ。

それは、梅である。

水戸黄門の俳句には梅里という別名が使われる。
江戸庶民は口を塞がれているが抵抗を試みたのではないか?
梅に願いを込めて
馬のもの言い事件は発展していったのかもしれない。

当時、梅が大量に売れ価格が急騰している。
庶民の儚い抵抗であったのかもしれない。


コメント
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