こんにちは売店の佐藤です。
本日は売店で販売されております、昔話本から少しだけ語りべ風に紹介したいと思います
一冊に20のお話があり、お値段¥650で販売しております
では… はじまり~ はじまり~
『 猿賀さま (南津軽郡)』
青森県平川市尾上町にある猿賀神社は、猿賀さまと呼ばれ親しまれておるが、ここにこんな話が伝えられておるんじゃ。
昔、仁徳天皇の御代、東北一帯をあらし回る蝦夷を攻めるため、田道命という将軍がはるばる都からやってきた。
しかし、秋田県の鹿角という所で敵の矢にあたり、戦死してしもうた。
この田道将軍の霊を慰めるため建てられたのが、猿賀神社というわけで、もともとは秋田にあったのじゃ。
ところが、欽明天皇が治められていた頃、秋田から津軽にかけて大洪水になったことがあってな、人々はあわてて高い所へ逃げのびて、ようやく難をまぬかれたんじゃ。
しかし、何日たってもいっこうに水は引く様子もない。
だんだん、食べる物もなくなってきて、いよいよみんなの命が危なくなってきた時のこと、一人の男が夢を見て、神様が現れ助けてくれるというお告げを受けたんじゃそうな。
人々は、ただひたすら神様が現れるのを待った。
何日かたったある朝のこと、太陽の光が水面を紅に染めだした頃、遠く水平線上に、白い点が一つ現れた。
やがてその点はみるみる大きくなり、岸部に近づいてくる。
「あっ神様がおいでになったど」人々が口々にささやきあっている中、真白な天馬にまったがった神様が、静かに大岩の上にまいおりられた。
その途端、見渡す限り海のようだった大水が、さーっと引いていたんじゃ。
この時以来、猿賀の神様は、この津軽に住まわれるようになったというわけじゃ。
ところで、桓武天皇の在位中、東北の蝦夷が再び反乱を起こし坂上田村麻呂が征伐にやってきた時じゃ。
敵将高丸と一騎打ちとなり、田村麻呂があわや負けるという時、猿賀の神田道命が現れて、高丸を一刀のもとにきり殺し、勝利に導いたそうな。
そこで、田村麻呂は立派な社を作り直し、お礼をしたということじゃ。
今も、猿賀神社は平川市の農民のあつい信仰をあつめておる。
…………いかがでしたか? 他にもみなさんに伝えたい昔話がたくさんあるんですが、次回でもまたお伝えしたいと思います
今日はこの辺で