リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

ばらまき政策では景気浮揚にならない理由

2021-10-10 | 一般
総選挙の日程が決まり、与党も野党もさまざまな政策を打ち出しているが、いずれも有権者の歓心を買うためのばらまきが多く、財源の議論がされていないことが気になる。そんなことは多くの人がすでに指摘していることなのだが、そういう候補を選ぶ有権者の態度が変わらないことには変えようがないということを先日も書いた。だが、先進国最悪の財政事情という点をおくとしても、ばらまきが日本経済のためにならないという二つの理由を改めて挙げておきたい。
まず、日本経済が落ち込んでいるのは、感染リスクや自粛要請で人々が外食や旅行にお金を使えないからであって、そうした分野の事業者をべつにすれば、国民にお金がないという状況ではない。コロナ禍に直撃された産業と生活困窮者への対策は必要だが、「一律に配る給付金はもとより、野党が主張する消費税減税や、年収1千万円以下の人に対する所得税1年間免除など、的外れも甚だしい。」感染減に伴って制限が緩和されれば需要は回復するから、「ばらまき」の経済対策は必要ない(経済気象台2021-10-9、玲子氏)また、欧米諸国に比べれば日本の感染者数も死者数もそれほど多いわけではないのに感染者の受け入れ態勢が一向に整わず、国民が不満を募らせているのは、財務省や日銀の幹部が国際会議でたびたび欧米諸国から不思議がられるという。国民の満足度という点からは、この面での失敗もしっかりふまえた対策が必要だ。
制限の緩和に伴って増える需要を「ペントアップ需要」(抑圧されていた需要)というのだそうだ。日銀によれば、消費したくても消費できずにたまっている「強制貯蓄」が20兆円程度もあるそうだ(大幅減した消費と、前年度並みの消費の差に相当)。感染が収束していけば、これが取り崩されてペントアップ需要が顕在化すると皮算用されている。だがそもそも、2020年度の可処分所得は、コロナの収入減が直撃するどころか、コロナ対策の現金給付などで増加し、315.5兆円になったという。だが増加した可処分所得にしても、強制貯蓄にしても、それが消費に回る保証はない。データによれば、貯蓄が増えれば消費が増えるというものではないそうだ。消費は、景気と連動する株式など金融資産残高と共に変動するのだという。だからファンダメンタルズ(基礎的条件)の改善が重要であり、それなくしては、いくら強制貯蓄があっても取り崩されないという。(経済気象台2021-10-7、顕伸氏)この筆者も、「可処分所得が消費を大きく上回っているのだから、マクロでは給付金などの「ばらまき」に意味はない。新政権に求められるのは、コロナで困窮する世帯や企業への補助といった真に必要な分配政策と、頑健な医療体制の確立だ」と指摘する。
折しもアメリカでは連邦債務残高の上限を引き上げる法案が可決されたことが報じられた(朝日新聞2021-10-9)。議会で債務の上限が決まっていて、それを超えたら政府がデフォルト(債務不履行)になるというのは、政争で混乱が生じる恐れはあるものの、ある意味まっとうな枠がはめられていることであり、うらやましく感じてしまう。(追記:財政状況を中立な立場でチェックする独立財政機関(IFI)が設置されていない先進国は日本だけだそうだ(財政状況が健全なノルウェーやスイスを除く)(朝日新聞2021-11-6))


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