リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

「お金くれるから投票」をやめないと日本はダメになる

2020-12-05 | 政治
このタイトルでの投稿は以前から考えていたが、与野党がばらまき政策を競う状況を憂えてのことだった。まさか本当に「お金あげます」を公約に掲げる候補者が続出して支持を集めるとは思ってもみなかった。
2020年5月の神奈川県小田原市長選で僅差で初当選した守屋輝彦市長は、選挙公報に「ひとり10万円」と書いたおかげで勝った可能性がある。当選後、国の特別定額給付金のことだったとしたが、国とは別に市独自の給付だと思っていた市民から批判が相次いだ(東京新聞2020-7-7)。
これは例外的な事例と思っていたが、住民全員に現金を配るという公約を掲げる候補者が相次いで、一定の支持を集めているという(朝日社説2020-12-2)。もちろん、社説も書くように、未曽有のコロナ禍にあって、現金給付政策も全くありえないものではない。だが財源や他の政策とのバランスを考えることは不可欠だ。
10月の愛知県岡崎市長選では「一律5万円給付」を公約にした候補者が現職を大差で破り、衝撃を与えた。近隣の首長選で同様の公約を唱える候補者が相次いだという。11月の兵庫県丹波市長選でも、全市民への5万円給付を公約した新顔が現職に競り勝った。
だが岡崎市の場合、公約実現には200億円が必要で、市の貯金80億円全額をはたいても足りない。公共施設整備などのための5つの基金を廃止して財源とする案は市議会で否決された。市庁舎建設のための基金などから財源を捻出する案をこれから審議するようだが、他の政策や災害時などのことも考えた上で無理のない形で実現できなければ、公約はなんだったのだということになる。有権者のほうも、「お金あげます」という候補者は不審な目で見るくらいの慎重さがほしい。

さて、もともと書こうと思っていたのは国のばらまき政策についてだ。政府は今春、全国民に一人10万円の特別定額給付金を配った。もちろん緊急事態宣言になるほどのコロナ禍にあって、給付を必要としている人がいたことはたしかだが、10万円ではとても足りない人もいただろう。逆に、不要の人も多かったらしく、上記社説にもあるように、その後の調査によれば、消費ではなく貯蓄が大幅に伸びる結果になった(過去ブログの追記でも書いた)。
国の場合、問題なのは、支出が税収を大幅に超える赤字予算が恒常的になっていることだ。地方自治体では財源がない政策は実現できないのだが、なぜか国では、赤字国債を日銀に買ってもらって資金を調達することが許されているらしい(本当は「財政ファイナンス」は禁じ手のはずなのだが)。おかげで財政健全化の目標は先送りされる一方で、与党も野党も聞こえのいい政策ばかりに走り、痛みを伴う改革・健全化に踏み出そうともしない。それもこれも、有権者が「自分の得になるかどうか」で投票先を選ぶからだ。
「自分の得」を考えるのは当たり前と言われそうだが、そんなことはない。たとえば消費税。誰だって払う税金は少ないほうがいいに決まっているが、だからといって消費税の減税や撤廃を主張するのは国の将来のためにはならない(過去ブログ)。残念ながらコロナ禍を別としても、「財政を立て直すために国民に負担をお願いします」という公約は有権者に受け入れられそうもない。有権者がばらまき政策に厳しい目を向けるようにならないと、早晩日本は破綻する。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« タクシーの換気:窓開けより... | トップ | 原発への同意が欲しければ、... »
最新の画像もっと見る

政治」カテゴリの最新記事