死にたくない!いま、生活保護が生きるとき青木書店このアイテムの詳細を見る |
「死にたくない-いま、生活保護が生きるとき/竹下義樹・吉永純・編著」
これもアマゾンで。
北九州で起きた餓死事件の背景取材を含め、生活保護裁判連絡会の皆さんが、このかん生活保護制度をめぐって起こっている様々なことを取り上げている本。
北九州では生活保護の窓口に係長級に昇任したばかりのケースワーカー経験者を充て、2年で異動させるという。
なるだけ申請をさせないための防波堤としての役割を、出世したばかりの人間に担わせ、しかも呵責感でつぶれないように2年で異動させる(それでも5年前に職員が自殺しているという)。
その窓口では
「子ども放たってても、求職活動せな、ならん」
「電気止められても、死にやせん、まだ死んでないやろ!」
「残飯ひろって食べたらどうな」
「資産活用ゆうて、腕時計も資産やけん、売って食べたらどうな」
といったことばが相談者に投げつけられるのである。
福祉事務所の窓口は筆者の地元でも劣悪化しつつあるが、それでも、民生委員やかつぎこまれた病院からの申請すら認めないのは北九州くらいのもんだろう。
副題はとても含意あるもので、実際は生活保護に携わる人間がひとを殺している。
あるいは殺しかねないことをやっている。
支援者としてこの制度にかかわっているので、現場に意欲ある職員がおられるのはよく知っているし、本来は二人三脚で人を支えていくことができればいいなあと思っているが、最近の現場の劣悪化はそうした意欲ある職員が声を上げにくくなっている職場だと思う。外から強く抗議もし、誤った取扱いについてはどしどし審査請求を出していかなければどうにもならないという思いを日々強めている。
通らばリーチみたいな運用をしている人も多く(それを支える60日ルールについては以前言及した)、この間は重度心身障害者介護手当を全額収入認定しようとした人間や、自動車保有の要件について「別冊問答集」の記載が変わっているのをしらない人間がいた。
北九州なんかだと、もはや三流サラ金以下といっていい福祉の現場とたたかっていかなければならない。
根本的な反撃の準備のために欠かせない本だと思う。