見出し画像

日本歴史紀行

徳川家臣紀行 9 安藤直次



安藤直次墓所
愛知県岡崎市大和町 妙源寺

【~犬に食わせよ~】


大坂夏の陣で嫡子が討たれたと聞いた安藤直次は、こう吐き捨て、戦況を優先させました。

直次は徳川家康の側近 幼少より仕え、姉川、長篠、小牧 長久手の戦いなどで武勇を上げました。

小牧 長久手の戦いでは、副将格の池田恒興(池田輝政 父)、森 長可(森 蘭丸 弟)らを討ち取る功績をあげながら、次の戦場へ向かってしまい、手柄は永井直勝が挙げます。



大坂夏の陣で、豊臣軍の猛攻により陣形が崩され、直次の嫡子 安藤重能も戦死。

家康の身にも危機が迫るとみた直次。
家来が重能の遺体を回収に動こうとしたのを制止し、【遺体は ~犬に食わせよ~】と言い放ち、自軍の陣形の建て直しを優先させます。

読み通り家康に危機が迫るも、味方の軍勢が建て直し、危機を脱することになります。

戦の後で目を真っ赤にした直次の姿が悲しみを誘ったといいます。


家康の信頼が厚く、家康十男 頼宣の付家老に命じられます。

家臣、領民に粗暴な振舞いを見せる頼宣に対し直次は、頼宣の足を力一杯痛め付け、この様では太守の器にありませんと言って諌めました。

後年
頼宣は足の傷を見せ、この傷が無かったら、わしの50万石は無かったと、直次との思い出を語りました。

ランキング参加しています。応援お願い致します!

コメント一覧

aoikitakaze4390031
@takechiyo_1949 こんにちは
吉良上野介が有名ですが、江戸城内では、こうした斬りつけ騒ぎが度々ありましたよね。
相手に背中を見せた状態で斬られる云々にはじまるこうした武士の一分に関する考え方は、武士によっても違う様で、難しいですね。
Unknown
@葵北風さん
お早うございます。
田沼意知が江戸城内で佐野政言に斬られた直後、田沼意次はすくに登城して息子の役職返納を願い出ました。
その時、諸侯の中には『血に汚れて登城するなど言語道断』とか『危篤の倅の傍を離れるとは何たる親だ』とか、武士にあるまじき批判が飛び交ったそうですね。
安藤直次公のお話。
感動しました。
竹千代 拝
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「徳川家臣紀行」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事