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日本歴史紀行

徳川家臣紀行 10 渡辺半蔵守綱 守綱寺


守綱寺 
愛知県豊田市寺部町


渡辺半蔵守綱は、同じ名である服部半蔵正成と並び、両半蔵とも言われる譜代家臣で、豊臣秀吉に仕えた竹中半兵衛と黒田官兵衛の両兵衛に通じるものが伺えます。


秀吉の両兵衛は策を得意とするものに対し、徳川の両半蔵は、半蔵正成が鬼の半蔵〜そして半蔵守綱は槍働きを得意としたことから、槍の半蔵と称されました。


半蔵守綱は一向宗派に属し、三河一向一揆では家康に反旗を翻しますが、一揆の終結後に許され、以降は家康に忠義を尽くし、遠州攻略から大坂の陣まで戦場で槍働きをします。

守綱寺本堂


鐘楼


晩年の家康が徳川御三家を興した際、筆頭の尾張に配した九男、義直の軍事部門の付家老を託され、それまでの武蔵比企郡に加えて三河寺部に所領を加増され、合計一万四千石の大名となります。


守綱寺は山号を渡辺山て称し、守綱の没後、三代 治綱によって渡辺家の菩提寺として開基、守綱に始まる歴代当主が眠ります。


十代 規綱は日庵宗玄と号し、 茶事に精通し、
尾張、三河を中心とする現在の中部圏の文化面
での指導者でした。




半蔵守綱の墓










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