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日本歴史紀行

現代語釈 信長公記 9 清洲城乗っ取り 3



清洲城乗っ取り3

中市場の合戦



天文二十三年、七月十八日
柴田勝家が清州へ出陣した。

参陣した足軽衆は、安孫子右京亮、藤江九蔵、木村重章、柴崎孫三、山田七郎五郎、それに某 太田牛一など。

清州勢は山王口で応戦したが追いまくられ、安食村で支えようとしたが支えきれない。

次いで誓願寺前で防いだが、遂に町口の大堀の中へ追い込まれた。

河尻左馬丞、織田三位、雑賀修理らが斬ってかかり、二~三間を隔てて戦ったが、柴田勢の槍は長く、清州勢の槍は短い。

次第に突き立てられたが、一歩も退かず、河尻、織田三位ら三十人ほどが討ち死にした。

守護の家来 由宇喜一は、まだ若く十七~八歳だったが、湯帷子のままで突き進み、織田三位の首を取った。

信長の称賛はひとかたならぬものだった。

尾張の守護が清州の織田氏に反逆を企てたのが原因ではあったが、父祖代々の主君を殺した因果はたちまち歴然と現れ、それからまだ七日目だというのに、関係者は各々討ち死にしてしまった。

天道に背くことの恐ろさを目の当たりに見る事件だった。



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コメント一覧

aoikitakaze4390031
@nekono-hironya おはようございます。
見えますね。あの辺りは清洲城の城跡敷地内です。
nekono-hironya
東海道新幹線に乗ると窓から見えるお城ですね。
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