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日本歴史紀行

現代語釈 信長公記 7 斎藤道三との会見 2



斎藤道三との会見 2



しばらくして、屏風を押し退けて道三が出てきた。

それでも信長は柱に寄りかかったまま、知らん顔をしていたので、堀田道空が近づき、【こちらが山城守殿でございます。】と言うと、信長は【 お出でになったか 】と小さく言って敷居の内に入り、道三に挨拶して、座敷に座った。
誠に折り目正しき礼を尽くした。


さぞかし無礼な振る舞いでもあれば、大笑いしてやる気でいた道三の家臣達も目を丸くした。

そのうち、道空が湯漬けを給仕した。

互いに盃を交わし、世間話を交わし道三との体面は滞りなくお開きとなった。

道三は苦虫を噛み潰したような様子で、 【 また、近いうちにお目にかかろう】と言って席を立った。

道三が帰るのを、信長は二十町ほど見送った。
その時、斎藤勢の槍は短く、信長勢の槍は長く、それを揚げ立てて行列して行ったのを道三は見て!面白くなさそうな顔で、ものを言わずに立ち去って行った。

途中、道三の臣、猪子高就が、【どう見ても、信長殿は阿呆でございますな 】と言うと、道三は、

【 だから無念だ。この道三の息子共が、必ずあの阿呆の門前に馬をつなぐことになろう。】とだけ言った。

この時以降、道三の前で、信長を馬鹿者呼ばわりする者は誰一人いなくなった。



富田 愛知県一宮市

正徳寺 現、聖徳寺 愛知県一宮市

門前に馬をつなぐ 家来になること。




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